チューリヒの朝
朝食を済ませたら、チェックアウトの前にまずはレンタカーの返却。借りるときは全く場所が分からず、途方に暮れて通行人に助けを求めることになったハーツのオフィスだが、さすがに2度目ということで迷うことなくスムーズに到着。車をガレージに入れる。
借りるときに応対してくれた彼が今回も窓口にいた。
「そんな日焼けした顔で、仕事は大丈夫か?」
一通りの手続きが完了すると彼は言った。ここまで何回か触れてきたが、私の顔は激しい日焼けによって真っ赤とか真っ黒のレベルを超え、ボロボロになっていたのだ。
振り返ってみれば、リフェルベルク駅前でマッターホルンの雲が取れるのをウトウトしながら待っていたあたりで恐らく日焼けはミディアム状態。
翌日は雲ひとつないなかマッターホルンに大接近。ここでおそらくウェルダンに達し、翌日はエッシネン湖でボート。さらに次の日はアイガーを見ながら終日トレッキング。
とにかく激しく陽を浴びた今回の旅だった。
「OK!OK!」
「そう?スイスではダメなんだよ(ニヤリ)」
なぬ~!そりゃ~あなたは大丈夫でしょうよ。東南アジア系の血が混じっているらしい彼は、元からだいぶ浅黒い。
まだ、飛行機の時間までには余裕があるので、朝のチューリヒの街を散策しながらホテルへと向かう。
昨晩の喧騒が嘘の様。街は静かで行き交う人はまばら。石だたみを叩く足音だけが響いている。
リンデホフの丘に登る。丘の上は平坦な公園になっていて木々が茂っている。
朝の散歩をするお年寄り、ベンチに座る若いカップル、鳩と戯れる親子の姿。そのなかに結婚式を挙げている1組がいて、何気ない朝の風景にアクセントを与えている。
丘の展望台から見下ろすとリマト川とチューリヒの旧市街の町並み。残念ながら川岸一帯は工事中でガチャガチャとしており、本来の美しい姿は想像するしかない。だんだんと青空が広がり気温があがってきた。今日もいい天気になりそうだな。
ホテルに戻り、チェックアウトを済ませたら、空港までは来たときと同じで電車を利用。有人窓口で切符を買い、次の列車の発車ホームを聞く。
1週間前に到着したときは地下ホームだったが、今度は行き止まり式の地上ホーム。こっちの方が雰囲気があるし、なんと言っても大きな荷物を持つ身にはラクだ。ただ、車内は満席で荷物と一緒にデッキに立つこととなった。
タイ航空TG971便は定刻を20分ほど遅れてチューリヒ・クローテン空港のゲートを離れた。行き先はもちろん成田ではなくバンコク。我々の旅はまだ終わらない。
バンコクの朝
窓の外は夜明け前。着陸体制に入った飛行機はフラップを目一杯広げ、バンコク・ドンムアン空港を目指して降下して行く。周囲は家々が立ち並ぶエリアの様だが、ネオンの光や窓から漏れる明かり等は無く、オレンジ色の外灯だけが見ている。その間を駆け抜けて行く白い光は、バイクのヘッドライトらしい。
成田行きの便の出発時間までは5時間あまり。その間にバンコク市街まで出て、朝の屋台でトムヤムクンでも喰ってやろう・・・というのがこの旅の最後の企画。しかし、成田までの航空券を見た入国管理官は顔をしかめた。
「帰りの便まで時間がない。なぜ出国するのか」
という内容らしいことを英語で問いかけてくる。私は正直に答える。
「トムヤムクンを食べに行く」
「トムヤムクンなら空港で食べたらどうか?」
と係官。そりゃそーだ。
「私はバンコクの風を感じたい。食べ終わったらすぐここに帰ってくる」
果たして、私のメチャメチャ英語がどこまで通じたのか疑問だが、係官は「勝手にしろ」という感じで軽くため息をついて通してくれた。
到着口を出ると盛んに声をかけてくる観光案内所やタクシー紹介所などは「地球の歩きかた」によると軒並み悪徳業者らしい。知らなければ間違いなく騙されてしまいそうな、堂々とした連中ばかり。
そこを抜けて、公営のタクシー配車所に行く。ここなら多少は信用しても良いらしい。とは言え、やはり油断は出来ない。四角い顔をしたいかにも怪しい風情のドライバーは、配車窓口の女性が差し出す紙を掴むと、そのままポケットに突っ込んだ。本当ならこれは乗客に手渡すものらしい。
走りだしてもメーターを倒さない。まあ、もめるなら目的地についてからにしよう。今、やりあっておかしなところに連れて行かれでもしたら厄介だ。
夜は白々と明けていた・・・にしても、このタクシーの飛ばすこと飛ばすこと。早朝のハイウェイにほとんど車はいないとはいえ、カローラで150kmは出し過ぎでしょう。
バンコク・フアランポーン駅に到着。
別段、駅を見る必要はないのだが、駅は街の玄関口のような気がするので、何となく見ておこうという気になる。料金は高速代込みで600バーツ。ガイドブックで見た通常料金の1.5~2倍近い額をふっかけてくる。メーター倒さないでおいてこれくらいなら、ま~ありかって感じ。日本円にしたら1000円足らずの違いだし(1バーツは約3円)、約1.3倍の早さで着いたし。
往路の空港での食事はカードで払ったので、所持金は1000バーツ札しかない。思った通り「釣銭が無い」と運転手。こっちも金額は言い値で呑んだんだから、これ以上は譲れない。
やがて運転手は車のトランクを開け、奥の方にあった缶から金を取り出した。まだ足らない。
これでどうか?と言った顔をするが、こっちもこれで1000バーツ札を渡す訳にはいかない。運転手は投げやりな態度で周囲のタクシーから金を集めると、私に突き出した。
すっかり夜の明けたフアランポーン駅前。5年前の香港以来、久しぶりに訪れたアジアの都市。暑く湿った風、排気ガスと香辛料とお香とドブ川が混ざりあったような臭い。雑然とした街並み、けたたましいクラクション。
一方、昨日までいたスイスはこれと真逆の世界。涼しく乾いた空気。花と干し草と牛糞の匂い。美しい山々と街並み。登山電車の汽笛と氷河の崩れる音・・・。
この違いはかなり体にこたえる。
とりあえず、タイ王宮など観光名所の集まる方に向かって歩きだす。道の両側は中華街。まだ店は開いておらず人通りはほとんどない。車道は信号が変わる度にバス・タクシー・ツゥクツゥク・バイクなどが津波のように押し寄せてくる。
30分ほど歩いたところで、すっかり暑さにやられ、現れた公園に涼をとろうと足を踏み入れる。が、そこに涼はなかった。ウォーキングをする人達で公園の歩道はせわしない。広場ではエアロビをしている集団もいる。みんな黄色いシャツを着ている。
公園を抜けて、土塀の向こうに尖ったストゥーパ(仏塔)が多数見えてくると「ワット・ポー」。この寺院はタイ式マッサージの総本山で46mある金の寝仏像がみどころ。ひとり20バーツを支払って北側の門からワット・ポーのなかへ入る。寝仏があるお堂は、まだ朝早いせいで入れなかったので、まずは寺のなかを散歩してみる。
林立するストゥーパ。なかでも4本がひときわ大きい。ラーマ1世から4世まで歴代王の墓だそうだ。細工のされた極彩色のストゥーパを眺めていると、タイの仏教は日本のそれはまるっきり別物だということを感じる。
本堂の回りを一巡りしたら、木陰のベンチに腰掛けて寝仏堂が開くのを待つ。蒸し暑さは相変わらずだが、日影はホッと一息つける。気のせいか、風も涼しげだ。そこはかとなく漂うお香とジャスミンの匂い。静かな境内。学生らしきグループや散歩の途中らしい夫婦も、真面目そうでいながら、なおかつどこかのんびりとした面持ち。外国人の我々に興味を示すでもなく、かといって無視するでもなく。
蒸し暑いなかにも、何となく居心地のよい雰囲気。よく、タイに病み付きになる人がいるらしいが、何となく理解できる気がした。
靴を脱いで、寝仏堂に入る。
建物のなかは案外ひんやりとした空気。我々のような観光客が半数。金色の巨大な寝仏に盛んにシャッターを切っている。あとの半数は信者で、観光客には気も留めずに熱心に祈りを捧げている。この妙にリラックスした姿勢の仏様は、高さは無いがとにかく長い。建物の中では全身の様子がよく判らない。
ワット・ポーを出て、うす暗く湿った路地を行く。粗末な家で朝食をとる家族、上半身裸で駆けていく少年達を横目に進んで行くと茶色い大河にぶち当たる。チャオプラヤ川だ。
ゆったりとした流れは、激しく行き交う小型船によってかき混ぜられている。茶色く濁った水は見た目に決して綺麗とは呼べないが、世界有数の稲作地帯である巨大デルタを育んだことを思うと、妙にうなずける。
そういえば我々が学生の頃、この川はメナム川と呼ばれていたっけ。
屋台で買った冷えたジュースを飲みつつ、涼しいタクシーの後部座席から窓から流れゆくバンコクの町並みを眺める。街の至る所に国王ラーマ5世と王妃の巨大な肖像画が掲げられている。タイ国民の国王に対する畏敬はかなり高いらしい。
帰国後に知ったが、この日は建国記念日の3日前だったのだ。たくさんの肖像画や、街で見かける人々の8割近くが黄色いシャツを着ているのはそのせいかも知れない。
今回は運転手と交渉・・・ではなくて、
「400バーツ」
と一方的に言い放って乗り込む。案外あっさりと合意。来るときもやればよかった。
ところで、トムヤムクンを食べるハナシはどうなったのか?
スイスとは何もかもが違うバンコクの空気にすっかり打ちのめされた我々は、全く食欲が湧かず、チャオプラヤ川を見届けたのち、コンビニに立ち寄りジュースを購入。ワット・ポーから表へ出たところでタクシーを拾い、一路ドンムアン空港へと向かっていたのだ。
さらばバンコク。もう、恐らく来ることはないだろう。少なくとも欧州帰りに立ち寄ることはすまい。体力的にキツイ。
それから約8時間後の日本時間午後4時過ぎ、1時間遅れでタイ航空TG641便は成田空港に到着。日本も暑いが、タイのそれとはやはり質が違う。
さて、航空券も宿も個人で手配し、道中はずっと2人だけ。しかも移動はレンタカーでという、我々にとってドキドキの旅はようやく終わった。今回の旅を計画するにあたって勇気を与えてくれたのは、水曜どうでしょうの「ヨーロッパ21カ国完全制覇」だった。あれを見ていなければ、こんな海外旅行をすることはなかったであろう。
彼らに出来たことが我々に出来ないはずはない!
どうでしょう班には大いに感謝しなければなるまい。久しぶりの右ハンドルに戸惑いながら東関道を走る私の頭の中は、行程中に何10回も聞いた「水曜どうでしょう」のエンディングテーマ「1/6の夢旅人2002」がくり返し流れていた。
(スイス・リベンジの旅 完)