アンヴァリッド
陸軍士官学校が目の前に迫ってくるとシャン・ド・マルス公園も終了。ここにあるガラスと鉄板とポールを組み合わせた不思議なモニュメントを眺めたら、士官学校を右手にみながら進路を北東にとり、次の行き先をアンヴァリッドに定める。
金色のドームが印象的なアンヴァリッドは、別名「廃兵院」と呼ばれている。
字面からだと、なにやら傷ついた兵士をボロ雑巾のように捨てる場所のように感じる(のは私だけ?)が、実際は、戦場はもちろん一般生活に戻るのも困難な戦傷兵を官費で養うための施設で、ルイ14世によって建てられた。
現在は、軍事博物館になっており、ナポレオン1世の墓所となっている教会もある。
その場所へとたどり着く前に、ノドの渇きと空腹は限界に達していた。5本の道が交わる大きな交差点に面したカフェに転がり込むみ、通りに面した屋根のひさしの下、直径60cmくらいの丸テーブルに隣り合わせに座る。
「びあ しるぶぷれ」
それと、フランス語の下に小さな英語が書かれたメニューから、比較的ラクに解読できた「オムレツ」と、なんとか解読できた「インゲン豆のソテー」をオーダーする。
ふ~。日陰だとだいぶ暑さをしのぐことができる。そこに、紙のテーブルマットとフキンにナイフ・フォーク、それとパンの入ったバスケットが運ばれてきた。そして、待ってました真打ち登場!ギャルソンがビールを運んでくる。めるしぃ~。これに口をつける。
旨っ!生きてて良かった思える瞬間。しばらくののち、インゲン豆とオムレツが到着。これも旨い。インゲン豆のソテーは、油がいい感じのツヤと香りを放っている。それでいてシャキシャキした歯ごたえ。ちょっと強めの塩気もツマミにちょうどよい。
バターの香りのする素朴な感じのオムレツもまた良し。ふっくら柔らかななかに、糸をひくチーズ・・・幸せ。
それと、昨日から感じていたが、どの店もパンが本当に美味しい。旅先で腹が減っているせいも少しはあるだろうが、それだけとは思えない。なんでだろう?自家製の窯で焼いたピザを出す店が多いのだから、きっと、パンも自家製手作りパンなのではないか?と想像してみる。
店の奥、地下にあるトイレに寄ってから再びアンヴァリッドに向けて出発・・・というほど大げさなものではなく、実は案外近い。
裏通りっぽい静かな並木道を歩くこと数分で、目の前に金色のドームが現れる。周囲は幅3mほどの空堀になっていて、高さは2m足らず。昔は水が張られていたのだろうか?
堀の外側は、小さな広場になっていて、いくつか銅像が建てられている。昨日、北側(正面?)からみたアンヴァリッドは、横に大きく拡がった廃兵院の建物の中央から、この金ドームがニョッキと突き出ている感じだったが、実はそうではなく、独立した小さな・・・いや、それほど小さくはなてむしろ結構大きいのだが、別の建物だったと判明。建物の形からして教会っぽいので、ここがナポレオン1世が眠っている場所だろうと想像するが、勉強不足で判らない。
なかに入れば確かめられるが、どうしよう。軍事博物館にもすごく興味があるが・・・。いや、止めておこう。明日の朝にはパリを発つのだ。博物館を見だしたら、それで半日終わってしまうだろう。もっともっとパリの街を歩こう。
カフェ・スパイラル
アンヴァリッドの外側を左回りに歩いていくと、メトロのヴァレンヌ駅に着く。そこから13号線に乗って北上し、クリシー通り駅へ。さらにそこから2号線に乗り換えてふたつ目のピガール駅で地上へ出る。
出口はクリシー通りの小さなロータリー内にあった。周囲の街並みは、これまでと違って下町風情にあふれている。
狭い歩道に張り出すようにして商品を並べている八百屋や魚屋やパン屋。間口の狭い雑貨屋や金物屋。多くのカフェは狭い歩道にテーブルを2つか3つ窮屈そうに並べている。
車が入れなさそうな狭い路地は、緩やかな坂を描いている。これまでの「賑やかで華やか」とか「落ち着いた上品な」ではなくて、ガヤガヤと騒がしい感じの街。ここはモンマルトルの丘のふもと。
人々が行き交う路地を丘の上のほうへ向かって歩く。細い道が入り組んでいるので、地図を見ても現在地がはっきりと分からない。
そこで、丘の上を目指す前に、少し前にアンヴァリッドのそばでカフェに立ち寄ったばかりなのに、路地が集まった小さな広場に面したカフェを見つけて、そこの椅子に座る。第1の理由は、トイレに行きたくなってしまったからだ。さっき、ビールをのんでしまったし・・・。第2の理由は、なにしろ暑いので喉が渇いたこと。携えていたペットボトルも、頻繁な水分補給によりカラになっていた。
それにしても、街なかに公衆トイレがほとんど無いというのが痛い。メトロの駅にも無い。きっと、これは陰謀に違いない!というのが、カフェのテラスでジュースを飲みながら我々が出した結論。
解説しよう。つまりはこうゆうことだ。パリ中のカフェのオーナー達で作った「カフェ事業者協会」の様な団体があるとして・・・いや、規模の大小はともかく、似たようなものは必ずあるはず。その団体が行政と組んで、ワザと街なかに公衆トイレを設置しないようにしているのではいか?これにより、下記のようなフローが出来る。
暑い→喉が渇く→カフェに入る→水分補給→尿意→トイレが無い→またカフェに入る→ 水分補給→尿意→トイレが無い→またまたカフェへ→あとはエンドレス・・・
これは冬でも同じこと。最初の部分を「寒い→トイレが近い」に置き換えれば、以下同文。これが陰謀でなくてなんなのか?
時は少し下るが、モンマルトル周辺を歩き回ったあとも再び我々は、喉の渇きと尿意に耐えきれず、またまたカフェに立ち寄ることになる。まさに「恐怖のカフェスパイラル」へと我々は陥るのであった。
モンマルトルの丘
カフェをでて、丘の頂を左手に意識しながら下町の路地を歩く。すぐに左手に伸びる急な石階段と、その傍らの人だかりに出会う。石階段は有名なモンマルトルの石階段。人だかりは、階段に沿って丘の上へと続くケーブルカーを待つ人達の列。
よほどの高齢者でなければ、わざわざお金を払って乗る必要もないと思えるのだが、なかなかの盛況ぶりだ。
石階段の長さは100m足らずだろうか?
途中に2~3ヶ所の踊り場があって幅は5mほど。丘の上に向かって右にケーブルカー、左は急な傾斜にあわせて階段上になったアパルトマンになっている。そのアパルトマンの裏窓と石階段を隔てるものは何も無い。
おかげで、窓辺に腰掛けて本を読む青年、掃除機をかける女性、ラジカセから聞こえる音楽etc・・・。
気取らないモンマルトルの住人達の生活が目に入ってくる。階段を挟んで反対側を白いケーブルカーが軽い音を立てて昇り降りしている。
階段を中程まで登って雰囲気を味わったら、引き返してその先のサン・ピエール広場へ。
おお!
丘の上に建つのがモンマルトルのシンボル「サクレ・クール」。坂の途中の大理石で装飾が施されたテラス、芝生や木々の緑。そして白亜の教会。夏の強い陽射しを受けた細かい螺旋模様が、光と陰でドームの立体感を強調している。よ~し、写真撮ってやろう。
下から撮るから、そこのテラスまで先に昇りなさい。広場の左右から半円を描いてテラスへと至る階段を昇っていくあこ。一旦、木立で姿が見えなくなるが、すぐにテラスからヒョイと顔を出す。はい、パチリ。
いま、そこへ行くぞー。なになに?聞こえない。
こちらに向かってなにやら叫んでいるのだが、周囲が騒がしくて聞き取れん。今度は謎のジェスチュア。自分の手首を何度も指差しては、顔の前で×印を作っている。なにそれ?中森明菜の復帰会見のマネ?なんのことやらよく分からん・・・。
首を捻りつつカーブを描いた階段を昇ると、階段の中程に4~5人のゴツイ黒人男性が立ちはだかっている。
「ミサンガ、ミサンガ」
と言いながら近寄ってくる彼等。なかなかの迫力。たじろぐ観光客達。
なかには、半ば強引に腕をとって手首に巻こうとする輩もいたりする。これがまた、下からだとちょうど木立の陰になって見えないところに彼等はいる。
昇り階段で足元に気をとられていると、不意を突かれる形になるのだ。なかなかあざとい。巻かれたそのあとのことは想像に難くない。屈強な彼等は、不当な値段を要求してくるに違いないのだ。ようやく分かったよ。あこのブロックサインはこのことだったのね。
そうは言っても、あこ1人でも平気だったんだから、通過はさほど難しくない。相手にしなければいいのだ。
モンマルトルは、普通に思い描く「丘」のイメージからすると結構な急斜面だ。スキーだったら中上級コースくらいだろうか。そこには大勢の人達が街の方に向かって座っている。もっとも、街の側に背を向けて座ると、うしろ向きにひっくり返ってしまうだろうから不可能なのだが。
芝生を登りきったところがまたテラスになっていて、ここからサクレ・クールまでのアプローチの階段周辺は大道芸人の姿があったりして賑やか。階段の端に寄りかかりながら、パリの街並みをバックにした彼等のパフォーマンスを眺める。なんだかとても楽しい気分。
一番視線を集めていたのは親子バンド。父親はギター兼ボーカル。息子はドラム担当。父親のボーカルも良いが、負けずにノリノリの息子がまたイイ。曲は70~80年代のロック。聴いたことがある曲ばかりなのだが、あまり詳しくないので、ここでアーティスト名や曲名が出てこない。なかの1曲はアレだ・・・えーと。
映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」でマイケル・J・フォックスがダンスパーティの場面でステージ上で唄い狂っていたアノ曲なんだが・・・思い出せん。
モンマルトル散策
彼等のビートを耳の片隅で追いつつ、サクレ・クール聖堂を間近に見ながらテルトル広場へ。
こっちは、さらに多くの人々で賑わっている。広場の入口近くには大きなエアー式のオルゴールを奏でながらシャンソンを唄うおばさん。
広場のなかでは絵描きが筆を振るい、似顔絵を書いてもらう人とそれを覗き込む観光客でごった返している。「ソックリ~、ニテル~」と日本語での呼び込みもあったりする。
広場の周りはカフェが並んでいて、みんな昼間からワインやらビールやらを飲みながら賑やかにランチをとっている。店内からは大きめのBGMが漏れ聞こえてくる。
ともかく、ごちゃごちゃしているが活気のある街なのだ。スリに気を付けながら、絵描き達をひと通り冷やかしたら、テルトル広場をあとにする。
ダリのギャラリーの脇を抜けて丘の小路を緩やかに下っていく。広場から少し離れると、こんどは急に雰囲気のある坂の街へと風景が変わる。石だたみの坂道、白い塀、綺麗な花が生けられた窓辺、ピアノの音。こんな所に住んでみたい。そんな風に思える街だ。
斜面の石塀から上半身・・・と言うか前半身を乗り出したモニュメント「壁抜け男」なるものが現われる。さすがは芸術家が愛した下町。
曲がった坂道をさらに降りていく。
狭い路地の交わる所にこちらに向かってカメラを構える人達がいる。今度はなにがあるんだ?
狭い路地は両側に建つ家々の壁に挟まれた深い谷底のようで、少し先の様子は分かっても、自分のすぐ近くの建物の全体像は掴めないの。キョロキョロと上の方を見回すと、屋根の向うから風車の羽根が一部が覗いているのに気が付いた。
小洒落たレストランになっているこの建物は「ラデの風車」。この風車が、果たして実用性のあるものなのかは不明。少なくともこの時は回っていなかった。
もっとも、これだけ建物が密集していては、普段から風車を回すほどの風が吹くかどうかは疑問。つまりは現在、単に風情のある目印でしかない。
いや、果たして目印としてもどうなんだろう?この入り組んだ坂の街では遠くからは見えない。かと言って我々がそうだったように、近くても気付かない。
さっきの「壁抜け男」もそうだが、観る角度や歩く方向によって、こんなところにこんなモノが!という発見や驚きに出会えそう。そんな期待を感じさせるのがモンマルトルの魅力なのだろう。
気が付くと車の通れる道に出ていたが、まだ丘の途中らしい。道沿いの店先を覗きながら緩やかな坂道を降りていく。ふと、あこが一軒の小さな店のなかへと入っていく。子供用品の店だ。
え~?
まだ早いんじゃないの?と思ったが、棚には何やら可愛いキャラクター商品が賑やかに並んでいて、意外に楽しめる。結局、超間抜け顔をしたペンギンを購入。
この旅行で3つ目のおみやげになるのだが、実はコレ、ヨダレかけなのだ。買ってはみたものの今のところ使い途がない。だから現在は単なるインテリアとして冷蔵庫にはりつけになっているのだが、その容姿は我が家を訪れる者に笑いと話題を与え続けている。
もう、モンマルトルの丘の裾野のあたり。立ち並ぶ小さな店を覗いて歩く。キッキン用品の店。ティファールが多いのは、やはりご当地だからだろう。文具店。ノート類は日本のメーカー品が目立つ。和紙テイストのものが人気があるらしい。そして、ハンバーガーショップに入る。歩き疲れたし、ノドも渇いたし、小腹も減った。それにトイレも行きたいし・・・。
これでカフェに入るのは本日3回目。まさにカフェスパイラル。ドリンクとハンバーガーとポテトをオーダーして2階へ。トイレも2階にある。表通りを見下ろす窓際の席に陣取り、さ~てトイレトイレと・・・扉が開かな~い!
扉の横に暗証番号を押すキーがついているから、おかしいな・・・とは思ったのだが、これは一体ど~ゆ~こっちゃ。思い起こせば、海外のトイレではたびたびサプライズがある。漓江下りの遊覧船での「川と直結したトイレ」。香港のペニンシュラホテルでの「ボーイが手洗いの水を出してくれるトイレ」。ホノルルのチャイナタウンでの「ガードマンが鍵をかけるトイレ」。そして今回。
しかし今回は、まだ問題解決に至っていない。果たしてこの困難を如何にして乗り越えるか?尿意を抑え、しばらくは席に着いたまま、トイレに行く人達の様子を伺うことにする。
やはり何人か我々同様ドアを開けられない人もいる。やがて、ドアの脇のキーを押して何らかの暗証番号を押さなければならないらしいことが判明。1階に降りてカウンターで「私はトイレのドアを開けることができません」と伝える。
本当はもっと思いのたけをぶつけたいのだが、会話力がそれを許さない。しかし、伝えたい事は伝わったらしく、レシートにパスワードが書いてあるとの返答。
ひとまず答えが解ったものの、こ~ゆ~システムっていかがなものか?
トイレを借りるだけの客をあからさまに拒絶するこの姿勢。やはり「カフェ事業者協会(仮)」の見えざる力が及んでいるに違いない。しかし、この話はまだ、メデタシメデタシとはならなかった。レシートって、値段以外にも色々と数字が書いてあるものなのね。レシートの通し番号なのか、レジやスタッフのコードなのか分からないが、いくつも数字が見える。そしてそれらを入力してみるものの・・・開かない。むむ、納得いかん。
キーと格闘すること数10秒。そうこうするうちに、用を終えた人が内側からドアを開けた。すかさず、さも何ごともなかった様に我が身を滑り込ませる。
しめしめ、うまい事いったぞ。しかし、目的は遂げたものの、なんともセコ~イ決着だったという思いは残る。
なお、我々の名誉のためにこれだけは言っておきたい。ここでつまずいたのは、なにも我々だけじゃない。3人に1人は同様に苦労をし、同じ解決方法を選んでいたのだから。
さて、窓のしたは表通り。車が行き交い、向こう側の小さな小さな広場には、メトロの出口もあって、多くの人が群れている。
観光客らしい人々がカメラを手に、こちらに向かって楽しそうにシャッターを切っている。窓の下を通り過ぎていく観光バスも減速したり、時には暫く停車してみたりで、窓のなかの視線もこちら側を見ている気がする。こっち方向に何が観光スポットでもあるのだろうか?
ハンバーガーショップを出てメトロの駅に向かう間に、その謎は解ける。写真を撮る人達に倣って後ろを振り返ると、そこには2つの真っ赤な風車があった。ムーランルージュだ。
入る時は全く気が付かなかったが、さっきのハンバーガーショップは、まさにその隣りにあったのだ。ムーランルージュは1889年に開店したキャバレーで、画家ロートレックも足しげく通ったところ。フレンチ・カンカンが有名で、昨晩、N母娘とU夫妻もディナーショーでここに来ていたはずだ。