ジュネーブ
流れてくる荷物を待っていると不意に名前を呼ばれた。振り返ると、ペルーのフジモリ元大統領を一回り小さくしたような品の良い紳士がいた。出迎えの現地コーディネーターだ。
出迎えは到着出口の外で名前を書いた紙を持っているのを想像していたが、この空港ではここまで入って来れるのか。それに先に向こうが我々を見つけるなんて・・・。
きっと添乗員スズキさんが、我々の容姿をよほど的確に伝えていたのだろう。アレクサンドロ氏の時にそうだった様に。
「重いですねぇ」
フジモリ氏はそう言いながら我々の荷物を車のトランクに入れた。だから、いいって言ったのに。もっとも、我々に任せて、万が一車に傷をつけられたらかなわん・・・という配慮かも知れない。
なにしろ迎えの車はベンツ。しかもピカピカの黒。日本で黒のベンツがいたら避けて通りたくなるが、ここでは実に上品に見える。
「やはり丈夫ですから」
なぜベンツなのか?という私の問いに対するフジモリ氏の答えがこれ。その総革張りの後部座席に収まる。
空港からジュネーブの市街地に向かう途中には、様々な国際機関がならんでいる。運転手として若い西洋人が別にいて、フジモリ氏は助手席から街の様子を説明してくれている。
ジュネーブ・コルナバン駅からレマン湖畔へと伸びるメインストリート。そこから一本東へ入ったところに我々の泊まるホテル「トリップ・ベルン」はある。街自体がレマン湖に向かって緩やかに傾斜していて、そのせいかロビーが半地下のようになっている。
チェックインはフジモリ氏がやってくれている。レセプションの対面にエレベーターが2機。内扉はスライド式だが、木製の外扉は玄関のドアの様に手前に引くタイプの古風なものだ。奥は小さなカフェになっていて、階段で2~3段低くなっている。手前に階段があって、各フロアは階段を軸に小さな回廊となっている。大きくもないし高級でもないが、どことなく品格のあるホテルだ。
部屋に荷物を置いたら、すぐに出かける。このあたりはコルナバン駅から近い新市街で、レマン湖畔まで道は碁盤の目状になっている。新市街とはいえ、近代的なビルが並ぶ訳ではなく、近世以降の程よく古びた建物が多い。旧市街は同じレマン湖畔でも、ローヌ川を挟んだ反対側にある。
まずはコルナバン駅を目指す。別に目的はないが「駅=街の中心」だから、駅をみることはすなわち、街を見たことになるような気がするからかも知れない。
コルナバン駅は、以前の上野駅をふた回りほど小さくしたような外観。そのさほど大きくない駅前広場を路面電車が頻繁に行き来している。
駅の中に入る。線路は高架になっていて、建物に入るとすぐに階段に突き当たる。ジュネーブはフランスとの国境が近いので、階段を昇ったところではパスポートチェックがあることが看板に書かれている。
駅ナカのミニコンビニに立ち寄ってジュースなど買ってみる。ジュネーブはこれまでより滞在が長いので、なにかと買い物があるかもしれない。だから物価調査も兼ねている。日本と同等かちょっと高めだが、パリやローマの街中の店よりは若干安いかもしれない。
駅前通りであるモンブラン通りをレマン湖畔の方向へと歩いて行く。おみやげ物や時計を扱う店がならぶ商店街で、道は湖畔に向かって緩やかに傾斜している。ここからだと湖面は良く分からないが、対岸の山の緑が見えている。通りの名称と位置関係から想像するに、恐らくモンブランが望める通りなのだろうが、今は雲の向こうらしく見えていない。
時刻は午後8時半を回っているが、まだ夕方とは言えない明るさ。しかし店のほとんどは閉まっていて、みやげもの屋で開いているのは1軒しか見つからなかった。奥に向かって通路の様に細長い店内。
腕時計やハト時計、ナイフにジッポ、キーホルダー、絵葉書などがところ狭しと並んでいる。いかにもスイスっぽいものが勢揃いしているが、逆に物珍しいものはない。ハト時計などは見ていて楽しいが、ほとんどが500スイスフラン(約4万円)以上で、とてもじゃないが手が出ない。手の平サイズのおみやげ用ハト時計は30スイスフランくらいからあるにはあるが、ドンキホーテで売っていそうなクオリティ。
駅から湖畔までは1km足らずだった。東西に細長いレマン湖は、西の果てにあるここジュネーブでジョウゴの口のように狭まってローヌ川となり、大西洋まで続いているのだ。
対岸には、パリのアパルトマンに似た5~6階建てほどの建物が並んでいる。
その方向に向かってモンブラン橋を渡る。右手にはルソー島という名の小島があって、今歩いている橋のすぐ下流にあるベルグ橋とつながっている。対岸はイギリス公園と呼ばれる緑豊かな公園。店じまいモードの屋台のみやげ物屋があって、花壇があって、遊覧船の桟橋がある。
少し離れた所では、何やらイベントの準備がされていて、小さな特設ステージにはアンプやスピーカーが並んでいる。観衆はまだポツポツ程度で、時折、マイクテストのエレキギターの音だけが聞こえる。水のある景色は素敵だ。ここまで乾燥地帯ばかりだったので、夕暮れ迫る湖畔は心も体も潤う様に感じる。
モンブラン橋の下をくぐって、旧市街の方を目指す。手が届きそうなところに黒々とした水面。レマン湖水の出口になっているせいで、さざ波立ってこそいないが流れが速い。深さもありそうだ。隘路で行き場に迷った水が造り出す幾つもの渦が形を変えながら下流へと移動している。
モンブラン橋をくぐった先の河岸通りは、高級ブランドショップが並んでいて賑やか。川岸のプロムナードに並んだ出店では酒が呑め、焼きたてのソーセージやローストビーフなどのイイ匂いが漂っている。しかし、賑わいの中心は、通りがちょっと広くなったところにある特設スタンドだった。黄色いノボリがたくさん立っていて、照明が眩しく光っている。男達の叫び声と笛の音、時折、大きな歓声が聞こえる。チケット売りの少年達もいる。
チケットは買わずに、スタンドの隙間から中の様子を覗き込む。なにやら競技が行なわれていて、四方の小さなスタンドはほぼ満員。カクテル光線のあたるフィールドはビーチバレーのように砂がひかれている。一角の台上には、スポンサーであり、賞品でもあるのかもしれないオペルのスポーツセダンが鎮座している。このスポーツは一体なんだろう?
黄色いノボリには「チュックボール」と書かれている。ゲームは5人ひとチーム。手でパスを回してハンドボール大の球をシュートしあうのだが、ゴールは1個しかない。だから、両チームとも同じゴールに向かってシュートすることになる。
さらにシュートして終わりではなく、その弾力のあるネット状ゴールのリバウンドを相手方にキャッチされなければ、そこで初めて得点になるらしい。
足もとが砂地のうえ、結構動きが速くてハードそうだが、結局のところ「いかにシュートするか?」よりも「いかにリバウンドを拾うか?」が大事だから、激しいボールの奪い合いやぶつかり合いはない。永世中立国スイスにピッタリのスポーツなのかも知れない。
カルボナード
ゲームを見ているうちにあたりはだいぶ暗くなってきた。時刻は間もなく午後10時。空腹も限界なので、夕食を求めて橋を渡りコルナバン駅の方へ戻る。
モンブラン通りからすぐのところにあるレストラン「ラ・マッツエ」に入る。通りに面したソファー席に案内される。大きな窓の外はすでに陽が落ちて、歩く人の表情も見えない。
店内も薄暗い。中程に衝立てが置かれているせいもあって、奥の様子は伺い知れない。
年季は入っているが高価ではなさそうなテーブルやソファーや椅子、窓枠、壁やそこに掛った額縁、花瓶、食器類。どれも微かな光のなかで妖しげな存在感を漂わせていて、電気がない中世の城の一室にいるような感覚にさせる。
ビールとワイン、そして料理はカルボナードをオーダー。カルボナードはフォンデュの一種だが、パンじゃなくてビーフ。つけるのはチーズじゃなくて様々な薬味やソースで、西洋風焼肉といったところだろうか?
コンロは鉄製の火鉢の様なもので、先が小さく二股になった独特のフォークのようなもので食べる。脂の少ないロースは片面がレアなくらいが美味しい。
食後、酔い冷ましをかねてローヌ川の岸辺を散歩する。両岸の建物が淡いオレンジ色の光に包まれている。主張し過ぎない屋根のネオンが、やさしく水面に映っている。ほんの2時間ほど前まで賑やかだったスタンド周辺も今は明かりが落ちて、観客の姿もない。
モンブラン橋を行き交う車の音と、さっきは聞こえなかった川の音・・・せせらぎではなくて、大量の水がゆっくりと太い帯のようになって移動して行く時の、吸い込まれそうな音が聞こえている。
ゆっくり散歩する人や、足早な仕事帰り風の人が通り過ぎる橋の上。涼しい風を受けながらジュネーブの上品な夜景を見る。近くのベンチでは体を寄せ合う恋人たち。
一方、我々の泊まる「トリップベルン」周辺はチョット下品な賑やかさに包まれていた。
このエリアには安酒場やジャンクフード店が多く、酔っ払いの労働者風や若者が狭い歩道をワイワイと行き来している。それと路地の入口辺りには、派手な服を着た女性が立っている。彼女達は娼婦。何人かがそこで立ち止まっては二言三言交わし、そのまま立ち去っていく。
そういえば、ここまで旅程でこうゆうネーちゃん達が見かけるような場所はなかったな。場所はあったのかもしれないが、時間帯が違ったのかも知れない。なかなか庶民的でいいじゃないの。ホテルの部屋から見える裏路地もいよいよ怪しい。紫色のネオンにズバリ「SEX SHOP」の文字。この通りも20m間隔くらいに娼婦が立っている。