大晦日
2007年12月31日。ヨーロッパの朝は遅く、もう午前8時半だというのに、まだ薄暗い。いつ雪が降りだしてもおかしくないどんよりとした曇り空。
ゆっくりと朝食を摂り、身支度をしたら部屋を出る。レセプションのおばさんに、近くにネクタイを売っている店があるか聞いてみる。マリアヒルファー通りに出て右に少し歩くとデパートがあるらしい。
でも、昨日はそこも含めて通りのほとんどの店は閉まっていた訳で、大晦日の今日の方が開いている確率はさらに低くなりそうだ。
でも、その考えは杞憂に終わった。時計は午前9時半過ぎ。開店準備をしている店が多い。目指すデパートの入口には既に開店を待つ人達が20人ほどが群がっていた。ウィーンでは日曜日はしっかり休んでも、大晦日は普段の日と変わらないらしい。
開店を待つ間に、少し辺りを散歩する。露店も開店準備をしていて、動かした屋根やひさしからボタボタと雨水が垂れている。昨晩も雪が降っていたのだろう。
ひと回りしてくるとデパートの前の人だかりはなくなっていた。
テナントで入っていたZARAで無事にネクタイを購入。そのあと、何か面白いみやげがないものかと、雑貨売場やおもちゃ売場などを見て歩く。結局、ネクタイ以外は何も買わずに、一旦ホテルへ戻る。
部屋でネクタイをしめ、再び出かける。レセプションのおばちゃんにネクタイが買えた事を伝え、クルリと一回転してジャケット姿を見せる。
「パーフェクト」
とおばちゃん。あこも少し寒そうながらワンピースのドレスを着ている。芸術の都ウィーンで、おめかしした我々が向かうのはフォルクス・オーパ。そこでの喜歌劇「こうもり」の鑑賞を2007年を締めくくるイベントとした。
タクシーに10分ほど揺られ、午前11時少し前にフォルクス・オーパに到着。劇場というよりは、レストランの様な観音開きの小さなドアを開けて中に入る。
市民のオペラ(フォルクス・オーパ)の名のとおり、決して豪華でもなく広くもないホワイエはガラーンとしていて、右手にある小さなチケット窓口はまだ開いていない。その前でヒソヒソと話をしている初老の女性がふたり。
天井近くにある液晶モニターには、オペラやバレーの様子が繰り返し流れている。口から火まで吹いたりと大騒ぎしているのはオペレッタ「天国と地獄」。
窓口が開いたのでバウチャーを見せてチケットと交換。開演は午後1時。まだ、2時間もある。
あれ?1時間勘違いしてたな。時間もたっぷりあるので、その間にウィーン西駅まで行ってみることにする。
明日の夜、ウィーン西駅からチューリヒ行きの寝台列車ユーロ・ナイトに乗る。これまでの海外旅行では、大きなターミナル駅から列車に乗った経験はあまりない。なおかつ、今回は寝台列車。さらに、2日前にはスキポール空港駅で乗り間違いをしたばかり。そう言えば、新婚旅行の時もフランクフルトで乗り間違えたんだっけ。
それと、明日はチェックアウト後、荷物を西駅に預けて身軽に市内観光の予定。夕食も食べてからの移動となる。酔っぱらって重たいスーツケースを持ち、寒くて暗いウィーンの街を歩くのはかなりツライ。あと、みやげ屋があるか?売店はどうか?治安は?
つまり、西駅に行く理由は「下見」である。
フォルクス・オーパから大通りを渡ったところに駅がある。高架線の下にある駅の構内は薄暗い。あまり人相のよろしくない男性が数人、壁を背にして立っている。改札口の先の階段にも似たような風体の男が座っている。暗い路地裏でも、全く不安な感じがしなかったウィーンだったが、この駅だけが唯一緊張感を持った場所となった。
券売機で2日間フリー切符を購入。これ1枚で地下鉄も路面電車も乗り放題となる。
地下鉄U6線・・・と言ってもここは高架駅。しばらく走ると地下へ潜り、そのまま西駅に着く。
マーチンスも最初に降り立った西駅は、映画のなかの1940年代の趣きはなく、比較的新しい建物。一昨日も空港からのリムジンバスで降り立った場所だが、あの時は疲れと眠気でぐったりしたまま、すぐにタクシーに乗ってしまったので、景色には全く見覚えがない。
コンコースは南北に細長く天井は高い。正面が一段高くなったホーム。右手に切符売場や両替所、手荷物預かり所にコインロッカーもある。左手は大きなキオスクやカフェにレストラン、雑貨屋の様なものもある。これなら大丈夫。下見は無事終了。
こうもり
開演まではあと1時間足らず。チケット窓口に並ぶ人々、立って談笑する人々、写真を撮る人々などで賑わっている。
右手奥のクロークにコートを預ける。我々の服装は標準的か、どちらかと言えばちゃんとしている部類。周囲には結構カジュアルな服装の人がいる。
扉を押してホールの中へ。既にシートの2割位は埋まって、プログラムなどを読んで開演を待っている人々。ステージに向かって一番左の最前列シートに座る。この席でたった61ユーロ。
Web予約のためにドイツ語の翻訳に格闘した秋の日々。そしてバウチャーが届くまでの長く不安な日々は、この瞬間に結実したと言えよう。
オーケストラの面々が席につきだした。目の前はホルンとクラリネット。音あわせが始まる。やがて開演を告げるブザーが鳴り、どっと人が入ってきた。満席になる。
照明が暗くなり指揮者が出てきた。大きな拍手。客席との間を仕切る壁に寄りかかるようにして立つ指揮者。そしてタクトが上がる。
こうもりの序曲。
最初、目の前にいるホルンの音ばかりが大きく感じていたが、すぐにホール全体に響く演奏を味わえるようになる。
序曲が終わる。拍手をするのかと思いきや間髪入れずに幕がスーッと上がり、ステージがパァっと明るくなった。アルフレードの歌声とキュートなアデーレの登場で第1幕は始まった。
生のオーケストラ演奏とオペラの歌声。綺麗なステージ衣装。歌手の皆さんは歌だけでなく芝居も上手。
とは言え、セリフも歌もドイツ語だから意味は全く不明。ステージの天井近くに英語の字幕が出ているが、それだって半分も理解できない。
なのに、全く飽きさせない。世の中にはこんな楽しい娯楽があったのか・・・と感動の第1幕だった。
幕間にはホールの外に出る。ここでワインやシャンパンやスナックなどを買えるので、売場に人が群がっている。
真似したがりの我々もじわじわと人だかりの中を前進して、シャンパンのミニボトルとウエハース、それとグラス2個を手に入れる・・・筈が正確に言葉が伝わらずシャンパン自体が2個になってしまったが、それらを隅っこで飲んで食べて、しばし優雅な雰囲気に浸る。
が、幕間の休憩時間は案外短く、1回目のブザーが鳴ってゾロゾロとホール内へと人が流れて行く。
我々も残ったシャンパンを一気飲み。そして、席に戻る前にトイレに行く。まだ、女性用トイレは行列していて、あこはその最後尾。男性の方も数人居たが1分と待たずに用を足す。
出てみるとホワイエのスタッフ以外の姿はない。女性用トイレからひとり、またひとりと出てきては、ホールの扉を開けて暗闇に消えて行く。
2回目のブザーが鳴る。ヤバイな・・・。
近くにいたスタッフからプログラムを購入。これは、第2幕の開演後に案内してもらう面倒をかける可能性を考えてチップ代わりのつもり。
なかなか女性用トイレのドアは開かない。どうした、あこ!さっきのスタッフが「早く入れ」と急かす。でも、まだマイワイフが・・・。
「いいから早く!」と手を引かれるような感じで扉の中へ。
さらば、あこ!あとは自分で道を切り開くのだよ。きっと、プログラムを買ったスタッフも力になってくれるだろう。
暗い通路を腰をかがめて下る。その途中でオケの演奏が始まり第2幕がスタート。序曲がある第1幕と違ってすぐに幕が上がり、オルロフスキー公爵邸の舞踏会場となった。
我々のシートは左端ながら、壁際なっていて通路に面してはいない。なので頭を下げたままカニ歩きで進み、席につく。
5分たっても10分たってもあこは帰って来ない。どうした?
後ろの壁際で立ち見してるのかな?まさか、表でベソかいてないだろうなあ?そちらを振り返ってみるが、暗くて見えるはずもない。
初めは心配でなんだか舞台に集中できない感じだったが、だんだんとさっき飲んだシャンパンが回ってきていい気持ち。同時に気も大きくなって来る。
「ま、大丈夫だろ」
さて、舞台の方だが、これが「楽しい」の一言。耳に馴染みがある曲が続く。
イーダが不器用に踊る「ピチカートポルカ」。ロザリンデとガブリエルのやりとりが愉快な「チクタクポルカ」。黒のタキシードのダンサーと白いドレスのバレリーナが数組走り出てきて、速いリズムで舞い踊る「雷鳴と電光」。
バレエがこんなに楽しくて綺麗だとは思いもしなかった。自然と膝でリズムを刻んでしまうし、口を開けている自分に気付いたのは、曲が終わってからだった。ブラボー!
そして、出演者全員で唄い踊る「こうもりのワルツ」。最後は「シャンパンの歌」。オペレッタの楽しさを味わい尽くした第2幕だった。
さて、あこはどうしたかな?人波の最後にくっついて行くと、出入口付近で無事あこに合流。やはり、後ろの壁際で立ち見していたらしい。今度はさっさとトイレを済まして、早めに席に着く。
第3幕。刑務所長フランクと看守フロッシュによる漫才のようなやりとりに笑い声が絶えない場内。
言葉の分からない我々でも、ユーモアたっぷりのフロッシュの動きや表情だけでも充分に楽しい。オーケストラの面々もリラックスムードで出番を待っている・・・にしてもコントラバスのオヤジさん、ステージ見過ぎだし笑い過ぎ。
場面が進むにつれて、主だった出演者が徐々に登場して来て、クライマックスは全員によるシャンパンの歌。高らかにグラスを掲げて幕となった。ホールは拍手の嵐に包まれる。「ブラボー」の声がないのは「あれ?」という感じだが、まあ、やたらと言うものじゃないのかも知れない。
拍手の鳴りやまないままカーテンコールに。左から刑務所長フランク、イーダ、ファルケ博士、小間使いアデーレ、オフロフスキー侯爵、ロザリンデ、アルフレード、看守フロッシュ、弁護士ブリント、アイゼンシュタイン男爵、従者イワン。
拍手が1番大きいのはロザリンデ。このオペレッタの主役は必ずしも彼女だと言い切れない気もするが、歌唱シーンが1番多いソプラノなのは確かだし、もしかしたら有名な歌手なのかも知れない。あと、フロッシュも大人気。「ブラボー」ではなかったが客席から何やら盛んに歓声があがっていた。
こうして大晦日に「こうもり」を鑑賞するという貴重な体験は終了。興奮冷めやらぬまま、路面電車を乗りついで一旦ホテルに戻る。午後6時前、ホテル着。
ビアホールにて
午後7時、すっかり暗くなった街へ出る。リンクを越えて大勢の人々で賑わう旧市街へ。時折、街にこだまするパーンと乾いた破裂音は新年を待ちきれない人が鳴らす爆竹の音。たまに打ち上げ花火の音もする。
我々が向かっているのはビアホール「ゲッサー・ビーア・クリニック」。昨日、アム・ホーフ広場からコール・マルクト通りに出る際に前を通ったこともある店。
見覚えのある路地は、昨日と違って人の往来が多い。やはり、新年を目の前にしてたくさんの人が街に繰り出しているようだ。
さっきから、やけに近くで爆竹の音がする・・・かと思えば、足元で破裂して思わず飛び上がる。危なッ!少し前を行く少年が爆竹に火をつけては投げながら歩いている。
そうこうするうち目指す店に到着。2階に案内される。
1階は高い天井が吹き抜けのようになっていて、2階から身を乗り出せば見下ろすことができる。向かい合って静かに食事をしている数組の夫婦。どうやら地元の常連客らしい。
こちら2階は観光客用らしくグループが多い。我々の隣のテーブルは老夫婦4組がテーブルをくっつけてグルリと席に着いている。その向かいのテーブルもすぐに家族連れで埋まった。
モジャモジャ頭に口ひげのウェイターは「陽気」を通り越して、今日見たオペレッタの演者のようなハイテンション。踊るような足取りで、一番奥にいる我々のテーブルにメニューを置きつつ分かりやすいゆっくりとした英語で「今夜はスペシャルメニューから選んで欲しい 」と告げ、そのまま隣のテーブルで注文を受ける。
隣りのテーブルもまだ席についたばかり。4組の老夫婦がくっつけたテーブルに上品に腰掛けている。どうやら彼らはフランス人らしい。さっきのウェイターが、これまたわざとらしいくらいに「ウィウィ」だの「メルシー」だの言って、大袈裟に頷いたりしている。その向かいのファミリーには英語で。子供にもしっかりと愛想を振りまいている。
ここからはよく見えないが、その先のテーブルでは・・・今度はイタリア語かい!「ボンジョルノ」やら「グラッツェ」やらが聞こえてくる。ウェイターを見ているだけでも楽しい。
ビールがやってきた。プハーッ、旨い!
ワイン樽のようなシルエットのジョッキには50dlの目盛りがあり、見た目よりも量が入るようだ。隣りのフランス人のテーブルは、いきなりワインを飲んでいる。ビア・ホールなのにココ・・・。
さすがはフランス人だと妙に納得。
大晦日のせいでシェフが足りないのか、料理がなかなか来ない。その間、今日の出来事を振り返りつつビールをチビチビやったり、写真を撮ったりして過ごす。こうやってみると、日本の「お通し」という習慣はなかなか優れモノだと思う。
斜向かいのファミリーのでっぷりしたヒゲ面の男性が立ち上がり、写真を撮ってくれると言う。
さっきからこちらを気にしていると思ったら、声をかけるタイミングをはかってたのね。
お返しにこちらも撮ってあげる。どうやら、声をかけてくれた男性がおじいさんで、その娘夫婦、そして孫の少年といった感じ。
やや?
この小僧、さっき爆竹ばらまいていたアイツだ。
ま、よかろう。お前のおじいさんの好意に免じて許してやるよ。ちなみに彼等はスウェーデン人とのこと。
それにしても、この狭い空間に世界中の人が集まっているんだなあ。今まさに我々がそこに身を置いているかと思うと、なんだか不思議な感じがする。
去年の今頃はどうしてたかな?ああ、タケシのマンションで恒例の鍋か。紅白を見ながら酔っ払って「マツケンサンバ」踊ってたっけ。
料理がやってきた。昼間ろくなものを食べていないので腹ぺこ。料理も進むが酒も進む。既に2杯目は空き、3杯目をオーダー。あこも2杯目。大丈夫か?それ飲んだら1リットルだぞ。
すっかり腹も満たされ、すっかり酔っ払う。
午後9時半、スウェーデン人ファミリーにお礼とお別れを言い、店を出たら、酔い醒ましに少し街を歩くことにする。
大通りは歩くのが大変なくらいの人出。酔っ払いの我々は、はぐれたらいけないと本能的に感じて、人通りの少ない裏道を進む。ぽっかりとホーエル・マルクト広場に出た。
陽気なBGMと爆竹の音。眩しいほどの照明とイルミネーション。
昨日の昼間には全く想像出来なかった大賑わい。しばしその中に身を置いて、ヨーロッパの大晦日の雰囲気を味わう。これは朝寝坊しても夜更かしして楽しまないとヨーロッパの冬は勿体ないな。
せっかくここまで来たので、もう少し足を延ばしてドナウ川(正確にはドナウ運河)を目指してみる。
アンカー時計の下をくぐり、暗い道を行く。バーのような店が多いが歩く人は少ない。ホーエル・マルクト広場のBGMは届かず、時々、遠くで爆竹の鳴る音が微かに聞こえる。
やがて、ドナウ運河沿いの道に出た。
背伸びをするような感じで胸の高さくらいまである石塀の向こうを見る。流れは3~4mほど下にあるらしい。
だが、こちら岸に街灯は少なく、対岸の明かりは遠く少なく弱々しい。暗さに慣れるまで目を凝らしてみるが、何か真っ黒い巨大なものが通過していく気配こそ感じるが、「美しく青きドナウ」の姿は見えない。冷たい川風が顔に痛い。
Prosit Neujahr!
身体が冷えて来たのでホテルに帰る。バッタリとベットに倒れ込むあこ。やっぱり飲み過ぎたね。ちょっとひと休み。ゴロンとベッドに横になる。時刻は午後10時。2007年もあと2時間で終わろうとしている。
zzz... zzz... zzz...
しまった!寝過ごしたか?
時計の針は午後11時をとっくに回っている。あこを揺り起こして、急いで身支度を整えたら地下鉄のミュージアムプラッツ駅へ急ぐ。
空気は冷たいが、街全体の興奮が行き交う人や車からも伝わってくる感じ。地下鉄の車内も混んでいる。
市庁舎駅で電車を降り地上へ。人の波に従って大きな建物と建物の間の暗い道を行く。
爆竹と打ち上げ花火の音が聞こえ、賑やかなロックが暗い空から響いてくる。日付が変わるまであと15分足らず。少し早足にしてみるが、市庁舎の裏手から広場に向かう途中で人の波は渋滞に突入。ライトアップされた市庁舎の尖塔に見下ろされつつ、擦り足で少しづつ前進。
頭上を打ち上げ花火が飛び交っている。「花火」といっても日本の夏祭りとかでやるオフィシャルな花火大会のアレではなくて、家族でやる地面に置いたり手持ちでやる打ち上げ花火だが、そのぶん身近であがっていて楽しい。
露店も大賑わいで、みんな手に手にシャンパンやらワインやらの瓶を持って群集のなかへ潜って行く。
昨日はリハーサルだけでどこか寂し気だったステージも、今日は眩しいライトに照らされ、大音響でロックが聞こえてくる。人波をかきわけながら、リンクに近い市庁舎正面あたりまで進み、ここをニューイヤーを迎える場所とした。
周囲の視界が効かないくらいぐるりと西洋人に囲まれ、大声を出さないと会話が出来ないほどに賑やか。
そんなワイワイと楽しそうな世界中の人々と一緒に新年を祝う日が来るなんて、数カ月前まで思いもしなかったな。
信州善光寺の2年参り、京都知恩院の除夜の鐘、九十九里浜の初日の出。いろんな形で新年を迎えたが、今日が一番華やかで一番楽しい。
市庁舎の時計は午後11時55分。2007年もあと5分を残すのみ。いつの間にかステージの演奏は終わりMCに替わっている。打ち上げ花火は一掃盛んで、市庁舎の塔にもバシバシ衝突している。
やがて、市庁舎の時計が12時を指したが、賑やか過ぎて鐘の音は聞こえず、カウントダウンのMCも聞き取れない。
でも、花火の音も人々のざわめきも最高潮になり、周囲の西洋人達が一斉に抱き合ったりキスしたりし始めた。2008年の元旦を迎えたらしい。日本人の我々は、日本人らしくお互いに向き合い新年の挨拶。
「新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」
今年はどんな1年になるのかな?こんな素敵なニューイヤーだもの、きっといい年になるに違いない。
みんなどこからこんなに手に入れてくるのか判らないが、相変わらず打ち上げ花火は途絶えない。それでも、群集は少しずつバラけ始めてようやく足元が見えるようになってきた。ワインやビールの瓶がゴロゴロしている。ツマミも無しで飲み続けているが人が多い。
でも、日本人よりもアルコールに強いのだろう。泥酔している姿を見かけない。膀胱も大きいらしく、トイレが行列している様子もない。
リンクは車も路面電車も排除されていて、さながら花火の打ち上げ会場の様相。地面に置かれた花火に、次々に火が点けられ、その度に歓声があがる。
ワインの瓶と花火の燃えカスが散らばるリンクを国会議事堂方向に歩く。その先で交通規制されていて、交差点ではパトカーの回転灯が周囲に青い光を撒き散らしている。
警官もお祭り気分の群衆に圧倒され気味だが、パトカーのところで人の流れは歩道に追いやられ、パトカーの向こうで渋滞している車はリンクの外へと追いやられている。
ブルク門からリンクの中へ進む。右手には弧を描いて闇に浮き上がっている新王宮。王宮のドーム屋根の下をくぐってミヒャエル広場へ。まだ人出は多く、縁起物を売る露店には人だかりがしている。バラビッチーニ宮の前を過ぎ、裏通りを行く。
ぼちぼちホテルに帰ることにしよう。
ケルントナー通りを南に進みオペラ座の脇を抜け、リンクを渡る。リンクの外側に出ると旧市街の賑わいが嘘だったように静か。少し遠回りして裏通りを行く。
狭い道には我々の話し声と、たまに何処かで誰かが放つ奇声だけが響いている。気まぐれなウィーンの空は、このあたりだけ雪を降らせたらしい。路肩に並んだ車には真新しい雪がうっすらと積もっている。
「新年あけましておめでとう」
雪が積もったフロントガラスに落書きをしながら歩く。現在、2008年1月1日の午前1時半過ぎ。終電を見送った路面電車の停留所の表示板も、新年の訪れを告げるドイツ語と英語のメッセージに変わっていた。
ホテルの門限は午後11時とのことだったが、今宵は朝まで開けておいてくれるそうだ。