プラーター
2008年最初の太陽はすでに顔を出しているらしく、中庭の向こうに見える空は朝焼け。
そう言えば、ウィーンに来てから空はずっと雲に被われたままだったが、これは新年から幸先いいぞ。
時計を見ると午前8時過ぎ。窓を明けて新年の空気を部屋に入れる。街は昨日の騒ぎが夢だったかのように静まりかえり、一筋の飛行機雲が音もなく茜色の雲の向こうに延びていく。
シャワーを浴びたらダイニングに降りる。朝食を摂る人はまだ数人しかおらず、逆に眠たそうな顔をして帰ってくる人がいたりと気だるい空気が漂う一階フロア。
おせちも雑煮もないテーブルはどことなく味気ないが、昨日の感動と興奮をクールダウンしてくれる気がする。
午前10時。荷物をまとめ、チェックアウトしたらマリアヒルファー通りと逆方向に進み、突き当たった通りを右に折れて路面電車の駅へ。
駅は裏通りにあり、車も人も全く通らない。
昨晩の雪はほとんど融けて、濡れた石だたみや建物は冷たい空気のなかでまだ眠っているようだ。てか、実際多くの市民はまだ本当に寝ているのだろう。
静寂の街にゴトゴトと路面電車の音が近付いてきた。
逆方向から来た電車は我々の前を通過して建物の間に姿を消したが、線路はその先でループになっているらしく、数分後には折り返し電車となって我々の前に停車した。
レトロな車両はウィーンの街を素敵に見せているが、出入口が狭い上に階段になっていて、スーツケースと一緒に乗るのはなかなか骨が折れる。
路面電車を1回乗り換えてウィーン西駅へ。そこでコインロッカーにスーツケースを入れて、身軽になったら、今度は地下鉄に乗る。
地下鉄でウィーンの街を南から北に突っ切り、プラーターで降りる。時刻は午前11時半。
地上に出ると高架になったオーストリア国鉄の駅があり、景色は高さの揃った建物がギュッと凝縮された市街地のそれではなく、すっかり郊外の雰囲気。
駅前広場は公園の様に芝生が広がり、その間を走る路面電車の線路と道路がオーストリア国鉄の高架と交差している。
路面電車の駅になった高架の下を抜け、ビュンビュンと車の走り抜ける通りを渡りプラーター公園に入る。
広々とした芝生の広場の半分ほどは、まだ昨晩の雪におおわれていて白い。犬が走り回っている。
遊歩道は融けた雪でぬかるんでいるので、雪の積もった芝生の方が歩き易い。その芝生の向こうは、ようやく顔を見せてくれた青空をバックにして、大観覧車が綺麗な円をこちらに見せている。
「第三の男」で見たままのその姿。
今時の観覧車に比べれば決して大きいとは言えないが、その優雅で力強い感じは大小を超越した何かを感じさせる。
戦災に遭いながら、戦後、真っ先に復活して動き出したというプラーターの大観覧車。敗戦国民となったウィーン市民は、復活したプラーターの大観覧車に自分達の姿を重ね合わせたに違いない。
新年早々から観覧車は動いている。
我々同様に元日の朝から観覧車に乗ろうという物好きもやはり少なからず居て、軽く渋滞しているチケット売り場。
料金はひとり8ユーロ。
高いなあ。これが普通の観覧車だったら絶対に乗らない値段だが、「第三の男」の聖地を巡る以上ここを外す訳には行かない。
チケットを購入して中に入ると簡単な資料館になっている。大観覧車のイラスト図面や説明文、戦災に遭った直後のジオラマなど。それらをゆっくりひと通り眺めたら、階段を登ってゴンドラ乗り場へ進む。
観覧車を真下から見る階段も行列している。複雑に骨組みされた巨大なホイールが頭上で回っている。
低くゴトゴト言っているが、音は案外静か。ゴンドラは木製でマイクロバス程の大きさ。
レストランのようにテーブルが置かれたのもあるが予約制らしく朝からそれに乗る人はおらず、普通タイプのゴンドラに10人位を一組にして案内された。
ゴンドラは客の乗り降りの度に停車し、ユラユラと振り子の様にしばらく揺れたのち、また少し動いては止まり、しばらく揺れてはまた進む・・・を繰り返しながら徐々に高度を上げていく。
さっきより長くなったチケット売り場の行列が遠ざかり、さっきより雪が融けて緑の範囲が大きくなったような気がする芝生の広場が眼下に広がって来て、やがて、赤い車体のオーストリア国鉄が駅に滑り込んで行くのが見えてくる。
真上を仰ぎ見れば、隣のゴンドラの平たい腹。真下を覗き見れば隣のゴンドラのアーチ屋根。貨車か物置小屋の様な簡素な造りが可愛らしい。
シュテファン寺院の尖塔が見える。かなり近くに見えるのは、周囲に高い建物がないせいか?その手前にあるはずのドナウ運河も確認出来ない。
シュテファン寺院
徐々に青空が広がってきたプラーターをあとにして駅へ向かう。オーストリア国鉄駅の高架下にあるケバブ屋で軽い昼食。
結構ガッツリと唐辛子を振りかけても、ピリッとした辛さが美味しい。ウィーンでは、なぜか路面電車や地下鉄駅にケバブ屋が多い。
時刻はもう午後1時。
地下鉄に乗りシュテファン駅で地上にでる。スカッと晴れ渡った青空を刺すようにシュテファン寺院の尖塔が延び、モザイク屋根が太陽の光を浴びて輝いている。
ウィーン滞在3日目で、ようやくの晴天。ウィーンの街が一層明るく華やいで見える。雪のウィーンも悪くないが、やっぱり晴れの方がイイ。
通りや広場に散らばっていたはずのワインの瓶や花火の燃えカスやゲロ吐いたあとなどは、昨晩の騒ぎがまるで幻であったように跡形も無い。
雪融け水で濡れた石だたみが冬晴れの陽射しに光る様子は、掃き清めたあとに打ち水をしたようにも見え、すがすがしい新年の訪れを一層強く感じさせてくれる。
天気も良いので、シュテファン寺院の塔に登ることにする。低い方の南塔にはエレベーターであがれるらしい。大聖堂のスミに短い行列が出来ているのでそこに並ぶ。
料金は4ユーロ。
エレベーターは頻繁に行き来しているようだが、箱が小さいらしく1回に5~6人程しか進まない。それでも3便目があがって行くと、エレベーターの扉の前まで来た。
あれ、料金所は?
箱の中にはエレベーターガールならぬエレベーターオヤジが乗り込んでいて、ドアが閉まると彼が料金を集める仕組み。
まあ、その仕組み自体は別に文句無んだが、なにしろ彼の体がデカイのが問題。背も高いが、とにかく胴回りが太い。ただでさえ狭い箱なのに、その1/3近くを彼が占領している感じ。
彼はガイドをしてくれる訳でもなく、人懐っこい笑顔でドアを開け閉めし、太い腕を伸ばして料金を徴収しているだけ。
乗務員が彼でなければ、このエレベーターの輸送力はもっと向上するに違いない。
肩寄せ合う狭いエレベーター内は1分ほど開放され、塔の上にでる。
そこは塔の上と言うよりは、屋根の上といった場所。果たして、元から展望スペースにするつもりだったかどうかはよく分からない。時に壁にへばり付く様に、時に屋根のひさしの縁をなぞる様に塔とその周辺を渡り廊下が走っている。
周囲に高い建物が無いので眺めは良い。ところどころに飛び出している教会の塔を除けば、赤茶色の屋根が重なりあって広がっている。
国立オペラ座、国会議事堂、市庁舎。
訪れた場所を一通り確認して回る作業は楽しい。さっきまでいたプラーターの大観覧車も小さく見える。すぐ目の前には、ハプスブルク家の紋章がモザイク画で大きく描かれたモザイクの屋根が迫っている。
まだ午後2時半過ぎだというのに、冬晴の陽射しはいつの間にか西陽になりつつある。冬のヨーロッパの陽は短い。塔の上を流れる風も冷たくなってきた。
シュテファン寺院をあとにし、路地を東に進む。
リンクに出た。その間に太陽は夕陽になっていて、葉のないリンクの並木が作る影が長い。車道も歩道も雪融け水に濡れて、西の方角は目が開けられないほど眩しく輝いている。
リンクを横断すると市民公園に至る。寒空に枝を伸ばした木々。雪の積もった芝生。
遊歩道も、陽当たり悪いところは雪や氷が残っていて、それをガリガリ踏みながらゆっくりと歩く。
手入れの行き届いた園内を歩く人の姿がまばらで、遊歩道の両側にズラリと並んだ座り主のいないベンチが寂しげ。池は大部分が凍っていて、水鳥たちは丸くなったまま微動だにしない。
ヨハン・シュトラウス像の前に来た。
誇らしげにバイオリンを構えた黄金の像は、夕陽を受けてピンクゴールドに輝いている。
改めて、昨日の「こうもり」は素晴らしかったなあ・・・。
やがて、太陽が建物の向こうに隠れて、公園全体に灰色のフィルターがかかり、シュトラウス像もありふれた金色になってきたのを見届けて、市民公園をあとにする。
市民公園から程近いシュヴェルツェンベルク・プラッツ駅から路面電車に乗る。
目的地は中央墓地。「第三の男」のロケ地を巡る以上、ここを外す訳にはいかない。路面電車は暗くなりはじめたウィーン郊外をひた走る。足元のヒーターと程よい振動が心地良い。
眠いな・・・。
ウトウトしながら路面電車に揺られること40分、結露した窓ガラスの向こうに流れる景色が墓地に変わる。敷地は広い。
降りるのは「ツェントラル・フリートホーフ・2Tor(中央墓地第2門)駅」。車内のディスプレイに駅名が出るので、見落としさえしなければ、乗り過ごすことはない。午後3時40分、「中央墓地第2門駅」着。降りたのは我々だけだった。
ライムの墓
広い歩道と駐車場は残雪で白い。その向こうに門がある。太陽が沈むまではあっという間だったが、薄暮の時間が案外長く、まだ歩くのに苦労はしない。
門をくぐってすぐに帰るらしい2~3人とすれ違うと、それ以降は誰の姿も見なくなった。
まっすぐ進んでいくと、左手にヨハン・シュトラウスやベートーベンなど著名音楽家の墓が現れる。いくつか花が置かれ、赤いロウソク、正確には赤いロウソクの形をして頭に豆電球がついたものが弱々しく光を放っている。
有名人の墓は横目で見るだけで通りすぎる。我々の目的地はライムの墓と、アンナが通り過ぎて行く有名なあの並木道。暗くなる前には見つけなくては。
そのまま歩くと、正面に白いドーム屋根のカール・ルェガー教会が現れる。
例のwebサイトの情報で、ライムの墓はこの教会のそばだと分かっており、実際、映画の中でもライムの埋葬シーンで墓石と立木の向こうに見えている。
そのシーンをプリントアウトした紙と実際の景色を見比べて教会との距離感を測りながらその場所を探して、雪深い墓石と墓石の間を歩き回る。
あったど~!
実際はそこにライムの墓は無く、空き地というか通路なのかも知れないが、その右側に立つ墓石たちは確かに映画のシーンに映っていたのと同じだった。
監督キャロル・リードがなぜこの場所をライムの墓にしたのかは不明だが、ポッカリと空いたライム埋葬の地とカール・ルェガー教会と隣りの墓石とを代わる代わる眺めては、しばし達成感に浸る。
次はあのポプラ並木。
中央墓地内の見取り図によると、カール・ルェガー教会からすぐのところにロータリーがあり、そこから放射状に何本も道が延びている。恐らくこの放射線のうちのどれかだろうと見当をつけ、ロータリーに向かう。
放射線はどれも何となく雰囲気は近いのだがピッタリ来るものはない。
まず、どの道もそれほど長く無くて、比較的近いところで突き当たったり曲がったり、ときにはアップダウンしたりしている。それに映画のシーンで映っていた並木の右側の背の低い建物の屋根や、左側の白っぽい大きな銅像も無い。
もう一度、見取り図を眺め直して、とにかく長い直線道路を探してみる。幅は狭いが、ライムの墓があった場所からほんの2区画のところにある道が、見取り図の南東の端で切れてしまっているものの、案外長そうに思える。
ラストシーンの並木道は、確かにそこだった。
南東へ伸びる道のその先は、夕闇迫る空と地平の間に消えている。
右側に屋根がある。左手に白い銅像がある。でも、残念ながら雰囲気はまるで違う。何しろ木が細く小さく頼りない。考えてみれば、映画が撮られたのは1942年。今から60年以上も前のこと。
石作りの街並みや鋼鉄製の観覧車と違って、樹木が現在も映像と同じである方がおかしかったのだ。その後、成長し、やがて老朽化した並木道は、ある時に植え替えられたのだろう。
この木々がやがて成長し、映画の雰囲気に近づいた頃、また訪れてみよう。20年位は先だろうか?木々が蒼く繁る季節ではいけない。そうすると、またお正月か。まだ頼りない並木道も、そんなことを想いながらを眺めると、とても素敵なものに見えてくる。
しかし、映像ではハリーの墓から立ち去って行くアンナだが、実際の撮影では墓の方へ戻って来た訳ね。
狭小ユーロ・ナイト
辺りが暗くなってきた。西洋の墓地は暗くなっても恐さは感じないが、そろそろ街に帰ろう。
さっきまでは弱々しかった赤いロウソクの火が、今は遠くからでも確認できるようになっていた。
人っ子ひとりいない中央墓地をあとにし、再び路面電車に乗る。
すっかり宵闇に包まれた町外れを電車はゴトゴトと進んでいく。その暖かい車内で再び居眠り。乗車時間の40分は、うたた寝にちょうど良い。
午後5時、乗ったのと同じシュヴァルツェンベルク・プラッツ駅で降りる。そこからほんの少し歩くと、見覚えのある建物にたどり着く。
そこは、ウィーン楽友協会ホール。
ほんの数時間前まで、ここの黄金の間では、あのウィーンフィルハーモニー交響楽団によるニューイヤーコンサートが行なわれていた訳だ。
この時間、扉はしっかりと閉ざされ、ホール前の広場に観客らしき人影は見えない。心のなかで「ラデツキー行進曲」を刻みつつ、ライトアップされたオレンジ色の建物の周囲を歩き、世界的なイベントが行われていた余韻を嗅ぎまわってみたりする。
今年の指揮者は初登場のフランス人「ジョルジ・プレートル」。帰国してから録画をゆっくりと見てやろう。
夕食を摂るべくリンクの内側を目指して歩く。
昨晩ほどでは無いにしろ、相変わらずの賑わいをせるケルントナー通り。ワインを売る小さなトンガリ屋根の露店にも代わる代わる客が訪れている。
新年の縁起物を売る露店はさすがに寂しげな客入り。閉じている店もある。店先を飾っていたあの大量のブタやてんとう虫達は、これから一年近くもどこかにしまわれて、再び冬の訪れを待つことになるのか・・・。
ケルントナー通りの露店で冬のウィーン名物の焼き栗を買い、それをつまみながら歩く。よく見れば、栗の殻が石だたみの道には結構落ちている。
ケルントナー通りからローテントゥルム通りを経て、コール・マルクト広場へ。さらに路地を抜けてグラーベン。
最初は夕食を摂る店を物色しながら通りを歩いていたのに、いつの間にか最後にウィーンの街をまぶたに焼き付けるべく、または見逃した場所がないか探しながら歩いている自分に気付く。そろそろ、どこかに腰を落ち着けることにしよう。
ケルントナー通りから横に伸びた通りにイタリアン・レストランを発見。ここを今夜の夕食会場にした。時刻は午後6時半。ビールにサラダにパスタにピザを頼み、ウィーン最後の夜を楽しむ。
サラダバーがあったりして、カジュアルでリーズナブルな店。壁や天井にはまだクリスマス飾りが付いている。小さな子供を連れた家族連れが多い一方で、お年寄り夫婦も結構いる。
店を出たのは午後7時半過ぎだった。
名残惜しいのでまっすぐ地下鉄の駅には向かわず、ケルントナー通りのみやげ物屋に立ち寄ったり、ホーエル・マルクト広場を経由してカフェ・モーツァルトをのぞいてみたりと寄り道しながら歩く。
結局、今回は伝統的なウィーンのカフェに入る機会はなかったなあ。
オペラ座の周りグルリと巡り、リンクをゴトゴトと走って行く赤い路面電車を何台か見送りウィーンの街に別れを告げたら、エスカレーターで地下鉄の駅へと降りて行く。
さらばウィーン。
アナウンスの音が響く夜のウィーン西駅構内。行き交う人は姿はあるものの、どことなく寂しげ。こういうのを「旅情漂う」と言うのかな・・・と思ってみたりする。
コインロッカーから荷物を回収し、大きなコンビニ風の駅売店でお菓子やドリンクを買ったあとホームに向かう。発車まではあと30分足らず。
我々が乗るユーロナイトはチューリヒ行き。
今回、チケットは代理店を通じて購入。本当はWebを使って自力で入手しようと色々試してはみたもののイマイチやり方がよく分からない。
万が一、手違いでもあってチケットが取れていなかったりすると、冬のウィーンで路頭に迷う羽目になりかねない。
かなり高いチケットだったから、優雅な旅が期待出来るであろう。何しろ個室寝台なんだから。うはッはッはッ・・・。
ダークブルーの客車に乗り込み、指定の部屋の扉を開けた我々は目を疑った。
こんなのあり?
実際、一度は車両の外に出て、編成を確認しに行ったほどだ。個室寝台車は1両だけで、あとは座席の車両が5両繋がっている。
狭いなんてもんじゃない!
小さな二段ベッド。座布団2枚分程しか足の踏み場はない。そこに洗面台兼テーブルが突き出している。
ベッドの下に物入れの様なスペースがあるが、縦にしても横にしてもギリギリのところでスーツケースは収まらない。
かといって、座布団2枚のスペースにはスーツケース1個を立てておくのがやっと。仕方がないので、もうひとつは下段ベッドの窓際に立て掛けてみる。
これって車内にどこかに荷物置き場無いの?
ひと通りセッティングが終わってから、車内を歩き回ってみるがそんなスペースは見当たらない。隣の車両にも行ってみるが荷物置き場は無い。
座席車両は通路が片側に寄っていて、透明な扉で仕切られた向こうに3人掛けのシートがある。もしかしたら、寝る時には寝台にセット出来るかも知れない。プライバシーは無いがこっちの方が広々している気がする。午後9時25分、ユーロ・ナイトは定刻通りにウィーン西駅を発車した。
チューリヒ着は翌朝の午前6時20分。約9時間の優雅な旅・・・のはずだったんだが、想像とかなり違う展開。食堂車やサロンカーも無いので寝転がるしかない。ベッドは綺麗ではあるがやはり狭い。
ごっ、ごめん!オナラしちゃったよ。
一瞬にしてそこは悲惨な空間に変化。あまり換気は良くない。でも、以前乗った「北斗星」よりも静かで揺れも少なく、寝心地は良さそうだ。静かに目を閉じる。朝になればそこはスイス第一の都市チューリヒ。
午前6時20分、まだ夜明け前のチューリヒ中央駅に到着。旅も後半戦に突入。