エスカルゴ
小雨のパラつくなか、シテ島から南方向にしばらく歩いたのち、バスにピックアップしてもらう。次は昼食。再びオペラ大通りに移動し、通りに面したレストランの2階へ導かれる。ここで添乗員スズキさんが無事に合流。もちろん手配も無事完了したようだ。14人が案内されたのは、店の一番奥まった席だった。
暗い・・・。
卓上にキャンドルが灯され、昼だというのにディナーの雰囲気。こりゃあ〜明らかに団体専用席だな。どうやら2階全体が団体専用らしく、それから数分のうちに窓際のテーブルも団体客らしき西洋人で埋まってしまった。う~む、この一番奥は日本人団体客専用だったのか。もっとも、我々が一番乗りだったから、奥から詰められたのかもしれないが。
「とりあえずビール・・・いっちゃいますか?」
同席のU夫妻に声をかけてビールを2本頼む。むろんツアーとは別会計。やってきたのは「クローネンブルグ1664」なるフレンチビール。1664年と言えば、太陽王ルイ14世の全盛の頃。でも名前はフランス語っぽくなくて、どちらかと言えばドイツ語に近い気がする。
さて、乾杯。しっかりとした味わいで、あと味もよく、きめ細かい泡が日本人好みだろう。少なくとも私の好みではある。
前菜はエスカルゴ。やっぱりフランスに来たらエスカルゴでしょ。恐らく、食べるのは25年振りくらい・・・記憶が違ってなければ、小学生のときに函館の「五島軒」で食べて以来のはず。
バターとオリーブオイルとパラペーニョソースの香りが食欲をそそる。それと、周囲の適度な暗さが、ともすればグロテスクなそのシルエットを、程よく包み隠してくれている。ところが現地ガイドさんだけは、コースメニューの差し替えをお願いして、エスカルゴではなく野菜炒めを食べている。
「コレステロールが高い体質なので食べない様にしている」
とのこと。なんて不幸な!もっとも、これまでのパリ暮らしでさんざん食べてきた結果、高コレステロールになってしまったのかも知れない。我々はそれを尻目に次々とエスカルゴを空にし、たちまちビールを飲みほす。
もっと呑みたい・・・。
Uさんも同じ顔をしている。しかし、まだ昼間だということに加え、食事のあとのベルサイユまでの移動の間はトイレに行けない。
そんな大人の判断で、4人ともグラスワインをオーダー。結局呑むことに変わりないが、ワインの方が膀胱へのストレスが少ないに違いない。
ベルサイユ宮殿
なだらかな山に囲まれたすり鉢の底に広がるベルサイユの街。空港からパリ市街までは地中海性気候らしい乾燥した丘と畑の中を通る道だったが、ベルサイユ周辺の景色は温帯に広がる雑木林の雰囲気。
ベルサイユ宮殿は街の西にあり、南北に翼を広げて街を見下ろすように位置している。東側から宮殿の門をくぐると、緩やかに傾斜した石畳の広場にでる。この広場を3方から囲むのが、ブルボン王朝の栄光の証、そしてフランス芸術と文化の象徴「ベルサイユ宮殿」。
広場の中央に建つ緑色をした騎馬像がこの荘厳な宮殿を作った人物。「太陽王」ルイ14世、その人だった。宮殿の建物を廻って反対側へでる。
そこはとてつもなく広大な庭園。整然と配された噴水や花壇と芝生を見下ろす。その先には森を切り開いて四角い池・・・というよりは運河のように見える水辺が延びている。
それが地平線まで続いている様に見えるといっても決して大げさでない。そのあたりを歩く人達の姿は豆粒の様。距離感を麻痺させる巨大さで、どれくらい離れているかは見当がつかない。西洋の王様のやることは判らん。
これを「庭」と呼んでいいのだろうか?あまりにデカイ。こんな広大な庭園を持つ豪華な宮殿に住んでいて、毎日なにをして過ごしていたのか?
こんな環境で、果たしてまともな政治が出来たのだろうか?美しさに感激すると同時に、その広さにはなんだか呆れかえってしまい笑うしかない。
耳太郎のスイッチをONにして、いよいよその豪奢な宮殿のなかへと入る。進めど進めど部屋、部屋、また部屋・・・。
それぞれに「なんとかの間」「かんとかの間」と名前がつけられている。そしてどの部屋にも天井画が描かれ、細かな装飾が施された壁には彫刻であったり、絵画であったりが飾られている。ベルサイユは単なる宮殿ではなく、博物館でもあり美術館でもある。
現地ガイドさんは、フランスやブルボン王朝の歴史を交えながら、これらをひとつずつ丁寧に解説してくれる。しかし、とてもじゃないが頭に入りきれず、断片的にしか記憶に残らない。
それに「世界史」選択じゃなかった私は、あまり予備知識がないのだ。
それに対し、あこには若干の予備知識があった。とはいえ、それはマンガ「ベルサイユのバラ」。さらに子供の頃に読んだきりなので、鮮明なストーリーは覚えていないらしい。私は読んだことないので「オスカル」って名前くらいしか知らない。
とにかくルイ14世は豪華絢爛なものが好きだったらしく、これでもかこれでもかとゴージャスな装飾や美術品や家具などが続いているが、極めつけは「鏡の間」。
この宮殿に入ってからここまで廊下らしいものはほとんどなく、部屋と部屋とが数珠繋ぎになっていたのだが、ここ「鏡の間」は、「間」とはいうものの、どちらかというと廊下に近い。
第1次世界大戦後の1919年、ベルサイユ条約が調印されたのもここ。天井には、これまた豪華なシャンデリアが多数。壁には、当時は恐ろしく高価であったであろう大型の鏡が惜しげもなく使われている。その長さ73m。
でも、実はこのとき全長の2/3ほどが工事中で見ることは出来なかったのだが、それでも充分に贅沢な雰囲気が伝わってくる。
ベルサイユ宮殿に象徴されるブルボン王朝の繁栄は、同時に貴族などの特権階級への庶民の怒りを生んだ。
さっき庭園を見下ろして感じた、呆れるような感覚を、やはり当時それを見た庶民も同様に味わったに違いない。そこにアメリカの独立戦争などによる財政悪化などが加わり、やがてフランス革命へと至ることになる。
ベルサイユの街角
宮殿の北の端から歩いて街の方へ。裏門のような所から表へでて、石畳の並木通りを下って行く。ゆったりとした造りのアパルトマンが多く、落ち着いた地方都市の風情は、にぎやかで華やかなパリとは対照的。
通りに面した塀や建物の壁のあちこちにキズがあるところもパリとは違う。なかには結構傷みが激しいものもある。やはり、パリに比べると金がかけられていないのだろう。
我々が何処へ向かっているかというと、それはまたもや免税店。歩いて10分足らずで到着。免税店は宮殿から続く坂道の途中の静かな住宅地のなかに、自己主張することなく店を構えている。
店内には流暢な日本語を話すフランス人店長と、数人の日本人スタッフがいる。トイレを済まして、くるっと店内をひと巡りしたら再び表へ。
店を出てさらに坂を降りていくと、少し大きな交差点に出る。ここから道幅は広くなり、歩道も両側を鮮やかな緑の並木に挟まれた小路になっている。
すぐ脇を走り抜けていく車や観光バスが、なぜか遥か彼方の風景に感じられる。そう錯覚させる不思議な並木道だ。しかし、沿道のカフェやショップは閑古鳥が鳴いている。この並木のおかげで、完全に通りと隔てられているせいだろうか?
ボチボチ集合時間となったのでバスに乗り込む。バスはホテルに向かって走りだした。
ベルサイユはパリから南西に約20kmのところ。一方、ラデファンスはパリの街の北西に位置する。そんなわけで両者は意外に近くて、現地ガイドさんの話や添乗員スズキさんの連絡事項を聞いているうちにバスはホテルに到着。この時点から、パリを去る明後日の早朝まではフリーとなる。
時刻はまだ午後6時。部屋でシャワーをサッと浴びて、またすぐに出発。現地ガイドさんからのアドバイスでは、距離は大して変わらないから(実際は若干遠い)、ラデファンス駅よりひとつパリ市街寄りの駅「エスプラナード・ド・ラデファンス」を利用したほうが、道が判りやすいのと、地下道を通らないで済むから安心とのことだったが、まだ明るいのでラデファンス駅を目指す。昨日と同様に地下道をとおり、そして昨日と違って駅に入る手前で地上へとあがる。
ビル風が吹き抜けていくブロック張りの大きな平坦な広場にでる。同じパリだとは思えないようなモダンアートなベンチや花壇や柵。そして広場を取り囲むように立ち並ぶ近代的なビル。
そこから吐き出された人々が、この広場を縦横に闊歩し、同様にメトロの駅や地下街とを結ぶ出入り口を多くの人が行き来している。
駅や、駅に至る地下道などが実は「地下」ではなくて、上にこの広場がプラットホーム状に乗っかっていて、地下のようになっていたことに気付く。
そして、西の端のひと際目をひく四角い巨大な建物が新凱旋門(グランド・アルシェ)。その姿は「近代的なもうひとつのパリはここにある」と語りかけてくるようだ。