朝のハガッニャ湾
飛行機に乗らずに、航空会社提携カードでマイルを貯める人のことを「陸(おか)マイラー」と呼ぶそうだ。この定義によれば、私も限りなく「陸マイラー」だという事になる。年に数回程度の飛行機を利用した出張以外は、もっぱらクレジットカード利用でマイルを貯めている。去年と一昨年の冬には、その貯まったマイルで北海道に行ったのだ。
今回もそのマイルで出かける。理由は割愛するが、私の仕事のサイクルで年に何回か休みが取り易い時期がある。そのうちの1回が2月の上旬なのだ。
次に行き先。いつもだったら「北海道!」って言うところだが、今回は趣向を変えてどこか暖かいところにする。今年の冬が寒かったこともある。そんな訳でグアムに決定した。
2006年2月9日(木)。往路は午後9時30分成田発、グアム着は夜中の2時過ぎ。復路は2月12日(日)の早朝4時30分発で、成田着は午前7時過ぎだ。もうちょっと肉体的に楽な便はないものかと思うが、特典航空券の枠は少ないうえに、予定を立てたのがギリギリだったので選択の余地はなかった。もっとも、JALのグアム航路は1日2往復だけだが。
約3時間で行ける南の島。確かに手軽でいい。フライト中は映画「男たちの大和」を見て過ごす。レイテ沖会戦のシーンのとき、ちょうど乱気流に巻き込まれて機体がガクガク揺れる。これは異常な臨場感。上映時間は2時間半くらいなので、エンドロールが流れているときにちょうど着陸した。映画で大和の最期を見届けた後、太平洋戦争の激戦地グアムの地を踏む。流れは悪くない。
夜のグアムは雨だった。蒸し暑い。多くの乗客はツアーらしく、ホテルの送迎バスへと消えていく。もしかしたら、我々の名前が書かれたプラカードがないか?とキョロキョロするが見当たらない。
タクシーに乗り、ホテルへと向かう。ネットで予約した「ホテル・サンタ・フェ」は、タムニンのビーチサイドにある中規模のホテル。賑やかなタモンはあえて避けたのだ。でもそのせいで、日本語をしゃべれるスタッフはいないらしい。
値段が安い「マウンテン・ビュー」で予約をしていたのだが、実際の部屋は3階のオーシャンビューだった。ガイドブックによれば、この時期のグアムは比較的空いているのだそうで、きっとそのせいなのだろう。窓の外には微かにホテルや街灯の明かりを反射した海が見えている。眼下にはレスロランと、雨に打たれる駐車場が見えている。
軽くシャワーを浴びる。ドライヤーが壊れている。明日の朝になったらフロントに言いに行こう。部屋に備え付けの目覚まし時計をセットして、今夜はもう寝ることにする。
目が覚める。窓の外が明るいが、雨の音がしている。目覚まし時計を見ると午前8時半近い。
オイオイ・・・1時間前にはアラームが鳴っていないとおかしいはずなのだが、こいつも壊れているらしい。日本時間だと午前7時半だから、普段起きる時間。毎日の習慣ってすごいもんだ。おかげで寝坊を免れた。
昨晩、ホテルに着いたときにツアーオフィスからの伝言を受け取っていて「朝8時半に電話をくれ」との内容だったので、急いで電話する。すると、「集合はホテルの前に午前10時」とのことであった。時間には余裕が出来たが、果たしてこの雨でもツアーが決行されるのかが疑問ではある。などど言っているうちに、急激に天候が回復してきて、みるみるうちに晴れてきた。
フロントでドライヤーが壊れている旨を伝え、フリーのコーヒーとドーナツを持ってビーチに出てみる。若干蒸し暑さがあるが、木陰は心地良い。その木陰のひとつにスペイン系のチャモロ人女性2人が座っておしゃべりをしている。我々に気が付くと、小さく手を振る。人懐っこい人たちだ。グリルが開店の準備をしている。その前を、ビーチ清掃のトラクターが行ったり来たりしている。穏やかな波のハガッニャ湾。小さな島はアルパット島だ。
隣の背の高いホテル「オンワード・ビーチ・リゾート」の方へとビーチを歩いていく。ホテルの前では、大音量のステレオが漏れてくるミニトラックが、ジェットスキーやバナナボートの乗ったリアカーを引っ張ってビーチのそばに運んでいる。運転席の彼が、こちらに親指を立ててみせる。こちらも返す。みんな陽気だ。
ジャングル・トレック
集合時間が近づいてきたので、一旦部屋に戻る。洗面台には新しいドライヤーが置かれていた。お~、すばやい対応。さっそく、スイッチを入れてみるが動かん!
まさかと思いベッド脇のコンセントで使ってみると・・・やはり壊れていたのはドライヤーではなくて、洗面台のコンセントだった。そんなことをやっていると「ピピピッ・・・」という音が聞こえてきた。目覚まし時計が今頃鳴り出したのだ。
ホテルの入り口に迎えのマイクロバスが来た。スタッフはグアム在住の日本人女性と、小柄なチャモロの青年「サム」。車内には他に、若夫婦が一組と、ソロの男性。途中で一組の初老の夫婦を拾って総勢9人が乗ったバスは、サムの運転で山の方へと入っていく。
最初に立ち寄ったのはニミッツ・ヒルの展望台。かつて日本軍の拠点があり、現在も近くにアメリカ軍の施設がある。
ニミッツ・ヒルからは、激戦地のアサンビーチが見下ろせる。アサンビーチはリーフが狭く陸地に迫っているため、アメリカ軍の上陸地点となったのだそうだ。
少し山を下ったところが、ジャングルトレックの入り口。チームのリーダーはサム。背も小柄で子供のようだが、ジャングルを知り尽くしたプロだのだそうだ。
先頭は女性スタッフ。サムはリーダーだから最後方からついてくる。
最初は電柱と併走する草原の下り坂。電線は恐らく軍事施設につながっているのだろう。途中から電柱を離れてジャングルの中へ。ヤシの木を中心に背丈の高い木々がうっそうと茂っている。野生のバナナの木もある。風がないのに意外と涼しい。それに虫も少ない。だから半袖短パンでも大丈夫だ。トカゲは多い。
しばらく行くとダムに出る。レンガで出来たそれは100年前に作られたもので、当時は発電用だったそうだが、現在は使われていないとのこと。
ダムの先は、腰まで水に浸かって歩いたり、岩壁を伝って進んだりしながらフォンテ川を下っていく。きっと、ここを転進する日本兵、追うアメリカ兵が同じように歩いていたのかなぁ・・・などと想像しながら歩く。
滝つぼがあって飛び込める。高さはせいぜい2mくらいだが、雨上がりの濁った滝つぼに飛び込むのは一瞬たじろぐ。でも、スタッフの女性が真っ先に飛び込み、続いて若い我々も、そして初老の夫婦も次々に飛び込む。
フォンテ川を離れて丘を登っていく。ジャングルを抜けて、丈の短い草の茂る結構急な山道を行く。
日差しが強く、風も強い。濡れたシャツがどんどん乾いて行く感じだ。眼下にはジャングルと、その先に島の西部の海が見えてくる。
川を離れてから10分ほどで小高い丘の頂きに到着。時刻はちょうど昼の12時を過ぎたところ。ランチタイムとなる。出発の時に渡されていた、おにぎりとクッキーと水の質素な昼食だが、運動のあとなのでとてもおいしく感じる。
風は相変わらず海のほうから強く吹き付けてくる。眼下のヤシの木が揺れている。
丘になったところが禿げ上がっているのは、この風のせいでヤシが生息できないのか?それとも、そこに砲弾が集中してヤシの木が薙ぎ払われたのか?
ここから谷間のジャングルを見下ろしていると、沖に浮かぶ戦艦の艦砲射撃の閃光、数秒後に落下し炸裂する砲弾、そこを散り散りになって逃げていく日本兵の姿が目に浮かぶようで、なんだか切ない。
登って来た側と反対の方向へ進み、丘を下る。こちらは緩やかな斜面だ。様々な花や、実のなった木などが生えている。すぐに、少し前に通ったダムが見えてくる。随分と長い時間川の中を歩いていた気がしたが、やはり動きが遅かったらしく、意外に狭い範囲の移動だったことに気づく。
頭上に実ったパイナップルみたいな果実がある。サムによると「パンダナスの実」なんだそうな。食べれるのかな?
「チャモロハ食ベル、ニホンジン難シイ」
とサム。
ダムのところからは、もと来た道を戻る。最後の登り直線は、サムの提案でゴールまで競争することになった。
・・・とは言え、体のなまりきった日本人と、ジャングルの達人で若いチャモロ人とではまともに勝負できるはずもなく、電柱1本分のハンデを貰うこととなる。
足が速いというよりは、とにかくスタミナがあるサム。足が止りかけた日本人を次々と抜き去り、最後はゴール直前で若夫婦の旦那を方を刺しきってサムが勝利したらしい。
「らしい」というのは、私はゴールの手前で力尽き、仰向けに倒れていたからゴールシーンは見れなかったのだ。
「秘密の日本軍防空壕跡が近くある」とサムが言うので、皆で行くことにする。
5分ほどジャングルの中を進んだところに岩場があって、そこに隙間が開いている。近くには朽ちたような日本酒のカップ酒が祭られている。
懐中電灯ひとつを持ち身を屈めてサムが洞窟の中へ。小柄なサムはともかく、体を折っても膝や腕や背中が壁にあたるような狭い入り口だ。こんな密閉空間にいきなり9人も入っていて大丈夫だろうか?酸欠とか有毒ガスで倒れたりしないか心配だ。まあ、サムを信じるしかあるまい。
なかも狭かった。真っ暗で全体の様子はよく分からないが、平らになったところはせいぜい4畳半。立って歩ける場所は、一番奥の1畳足らずのスペースだ。
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