広州へ
「10月なんだけど3連休で休み取れるか?中国行こうぜ」
1996年の9月某日、T朗から電話があった。また急な話だな~。しかも、あの広大な中国を2泊3日って、一体どこをどう回るというのか?
「広州と桂林。メインは水墨画みたいな景色の所を川下りするんだよ。知ってるだろ?」
そういう場所があることは知っているが、急にそんなこと言われても答えに窮するってもの。しかし、初めての中国行きは、僅か数分で決まった。
「じゃあ、予約の方は俺がやるから、決まったらまた連絡するわ」
10月19日朝。今回のツアーの最低催行人数が2人だとは聞いていたが、羽田空港の集合場所に居たのが本当に私とT朗の2人だけだったのにはちょっと驚いた。
・広い中国を僅か2泊3日という強行日程
・成田から広州への日本の航空会社の直行便が無く、関西空港経由である。
・上記の理由によりコスパが悪い。
これらを考えると、人気コースになり得ない。むしろ「よくもまぁ、こんなツアーがあったな」とも思ったりもする。
JAS便で羽田から関空へ。更にJAS便で関空から広州へ。
広州市は広東省の中心都市で人口約400万人。華南最大の都市だ。空港で待ち構えていたのは現地案内人の黄さん。丁寧で真面目な日本語を操る黄さんは、大学で日本語を習ったとのこと。風貌もいかにも中国のマジメ青年と言った感じ。
広州空港は町の中心部から近く、周囲はすぐに市街地になっている。建物は古く、到着口からロビーに出ると、そこは国際空港と言うよりもターミナル駅の雰囲気。広さや天井の高さや行き交う人々などの雰囲気は、何となく上野駅に似ている。歩いていると、物乞いの子供達が集まってくる。
「広州は近年、急速に経済が発展しましたが、まだ貧しい人が多いデス。彼等に施しをしてはいけまセンネ」
と黄さん。
中山記念堂
7人乗りのミニバンに運転手・黄さん・T朗・私の合計4人が乗る。
車が走り出して驚くのは、バイクと自転車の多さとその走り・・・というかマナーの悪さ。映像などで知識としては持っていたが、実際に街中を走ると自分が運転している訳でも無いのに何度も怖い思いをする。ノーヘル・原付に2人乗りは当たり前、3人乗りや4人乗りもいる。
我々の乗るミニバンの運転手は、右手でハンドルを握り左手をクラクションの上に置いたままで運転しているが、これが基本姿勢らしい。
それでも、やがてそんな車外の状況にも徐々に慣れ、私・T朗・黄さんの3人は三国志の話で盛り上がっていた。黄さん曰く、三国志は中国で最も読まれている物語だとこと。曹操が好きだと言うT朗。
「曹操は三国志の中では悪者ですが、曹操に憧れる中国人は多いと思いマス」
と黄さん。ちなみに私が好きなのは・・・マイナーなところを攻めるが陳宮。黄さんもT朗も「誰それ?」「なんで?」という顔。
陳宮は無名時代の曹操を助けた人物。曹操が乱世の奸雄だと気付いて、曹操のもとを去って呂布に付く。その後、呂布が曹操に敗れたとき、曹操は恩人である陳宮を助けようとするのだが、陳宮はそれを望まず、曹操に殺されてしまうのだ。
忠義や武勇ではないので地味ではあるが、信念を貫き、貸しは作っても借りは作らないところに美学があり、どこか切なさもあって好感が持てるのだが・・・黄さんはどう思います?
「三国志の登場人物は、ひとりひとりに個性があって魅力的デスネ」
お手本のような答え。やがて中山記念堂に到着。「中山」とは「孫文」の事で、孫文が日本に亡命する時に身分を隠すために使った偽名が「中山」だったのだそうだ。
鎮海楼
現在は博物館になっているこの建物は、明の時代のもので築600年。5層に分かれたフロアがそれぞれ展示室になっている。
窓から外を見ると、城壁に囲まれた昔の街の雰囲気と、この鎮海楼がその城壁の一部であった様子が判よく分かる。屋外には昔の大砲が置かれている。これらはアヘン戦争の時代に使われたものだそうだ。
鎮海楼を出て、我々を土産物へ連れて行く黄さん。上層階はホテルと事務所で下層階はレストランやその他のショップなどが入ったビルになっている。
次は早めの夕食。
黄さんT朗と私が同じテーブルを囲み、運転手はひとりで店の隅の方にある別テーブルで食事を摂っている。
食べ始めてしばらくすると何の前置きも無く、突然、我々のテーブルに財布や時計などのコピー品をトランクに詰めた男がやって来て、それらを熱心に売り込み始める。
おいおい、黄さん何なのこれ?
黄さんは、何事も無いような澄まし顔で何も言わない。どうやらこれは黄さんが勝手に設定したオプション…と言うか、黄さんが仲介して業者からマージンを取ってるんだろう。真面目そうな顔をして、案外したたかな黄さんであった。
しかし、食は広州に在り。ブランド品は軒並み偽物だが料理は本格広東料理である。美味い!
しかし、中国の土産物屋に我々の興味を引くものは少ない。
掛け軸・彫刻・陶器のような骨董品が多く、また、骨董品に限らず全てのものが、ちょっと交渉すれは簡単に値切れる。
それも10%や20%では無く、1本で2万円の掛け軸が4本で1万円になったり、1個で5000円の高級烏龍茶が3個で5000円になったりするから、いかにも怪しい。
桂林へ
出発口で黄さんに別れを告げて広州空港の出発ロビーへ。我々が乗る中国南方航空の搭乗は、ロビーからバスでの移動となる。室内灯を消して走る満員のバスの車内で、私は吊革につかまり立っていた。
が、何やら足元からの不自然な雑音と流れ込む風を感じ、暗い車内で目を凝らして足元を見る。なんと、床に直径10cmほどの穴が開いて地面が見えているじゃないの⁉︎
バスにこれだけ大きい穴が開いていて平気なんだから、飛行機に小さな穴ぐらい開いていたとしても全く不思議じゃない。ちょっと不安。
我々の乗った中国南方航空機は夜の広州空港を離陸した。機内は意外と綺麗で乗務員は美人ぞろい。男性パーサーもなかなか男前である。
しかし、驚かされたのは機内サービス。シートベルト着用サインが消えると飲み物のサービスとなったが、乗務員が運んでくるのは350mlの缶ジュース。そこまでは良い。しかし、その選択肢は2種類しか無く、ひとつはスプライト。もうひとつは、謎のジュースであった。T朗はスプライトを選択。
「やられたっ!すげ~ぬるいぞ!」
隣の席で嘆くT朗。私は謎のジュースを選んだのだが、当然こっちも常温。でも、常温スプライトよりはマシかな?
うわっ!とてつなくも甘い。ちなみにジュースの方はパッケージを解読したところ、どうやら「くるみジュース」だったらしい。甘い上にヌルいジュースは口内にまとわりつくようで、全く喉の渇きを癒してはくれない。
やがて、乗務員が空き缶の回収にやってくる。手に持っているのは、大きな青いビニール袋。その中は既に空き缶で一杯。それを通路にズルズルと引きずりながら回収している。せっかくの美人が台無しだよ。
中国南方航空機は無事に桂林空港に到着。すでに時刻は午後9時を過ぎ、新しく綺麗な空港内は閑散としている。出迎えてくれたのは現地案内人の李さん。年齢は40歳位だろうか?
日本語学校で習ったという、ぶっきらぼうの様で馴れ馴れしい、それでいて流暢な日本語。加えて、ちょっと派手なシャツと小脇に抱えた小さなバックという出で立ちの彼は、日本だったら間違いなくダフ屋にしか見えない。
「写真撮ってアケルヨ。ナランテ、並んて」
桂林は広西チワン自治区にあり、人口は約500万人。出迎えの車の助手席に李さん、我々は後部座席。左ハンドルで運転席と助手席のヘッドレストが外されており、妙に広く感じる車内空間は、よく見れば古いクラウンだった。
空港と市内とを結ぶ高速道路を走る。車窓は真っ暗で何も見えない。やがて、進行方向に料金所が現れた。日本と同じように10ヶ所位の料金ブースが見える。しかし、ここの料金所が日本と違うのはブースが一方通行ではないこと。つまり、ひとつのブースで上り下りのどっちでも料金を払える仕組みになっているのだ。そのため、料金所の前後の数100mには中央分離帯がない。
「平気、ヘーキ」
李さん笑うが、料金の支払いで停車中に正面からヘッドライトを点けた車が迫ってくる光景は恐怖が禁じ得ない。思わずのけぞる我々。
車は高速を降りてホテルへと向かって走る。街中を走っているらしいが、建物のシルエットがうっすらと見えるみえるだけで、明かりが灯っている家屋はちらほらと言う感じ。皆んな寝るのが早いのか?空き家が多いのか?それとも電気が無い家が多いのか?
やがてホテルに到着。李さん達とはここで一旦お別れ。ホテルの部屋に入り窓から外を見る。やはり周囲は暗く、街の様子は良く分からない。部屋は広くて綺麗。しかし、水道の・・・特にシャワーの水圧は低く、目一杯にしてもジョボジョボという程度。
時刻は午後11時を過ぎていたが、シャワーの後、ホテル内のラウンジで軽く飲んで寝ることにした。