出国
2002年8月某日。数ヶ月ぶりのT朗からの呼び出しで西船橋駅近くの居酒屋にいた。
「そろそろ、どこか行かないか?」
きっと、そーゆー話に違いないと思ったよ。もう、アテがあるに違いない。
「香港どうだ?3泊でも平気か?」
9月末の仮決算明けてからなら、ま~大丈夫だろう。この年の9月は曜日配列の関係上、最終営業日は27日だったので、翌日の土曜日出発なら30日の月曜日の有給は気がねなくとれると思われた。そこでこれを承諾。チケットの手配をT朗に依頼した。
それから数週間後、ある事実に気が付いた私はあわててT朗に電話。半期決算だから9月30日は棚卸があったのだ。しかし、もう1ヶ月を切ったからキャンセル料取られるとのこと。うーん、何とかする・・・と言うか会社で謝るしかないか。
9月28日(土)朝。つくづく四街道は海外旅行へ行くには楽なロケーションだと実感する。午前6時30分に起床。荷物は着替えしかないので、荷造りは起きてからで充分。集合時間はフライトの2時間前の午前8時40分。母親を車に乗せ、家を出たのは8時であった。
土曜日の朝の成田空港は結構混雑しており、何かと時間を要した。チェックイン後、レストランで軽食を摂りつつ、数日前に買った「地球の歩き方」を初めて開き、香港の予習を開始する。いつもの事だが、企画者のT朗も全く予習をしていない。
JAL733便は小雨の降る成田空港を定刻通り出発した。約4時間のフライトのうち、食事と昼寝を除いた時間を予習に充てることにする。決して充分な時間とは言えないが、しないよりはマシだろう。
午後の香港国際空港は混雑していた。でも、その割には静か。発着案内といった場内放送がほとんどないのだ。
香港と言えば飛行機がビル街の間を抜ける様にして飛んでいくイメージがあるが、それは啓徳空港があった時代の話。新空港は香港島の西に位置するランタオ島の北側のチェクラックコプにあり、香港の中心部からは30kmくらい離れている。天気は薄曇。蒸し暑い。
空港からホテルへは旅行会社のチャーターしたバスで向かう。日本人のいくつかのツアー客がまとめて乗せられ、添乗員も3人ほど乗り込む。ホテルに着くたびに、彼ら添乗員がひとりずつ降り、チェックインをしてくれるとのこと。
マイクを握るのはセキ氏。とても日本語がうまいので、てっきり日本人の「関さん」か思っていたら実は「石さん」という香港人。
我々の宿は、九龍半島の中心地、尖沙咀(チムシャツォイ)にある皇家温莎酒店(ロイヤルウィンザーホテル)。金巴利道(キンバリー通り)に面した、こじんまりとした綺麗なホテルだ。
「香港のホテルは冷房が効きすぎているから、体調を崩さない様に注意」
出発前に上司からアドバイスがあったが、ここのロビーや廊下は快適な温度だった。
中港碼埠
夕食には少し早いので出がけることにする。雨の日本は涼しかったが、亜熱帯気候の香港はさすがに蒸し暑い。持ってきたショートパンツに履き替えた。九龍公園(ガウロンゴンユン)は、ホテルからだと彌敦道(ネイザンロード)を挟んで西側にある小高い丘に作られた公園。人込みのネイザンロードに比べれは、はるかに人が少ないが、それでも散歩や、座っておしゃべりする人達で賑わっている。
屋外プールがあるが、泳いでいる人はいない。もう、夕方の5時近いので営業時間が終わっているのだろうか?その他、水鳥やフラミンゴのある池などがある。小さな子供を連れた親子や、鳥達の写真を撮っている人がいる。九龍公園内を東から西に横切り、西へ突き出した中港碼埠(埠頭)へ。
視界が開けると、ドーンと香港島の高層ビル群が目に飛び込んでくる。地震大国の日本では考えられない様な、細長いビルが林立する。さすがは、世界に誇る過密都市だけのことはある。左手前には櫛の歯の様に並ぶ埠頭。そこに停泊する世界一周ができそうな巨大旅客船。これら巨大ビル群と巨大客船のせいで、対岸までの距離感や山の高さが麻痺させられる。
あたりはまだ明るいが、埠頭の近く、廣東道(カントン通り)沿いにある店で夕食を摂る。入ったのは広東料理の店で、一般には広東風デザートで有名な店らしい。まだ時間が早いせいもあるのだろうが、店内は家族連れやカップルが多く、オーダーしているのも軽食がほとんど。実際、我々と相席になった香港人カップルも、2人でフルーツ入りの杏仁豆腐の様なモノを頼んでいた。その向かい側で、ビールと料理をガンガン頼んでいる我々。どうも違和感を禁じえない。
T朗はあまり興味がないようだが、私は「自分の話すその国の言葉が通じるか?」に挑戦したいタチ。ここで、覚えたての広東語が通用するかを試みる。
私「小姐(シウジェ/すいませ~ん)」
店内が騒がしい事もあるのだろうが、やはりイントネーションが怪しいのだろう。誰も来てくれない。
私「シウジェ!」
T朗「エクスキューズミー!」
オイオイ、カタカナ英語かよッ!と心の中で三村ツッコミをする。しかし、たとえカタカナ英語でも通じない広東語よりは追加オーダーへの道は近かった。悔しい。
店を出るとき、再び広東語を試してみる。北京語であれば誰でも知っている「謝々」であるが広東語ではこう言う。
「唔該(ンコイ/ありがとう)」
反応はない。「ン」から始まる発音そのものに慣れないせいか。それとも、同音でも9種類もあるという広東語のイントネーションが違うのか?
腹ごなしに散策しながらホテルへと帰る。九龍公園の南側からネンザンロードにかけてはたくさんの店が集まっており、若い人達が多い。ひときわ目立つのはHMV。小さなCDショップも多い。実際はVCD(ビデオCD)の品ぞろえが圧倒的に多く、次に多いのがDVD。香港映画・洋画・邦画・アダルトなど何でもある。
同タイトルのものが10枚、20枚と店頭に並んでいるのは当たり前。床から腰の高さくらいまで積まれているものも多い。いったい、在庫日数はどれくらいなのだろう?値段はVCDが15~30HKドル(240~480円)位が多い。DVDの方が価格帯が広く、40~50HKドル程度。
電気店・カメラ店も多い。その店頭にならぶ商品に値札の付いたものは少ない。街角や歩道では、雑誌を売っている簡易な店舗が多い。一方、いわゆる本屋は見当たらない。ネンザンロードに出ると、通りの西側にはブランドショップが並ぶ。私には縁がないので看板を見て歩くだけ。