古代都市ポンペイ
緩やかに波打つ大地を高速道路がどこまでも貫いている。車窓に広がる景色は、牧草地であったり、オリーブや小麦の畑であったり、もちろんブドウ畑もある。
農業と言えばまず水田を思い浮かべる日本人としては、こんな乾燥した土地が農地として成立するのか?と心配になってしまう。
7月4日、旅程は第5日目。バスはポンペイに向かっている。
ローマ→ポンペイ間は約200kmで、途中で1回だけパーキングエリアでの休憩がある。パーキングエリアは日本のものと大差ない。
違うのは、トイレの入り口に初老の女性が座っていて、チップを入れる皿があることくらい。日本同様にガソリンスタンドがあって、軽食もとれる売店がある。並んでいるのも似たようなものだが、みやげ向けの菓子や食品が多い日本に対して、こっちはアクセサリー・インテリア・工芸品が圧倒的に多い。
なかでも目を引くのが、ローマ法王ヨハネパウロⅡ世グッズ。法王の顔がプリントされたキーホルダをはじめ、ありとあらゆるものがある。
しかも、それらはいずれも在庫がてんこ盛り。これは、法王の人気を物語っているのか、法王の死によるグッズ需要増大を予想したものか、それとも、そのアテが外れた結果なのかは分からない。
乾燥した農地ばかりだった単調な景色は、ナポリの街と地中海が見えてくるとパッと華やかになる。
水平線近くに横たわっているのがソレント半島。左手には少し前から茶色い山肌のヴェスオス火山が見えている。
思えば、今回の旅で海を見るのは、往路機内での北極海以来。そして、今後の旅程を考えれば、海が見られるのは今日が最後となる。
極東の島国の住民には、3ヶ国の首都を巡りながら1度しか海が見えないというのは、なにか不思議な感じがする。
午前10時過ぎ、高速道路を降りると間もなくポンペイに到着。
待ち構えていたのは、現地ガイドの「ロベちゃん」ことロベルト氏。スキンヘッドにデップリとした体は、まるで海坊主のよう。南イタリアの夏の陽射しのもと、気の毒なくらい汗をかいている。それでいて、手に持った扇子を使うでもなしにクルクル回している。
本人は添乗員さんの旗の替わりに扇子を持っているつもりらしいのだが、そんなものなくても充分に目立つその姿。日本語はペラペラ。ナポリ大学の東洋学部で日本語を学び、さらに日本への留学経験もあるらしい。意外とインテリなのだ。その流暢な日本語でおどけてみせたり、ダジャレや冗談を連発したりと、とにかく陽気なロベちゃん。
「ナポリっ子は、み~んだこうだ」
と本人は言う。でも、その体型はナポリ的でない。それ以前にイタリアっぽくないと私は思ったが、口には出さない。ところが、サングラスを外すと見えるその目は、笑ってしまうほどクッキリパッチリとしている。目は紛れもなくイタリアンなロベちゃんだった。
ベスビオス火山の噴火によって一瞬にして火山灰のしたに埋まったポンペイ。降り注ぐ太陽と、焼けた石からの照り返しは、とにかく暑い。それは1000年前に訪れたポンペイ最後の日の熱さのひとかけらが残っていて、いまの我々がそれを受け取っているかのようだ。
大きく開けた街の広場にでる。神殿の柱の向こうにヴェスビオス火山がどっしりと腰を下ろしている。想像していたより遠い。こんなところまで街が埋まるほどの火山灰が降り注いだのか・・・。
耳太郎から聞こえるロベちゃんのユーモアたっぷりの解説に連れられて歩く。
市場の跡、荷役業の看板、ミイラ化した奴隷、風呂屋の跡、パン屋の跡、馬車わだちが残る道etc。当時の生活の様子をうかがい知る事ができる。日本が縄文時代だったころ、古代ローマ人はこんな文明を持っていたのか・・・と感心する。
これらの建物のほとんどは、火山灰の重さで屋根が抜けてしまい、柱や壁だけが残っている。表面も火山灰の熱で焼かれ、あまり程度の良くないレンガのようにざらつき黒ずんだ茶色をしている。
途中、ロベちゃんが何やらコソコソと長電話している。
「マツオ支店長でした。とても厳しい人です」
扇子をクルクル回しながら言う。日本人相手に冗談混じりの観光ガイドなんて超お気楽な稼業だと思うが、そんな彼から「支店長」なんて単語が出てくること自体がかなりユーモラスと言える。
てか、支店長は日本人なのね。
今回は、ツアーであるがゆえの時間的制約から、広いポンペイのほんの一角しか見ることが出来なかった。そのなかでの印象は、ポンペイは高度文明を持っていて巨大な都市の遺跡だというあたり前の事実。
但し、それは単なる遺跡ではなく「廃虚」の遺跡だという事だ。優美だとか力強いなどといったような古代ローマ遺跡の一般的な感想がない。かと言ってただ古いのとも違う。
人々の暮らしを想像させるありとあらゆるものが残っていながら、太陽の陽射しも吹く風も、なんだか虚しい。
この感じは、ポンペイならではかも知れない。
「暑かったでしょう!美味しいジュース飲みたい人ぉ?」
遺跡の外に出ると、ロベちゃんが言う。みんなの答えは全会一致で「は~い」だ。私なんか、あまりの暑さにイイ歳して首があせもになりかかっていた。
ロベちゃんは、何軒かあるジュース屋台のうちのひとつに真っ直ぐ向かった。ぞろぞろと付いて行く日本人。きっと、ロベちゃんはこの店からバックマージンを貰っているに違いない。
ともあれ、絞りたてのオレンジジュースは渇いた体に染み込んでいくようで、たまらなく美味い。他にレモンミックスも選べる。
カメオ工場
昼食会場は埃っぽい道を数分歩いたところにあった。大きな窓から南イタリアの明るさが店の奥までたっぷりと行き渡っている。大きめの丸テーブルふたつにメンバーが別れて座る。とりあえずビール。さっきオレンジジュースを飲んだばかりなのに、ビールがこんなにも旨いとは!
ポンペイにいた2時間足らずの間に、体はすっかり干からびていたようだ。ノドごしでグビグビいってしまいそうになるが、このあとバスでの移動があるので自重する。
料理はイタリアンの軽めのコース。スープに続いてサラダがでてきた。ハーブとトマトの輪切りに、ゆで卵が丸ごと添えられている。ゆで卵丸ごととは、なんちゅ~サラダだ・・・と思いながらゆで卵にナイフをたてる。が、伝わってくる感触がゆで卵と違う。なにより真っぷたつに切っても黄身がない。ゆで卵だと思っていた白い球体はモッツァレラチーズだったのだ。
なんと大胆な盛り付け!サイ●リアとかのサラダに添えられているサイコロ大のものしか見たことがなかったから驚いた。いや、感動すらした。ジャガイモを輪切りにするようにモッツァレラチーズを切り、トマトと一緒に口に放り込む。
ウマイ!旨すぎる!この歳になるまで知らなかった。モッツァレラチーズがこんなに美味しいものだったとは・・・。
バスに乗りナポリ方面へ進むこと数分で、次の目的地、カメオ工場。斜面の中腹を切り拓いた平坦な土地に、味もソッケもない平べったい建物がある。工場と言うよりは、公民館か小さな博物館のような外観。
中に入ると、広い廊下の片側に扉が並んでいる。少し進むと窓際に職人がいて、小さな貝にゴリゴリと刃を立てて細工を施している。もうひとりの男性がカタコトの日本語で解説してくれる。近くには古臭いガラス張りのショーケースがあり、完成品が並べてある。一部を除いて売り物、つまり、おみやげって訳だ。
ロベちゃんは全くやる気なし。先に出口の方へ向かって行ってしまった。そもそも入る前から口に人差し指をあてながら、こう言っていたのだ。
「他で安く売っているから、ここで買わなくてもいい」
出口に近いトイレにあこが行っている間に、私は表に出る。そこにはロベちゃんがいて、「奥さんは?」とまるでイタズラっ子の様な目をして聞いてくる。ロベちゃんはシャツのボタンを上から4つ目くらいまで外して身構えている。やがて出てきたあこに向かってバッと胸もとをはだけ、胸毛見せ攻撃。何を企んでいるかと思えば・・・。
三々五々、扉を開けて出てくる女性陣に胸毛をさらしては、キャーキャー言うのを喜んでいるロベちゃん。その黒々とした胸毛・・・キミは確かにイタリア人だ。その底抜けな陽気さ・・・キミは確かにナポリ男だ。
バスはナポリ市街へと向かっている。ツアーメンバーは、若干疲れモード。ひとりロベちゃんだけが元気だ。バスのマイクに自分の携帯電話を押し付けて何を始めるのかと思えば、聞こえてきたのは山手線の発車ベル。
「ドアが閉まります。ご注意下さい」
などと得意顔で口真似している。発車ベルは日本に行った時に録音したそうだ。
地中海と卵城
ロベちゃんの住む街ナポリは地中海に向かって開け、太陽光に溢れている。平地はそれほど広くなく、海のそばまで伸びた緩やかな斜面にも街が形成されている。南イタリアらしい真っ白な建物と、中世からの茶色い建物とが混在する街並み。青い地中海のおかげで開放感があるが、実際の街は結構ゴチャゴチャしていて、バスは渋滞のなかをノロノロと進んでいく。やがて到着した海沿いのビューポイントで、5分間だけバスの外に出される。
おぉ、地中海!
スカッと晴れわたる空。太陽がいっぱいだ。波は穏やかで、その青い海には白いヨットが浮かんでいる。水平線の手前には大型船がゆったりと進んでいく。左手には卵城が見える。その名前と違い、海に浮かぶ箱の様な角ばった建物だ。その向こうに、ソレント半島が横たわっている。すぐ手前の防波堤の下ではバーベキューの煙があがり、甲羅干しをする人や浅瀬で戯れる子供達の姿。
南イタリアの強い陽射しの下、微かに海の香りを含む乾いた風が心地よい。これがヨーロッパとアフリカとアジアの3つの大陸に囲まれているのか・・・。
だとしたら、この風は海の向こうのアフリカからくるんだなぁ。それともスペインかな?・・・などと風に吹かれつつぼんやりと考える。そんなどうでも良いことが、なにやら愉快で意味がある事みたいに思う。
ロベちゃんとお別れの時がきた。市街地から高速へと向かう途中で彼はバスを降りる。ここから少し歩いた住宅地に彼は住んでいるらしい。奥さんも観光ガイドをやっているそうだ。傷みの激しいホコリっぽい道路脇に立ちバスを見送るロベちゃん。ありがとう。楽しかったよ。
バスは、ブーツ型の細長い半島の脛の部分を北上し、ローマを目指している。海のある側には低い山脈があって、内陸部を走っているようだ。バスのなかでは、添乗員スズキさんによる明朝の個別レクチャーが行われている。明日の朝には、日本へ発つ人、ローマに残る人、それにジュネーブに向かう我々と、人それぞれ。スズキさんは日本行き。
ジュネーブへと向かう我々は、ロビーに迎えが来る時間と、その人物の名前と特徴を聞く。短躯にメガネで、日本語は「ゼイキン」くらいしか話せないイタリア人が来るらしい。大丈夫かいな?一方、ジュネーブでは日本人が出迎えてくれるらしい。
スズキさんは、明るくハキハキとした接しかたに好感が持てる女性だ。10人からの大人を引き連れてソツなくこなす。
「私も新婚旅行で来れるように頑張らなくちゃ」
意外としおらしい一言とともに、小さなエッフェル塔を我々に手渡すスズキさん。考えてみれば、添乗員さんではあるけれど、まだ30歳手前くらいの娘さんなのだ。ちなみに、エッフェル塔は新婚さん限定とのことだった。
一通りレクチャーが済むと、スズキさんから「最後の夜は、皆さんで食事に行きませんか?」との提案があり、全員がこれに参加の意志を示した。会場はスズキさんが手配。ロビーに午後9時集合となった。
ローマの手前で事故があり、高速道路が通行止めとなっているらしい。みんな居眠り体制なので、多少時間がかかっても関係なかろう。普段、旅先での移動中に寝ることはほとんどない私だが、この時ばかりは爆睡してしまった。気が付けば、ちょうど旅程の折り返し。たくさん歩いた前半戦だった。
古都散策
いつの間にか通行止めは解除されていたようで、ほぼ予定通りにホテル着。夕食の集合まではまだ時間があるので、シャワーを浴びたら街へ出かける。
テルミニ駅前を横切って駅の反対にでる。歩く人も少ない狭い歩道の裏通りは傾いた太陽の光が届かず、うらびれた雰囲気が漂っている。
やがて小さな広場に突き当たると、目の前にはサンタ・マリアマッジョーレ教会。広場のおかげで、この時間この教会だけに明るい陽が当たっている。サンタ・マリアマッジョーレ教会は、ローマの4大聖堂のひとつで、昨日見たヴァチカンのサン・ピエトロ寺院もそのひとつ。だが、観光客らしき姿は見えず、周囲もあまり賑わっていない。
この時間、もう聖堂には入れないのでなかの様子は判らないが、外見は結構地味だ。でも、ローマカソリックの豪華絢爛な装飾が施された建物ばかりを見てきたから、このシンプルさは逆に好感が持てる。などと思っていたが、写真の方向は実は裏口だったと気付くのは帰国後の事だった。
次の目的地パンテオンへはタクシーを使うことにする。
ローマのタクシー乗り場は広場にあることが多いのだが、ここにはない。仕方なく駅に向かって歩きかけたが、すぐに一軒の化粧品と雑貨の店に入る。あこは髪止めを買いたいらしい。それほど、今日は暑い。店員さんの一人は、なぜか日本人だった。
聞くと、タクシー乗り場はテルミニ駅が近いし確実だろうとのことだった。この髪止めもお土産に数えれば8個目となる。
ローマのタクシーは、ほとんどがコンパクトボディの車種が使われている。ディーゼル車が主流だとか、狭い道を走るのに適しているからといった理由で、ごついアメ車など入り込む余地はないだろう。なにより、中世の街並みには小さな欧州車がよく似合う。
我々のタクシーは表通りから路地に入ると、そのボディを駆使し、狭い路地を人波を分けて進んでいく。やがて、車道と歩道の区別のない敷石の広場に突入したかと思うと、そこがパンテオンだった。
タクシーは、まるでそこがホテルの車寄せであるかの様に、パンテオンの階段前に停まる。周囲に観光客の目があるんだから、こんな悪目立ちする停め方して欲しくないな~。
気温はまだ高いが、日はだいぶ傾いて広場全体が日影となり、夏の夕暮れの雰囲気が漂う。
パンテオンの姿は、ドーム天井を持つ円形の堂と、その前面に小さな方形の堂がくっついている。円柱が特徴的な古代ギリシャ風の建築物で、完成は西暦128年。
改築されたサンピエトロ寺院や、中世になって採石場のように扱われたコロッセオとは違い、ほぼ完成当時の姿を保っているらしい。すごいことだ。きっと、建物の主たる部分がドーム屋根を持った円形をしているため強度が優れているのだろう。
正面の大きく重厚な扉はこの時間すでに閉まっていて、なかには入れない。広場を取り巻くのはカフェやレストランテや商店など。どれも下町風のこぢんまりとした佇まい。ここにあるのがパンテオンでなければ、中世の小さな城郭村の広場にいるような感じだ。
パンテオンの脇を南に伸びる路地も静かな下町の趣が漂い、夏の日暮れの散歩には悪くない。道沿いの商店も教会も皆閉まっていて、人通りもまばら。車もたまに通るくらいだ。
細いチェスター通りを抜けて、車の往来するプレビシート通りに出ると、アルジェンティーナ神殿跡が現れる。水のない深いプールの底が、かつての地面のあった高さで、直線に並んだ円柱や階段や壁が残っている。
我々はプールサイドからその遺跡を眺めている格好になる。ただ、その残された柱や石を見ただけで、2000年前の美しい神殿を思い浮かべるのは、素人にはには難しい。上から眺めているだけでは、大きさも何となく把握しにくいのだ。かといってなかに降りることは出来ない。
そのかわり、数えきれないほどの野良猫がそこにはいる。外敵の侵入などないのだろう。どいつもこいつも、油断しきっている。豆粒大の石を投げ込んで、そんな奴らに刺激を与えてやる。しかし奴らの反応は薄い。2~3個投げたところで、遺跡の保護上よろしくないと気付き、やめる。
カンピドーリオの丘
ピレシビート通りを東に進むと。丘の上で夕陽を浴びて輝く、ひと際大きな建物が見えて来た。丘は、カンピドーリオの丘。建物はヴィットリオ・エマヌエーレⅡ世記念堂。さすがにローマっ子も「長い」と思ったのか、通称ヴィットリアーノと呼ばれているらしい。
ヴィットリオ・エマヌエーレⅡ世は1800年代後半にイタリア統一運動を進めた人物で、イタリア王国の初代国王。
丘の上に建っていると言うよりは、丘全体がヴィットリアーノの土台になっているかようだ。ただ、このサイズの盛り上がりを「丘」と呼ぶのは日本の感覚とはどこか違う。日本で「丘」と言ったらもうちょっと平たくて大きなもののような気がする。さらに、何もない場所か、せいぜい公園がある程度というのが「丘」イメージ。戦国時代までの城や櫓があったところは、「丘」ではなくて「小山」のほうがピッタリとくる。
そもそも、稲作中心の日本では、こんな丘だらけの土地は役に立たない。集落は稲作に適したデルタ地帯や盆地、そして交易に適した海や河川に面した場所に形成され、やがて都市へと発展した。
結局、ローマのように「丘」といわれる地形がいくつも集まった場所に、それらの「丘」全体を取り込んで都市がひろがっていること自体に違和感があるのかも知れない。こういった違和感が、文化の違いを実感させる要素のひとつでもあるのだろう。
「ウェディングケーキ」とも呼ばれるヴィットリアーノが、夕陽を浴びて黄金に輝いている。バスでの移動中に何回か見て、その大きさは分かっていたが、こうして歩いて近付くと、また違った感想が出てくる。ひとことで言えば見事。美術品の塊のような絢爛豪華な中世カソリック教会よりも、このような近世の象徴的な建物の方が、なんだか胃もたれしないのがいい。さらに重厚で優美。権威の象徴でありつつ、威圧的でなく、細かい装飾も施されているが肉厚で力強い。それでいて上品。ローマで見た建物のなかでは、このヴィットリアーノが最もインパクトがあった。
ヴィットリアーノを左手に見ながら丘の裾野を昇って行く。脇にある裏口の周囲には、なにかイベントでもあったのか、軍楽隊とそのトラックがたむろしている。ヴィットリアーノの裏手に回り込むように階段を昇ってカンピドーリオの丘の上へ。
正面に見える高い時計塔を持った建物が市庁舎。そのテラスにあがって、もと来た方角を振り返る。丘の上に登ったことで、街のおおかたの建物の高さと同じくらいになり、夕陽を見ることができた。ドーム屋根や教会の鐘楼が重なりあったローマの街並みがシルエットになって、太陽はその向こうに姿を隠そうとしている。歩く人達の影が長く伸びて、すぐ下の広場を滑っていく。広場の敷石は幾何学模様が描かれている。周囲の建物も含め、デザインしたのはミケランジェロだそうだ。
左手奥に進むと丘の上のテラスに至る。そこからは、さっき丘を見上げていたあたりからだと、裏側にあたる方角を見下ろせる。そこはフォロロマーノだった。
なるほど・・・こういう位置関係だったのか。
ヴィットリアーノが夕陽を独り占めしているせいで、裏手にあるフォロロマーノは薄暗く、今にも闇に溶け込んでしまいそうだ。
様々な建造物の面影を残す大小の石達は、灰色に見えている。遺跡が暗い地中へと戻って行くようだった。
フォロロマーノを右手にしながら階段、そしてS字カーブを下っていくと大通りにでる。さっきまで見下ろしていた宮殿の柱が、見上げる位置に変わっていた。この大通りはフォーリ・インペリアーリ通り。これを右に進むと、昨日寝転がったコロッセオ脇の道へ出るはずだ。
時刻は午後8時半。夕食の時間が迫っていた。そろそろホテルに戻ろう。左手にタクシー乗り場が見える。ホテルまではタクシーで10分足らずだった。
添乗員スズキさんが予約してくれたイタリアンレストランはホテルから歩いてすぐのところにあった。店の奥の方の窓際に長くセットされたリザーブ席に向かう。その途中の席に、見覚えのある一組の若い日本人夫婦がいた。
昨晩のカンツォーネナイトのあと、旦那が泥酔してバスを止めたあの夫婦だ。「どう?元気になった?」と声をかける。奥さんは我々を覚えていてくれた。旦那は、もともと記憶にないのだろう。キョトンとしてこっちを見上げている。手にはワイングラス。あの様子なら、昨晩のことが原因で成田離婚する心配はなかろう。
さて、我々11人のテーブルは、ここ数日間の出来事などの話で盛り上がっていた。
イギリス組の話。パリで別れたN母子のこと。美女と野獣(?)のN夫妻のなれそめ。ムーランルージュの話。集団スリにあったK夫妻の演技を交えたドキュメント。カンツォーネナイトと、偶然いま同じ店内にいる若夫婦のこと。ロベちゃんのこと。そして、明日以降の話。
東京のK夫妻はローマにあと2泊して、明日は電車でフィレンツェへと行く予定らしい。我々は明日、スイスへ移動。他の3組と、添乗員スズキさんは帰国の途につく。明日の今頃はシベリア上空だろう。最後に、お互いの写真が何枚かありそうなU夫妻とメールアドレスを交換する。
ワイワイと楽しい食事は、あっという間に時が過ぎていった。そして、ワイワイと楽しかったツアー旅行も今夜でおしまいとなる。皆さん、どうもありがとう。さようなら。