サンマルタン運河
また、メトロに乗っている。東へ向かうメトロ2号線は高架区間に入って、ようやく傾き出した午後の強い日差しが眩しい。
線路は通りの上のあまり高くないところ・・・せいぜい10数mくらいを走っている。車窓両側のアパルトマンと同じくらいか、むしろあちらの方が高いくらい。広大なアパルトマンという地層を通りが縦横に切り刻んでいて、メトロはその切れ目を走っている。そんな感じ。
メトロは徐々に郊外へ。そのせいか車内に観光客らしい人の姿は減ってくる。本を読む人、買物袋を下げた人。それにアフリカ系の移民の姿も多い。郊外・・・それもそのはずで、乗り換えるつもりの駅を2つも乗り越していた。急ぐ旅でもないし、慌てることなくジョレス駅で5号線に乗り換える。ルートとしては「て」の字型に部分的に同じ場所を往復し、目的地であるジャック・ボンセルジャン駅に到着
地上にでたら、看板で現在地と進行方向を確認。パリの道は直線にはなっているが碁盤の目状ではないので方向が把握しにくい。いま居るみたいな小さなロータリーのなかの広場だとなおさらだ。放射状に伸びたこれといった目印のない通りはどれも同じにみえる。
そこにスペイン系らしいちょっと派手なネーちゃんが近寄ってきて、指に挟んだ煙草をちらつかせながら「火を貸して欲しい」と言う。
うわっ、怪しい。
ネーちゃんの外見も怪しいが、この場面で私に煙草の火を借りようとするのが怪しい。見ての通り、こっちは正真正銘の日本人観光客だ。さてはこの女、観光客を狙った新手のスリか?と腰の辺りのバックに神経を向けつつ答える。
「ノンノン」
するとスペイン娘は何事もなかったかのように、あっさり立ち去っていった。ちっ、考えすぎだったか・・・。でも、実際に持ってないのだから仕方ない。嘘は言っていない。
ここで煙草の話。パリの街中、煙草を吸う人の姿は多い。カフェでもそうだし、歩き煙草をする人も結構いる。よって、一見キレイな華の都パリも、石だたみの隙間や街路樹の根元などには吸殻がたくさん落ちている。別に「フランス人の歩き煙草はカッコイイ」などとは思っていない。ましてはここで「受動喫煙」とか「ゴミ問題」についてとやかく言おうというのではない。
あくまでも「ところ変われば価値観も変わるのだなあ」ということ。歩き煙草やポイ捨てもそうだし、犬の糞の放置やノーリードでの散歩もそう。びっしりと並んだ路上駐車もまた然り。いずれも日本だったら社会問題や住民問題なっていることばかり。
パリでもそうなのか?どうもそうとは思えない。もっとも、この感想は私がお気楽な観光客に過ぎないからかも知れないが。
そりゃ、煙草も糞も路上駐車も「迷惑か?それとも迷惑じゃないか?」と問われれば、答えは「迷惑」に違いない。でも、物事の善し悪しを「迷惑かどうか」で決めるべきじゃないと思う。
人間は誰しも何かしら他人に迷惑をかけながら生きている。いや、迷惑をかけずに生きるなんて不可能だ。パリ市民にとって、煙草や糞や路上駐車がどれくらい迷惑かというと、きっと、目くじら立てるほどではないのだろう。これは、この土地の長い歴史や環境によって培かわれた「文化」なのだと思う。外国人が是や非を言うのは奢りなんじゃなかろうか?
ジャック・ボンセルジャン駅からサンマルタン運河へと続く道を歩いている。車は一方通行。狭い歩道があるものの、ガタガタしてあまり手入れがされていない感じ。ところどころに落書きもある。この時間だと、太陽の光はアパルトマンの上層階にあたるだけで、生活臭漂うこの裏道までは照らしてはくれない。
ところが、この裏通りにもポッカリと明るい区域があった。とあるアパルトマンが取り壊されている現場だ。
街の歴史ある景観を保持するため、パリの建物は見えないところはどんなに変えても良いが、外観を変えてはいけないことになっている・・・と現地ガイドさんが言ってたっけ。でも、その説明に対する私の解釈は、すなわち「内装工事」だった。しかし、目の前の工事現場は、これまで見たこともない工法で行われていた。
L字型の高い石壁が立っている。通りに面した部分と、そこから折れた側壁部分だ。足場やつっかえ棒が、それらを支えるように組まれている。石壁には沢山の窓が空いていて、その窓の内側も同様につっかえ棒が入れられている。窓の向こうには空と、隣のアパルトマンの側壁が見えている。つまり、危うい感じでそそり立つこのL字型の石壁は、アパルトマンの外壁だったのだ。
外壁だけをそっくりそのまま残して取り壊し、その内側に内装工事という概念をはるかに超越した「大改造!!劇的ビフォーアフター」が行なわれているのだ。手間も金もかけて何千何万の建物が同じ様に改築され、歴史を感じさせる街並みと快適な生活を両立させているのだな、この街は。
サンマルタン運河は、この細い通りを抜けると唐突に現れる。車の行き交う橋の上から見えるのは深緑色の水面。この橋の高さは水面すれすれで、また両端には継ぎ目のような隙間がある。恐らく、船が通る時には扉のように片岸を軸に橋全体が回転して、運河を開けるしくみになっているのだろう。
すぐ上流には2連の水門と信号がある。水門は落差3mくらいの滝となって涼しさを漂わせ、信号はその一角を見下ろすように立っている。この橋と水門と信号が現役選手かどうかはわからない。
水門との間にはアーチ橋がある。船が下をくぐれるように、太鼓の様に大きなアーチを描いている。この橋も素敵だ。
繊細な造形をした鉄の橋脚は、水面を映したような上品な緑に塗られている。大きなアーチにあわせて、床板部の両端1/3ずつは階段状になっている。頂上に立つと、水辺の涼しい風に包まれ心地良い。手を伸ばせば運河の両岸から伸びたマロニエの梢に手が届きそうだ。
すぐ上流にも、双子の様にそっくりな橋がある。水門のあたりの幅は10mくらいだが、2つ目の橋の先からは、その4倍位に拡がっている。広くなった運河は、波ひとつたたない水面に並木とアパルトマンを映し、緩やかな孤を描いて伸びている。
運河の岸辺はマロニエ並木の遊歩道になっていて、そこでは人々が夏の午後のひとときを楽しんでいる。
ゆったりと散歩する老夫婦。岸辺に腰掛け、本を読む青年。木陰で昼寝しているオッサン。楽しそうにお喋りをする女性達は、仕事を終えた家政婦さん風。ワインを酌み交わす男性ふたりは何やら盛り上がっている。ヨットを浮かべて遊ぶ兄弟と、それを見守る父親。それらの様子をアーチ橋から眺める男女(つまり我々)。
街の中心部の華やかさや、モンマルトルのような賑やかさはないけれど、この界隈には古き良き時代の風情が漂っている。なんだかホッとする風景なのだ。
橋の上から、運河に浮かぶヨットを眺めている。
穏やかな風とゆったりとした水の流れのイタズラなのか、ヨットは幅40mほどの運河のちょうど真ん中辺りを行ったり来たりしている。ヨットを追いかけて右岸から左岸へ、また右岸へとアーチ橋を駆け抜けて行く幼い兄弟。そして、岸辺から長い木の棒で水面を叩いたりして何とかヨットを操ろうと奮闘している。
その微笑ましい様子は見ていて飽きない。幼い兄弟の父親は手出しをしない。我々同様に、アーチ橋の上からただ傍観している。
子供が枝を片手にヨットをたぐり寄せようとして、運河に落っこちんばかりに身を乗り出している。端で見ているこっちがハラハラする様な場面。
しかしこの父親は、注意もしない。手助けもしない。相変わらず橋の上からただ傍観し、橋を駆け抜けていく息子達に、時折、優しい笑顔で話しかけるだけだ。これが日本の父親だったら、自分が率先して枝を手にして、張り切っているに違いない。
一方、周囲の人たちも、その様子を気に留めるでも無く、咎めるでも無くという感じ。時どき声がかかるが、それは注意では無くて、どうやら声援のようだ。この大らかとも放任主義ともつかない子育てがパリ流なのだろうか?
もっとも、この橋の上の方が全体の様子を把握できるし、もし、子供が運河に落ちたときにも飛び込むには都合が良いのかも知れない。しかし、そこまでこの父親が考えているのだろうか?短パン姿に、チリチリパーマで鼻メガネのその横顔。果たして?
オペラ座
ジャック・ボンセルジャン駅からひと駅でレピュブリック駅。ここで8号線に乗り換える。前に「パリのメトロの案内は分かりやすくて間違うことはない」とかなんとかカッコイイこと言っておきながら、この駅で不覚にも迷ってしまった。
何しろレピュビリック駅は路線が4つも交わっていて、それらを結ぶトンネル状の通路が入り組んでいる。意外に判りにくい。
そんなわけで、人波にもまれて行ったり来たりしながら、ようやく目指すホームに到着。一息つく間もなく・・・とは言うのはウソで、本当は5つも先の駅で降りる予定なのだが、今日は車内で一息つく毎に乗り過ごすパターンが続いている。その反省を生かし、緊張を維持したまま目的地のオペラ駅で降りる。
階段を昇ると、オペラ座正面広場に出た。うむ、さっきは駅構内で迷ってしまったが、出口の選択に関してはコツをつかんできたらしい。
今いる場所は近過ぎて、オペラ座の目印である碧色の屋根はもちろん、建物全体の様子もよく分からない。見上げれば、大理石の壁や屋根に美しいモザイクの装飾が施されているのが見える。
大理石の階段を昇って、人々が入口から中へと消えていく。だが、オペラ鑑賞をすべくドレスアップした人は少ない。開演前と言うよりは、どうやらオペラ座の建物内を見学に行く人が多いようだ。館内にはシャガールによる天井画「夢の花束」などが美術的価値の高い装飾が多数あるらしい。
オペラ座は1873年に建設され、別名オペラ・ガルニエと呼ばれている。実際のオペラ公演のほとんどはバスティーユにある新オペラ座で行なわれていて、ここではもっぱらバレエの公演が中心らしい。そういえば、ウチの老夫婦もこの5月のパリ滞在時に、ここでバレエ鑑賞をしたと言っていた。しかも驚いたことに日本からネットでチケットをとったらしい。いつの間にそんなテクを身に付けたのか?ほんの数ヶ月前までは、メールの受発信すらやっとだったはず。
どうやら、結婚する息子(つまり私)が家を出てから時間的な余裕が出来たのと、パソコン操作につまずいた時に聞く相手(つまり私)がいなくなったので、自力で解決するようになったらしい。こうゆうのを「子離れ」というのだろう。今回の旅行の直前に見せられた、スーツ姿も誇らしげにオペラ座入口に立つ父親の写真を思い出す。他人が見たら、一年前に生死の境を彷徨ったとは俄かには信じられまい。もう70歳だし。屋根の内側の装飾を見上げながら、そんなことを考えている。
いつの日にかここでバレエ鑑賞をしよう・・・と心に誓ってアプローチの階段の上から周囲を見渡す。右から左へカピュシ-ヌ大通りが横切っている。立ち並ぶ高級そうなショップは、セール期間なので大賑わい。たくさんの人々が広場に流れ込んでくる。なんだか祭りの前の様な賑やかさに包まれている。
正面にまっすぐに伸びるのがオペラ大通り。ここがオスマン式アパルトマンの最も美しく見える通りのひとつだということは既に触れた。昨日の市内観光の時に、この先の免税店に立ち寄ったことと、可愛いカフェに立ち寄ったことも既に触れた。賑やかなオペラ座前をあとにして、オペラ大通りをルーブル美術館方向へ。閉店時間を過ぎた店も多く、人の姿も減った、華やかながらも落ち着いた雰囲気の沿道。そのショーウィンドウを覗きながら歩く。
当初、何処へ向かうとも無く歩き出したのだが、いつの間にか目的地を昨日立ち寄ったカフェ「ラ・ファルメ」に定めていた我々。どうせなら、あの牛マークのグラスをもうひとつゲットしてペアにしようと企む。店が見えてきた。ふと、嫌な予感が頭をよぎる。
ガラスのはめ込まれたドアに手をかける。残念ながら予感は当たっていた。空は昼間のように明るいが、時刻は午後7時半を回っていて、既に閉店していたのだ。
な~んだ残念。気を取り直して、オペラ大通りをそれて狭い道をルーブル美術館方向へ歩く。なぜかこの辺りには寿司屋や焼き鳥屋をはじめ、日本語の看板が目につく。それと、一見アパルトマンと見分けがつかない小さなホテルが多い。きっと、日本人ビジネスマンが多いエリアなのだろう。でも今日は休日のせいか姿は見えない。
とてつもなく長い両翼に、細かい装飾を施された壁と窓。そしてドーム屋根。品が良くて重厚で奥行きが深い。やはりルーブル美術館は素晴らしい。パリの建物では、ここが一番凄いと思う。見ているだけで、中世~近世ヨーロッパの繁栄を全身に浴びる様に感じさせられる建造物だ。さすがは世界のルーブル。
チュイルリー公園の中を、あっちへフラフラこっちへフラフラとしながら、少しづつコンコルド広場方向に移動している。陽もだいぶ傾いて、暑さも和らいだとは言うものの、コンコルド広場の方に最短距離をとると、西日を真正面から浴びることになって眩しいのだ。
つながるチュイルリー公園。もともとはチュイルリー宮という宮殿があったそうだが、焼けてしまったのだそうだ。もし現存すれば、ルーブル美術館に負けない大きさだったのだろう。
現在のここは、基本的には芝生と木立と噴水しかない。あとは、彫刻とベンチが少々あるだけ。凱旋門とルーブル美術館を結ぶラインに、シャンゼリゼ通り、コンコルド広場ときたら、
「あと必要なのは大きな公園だ!」
というある意味単純な発想で造ってしまった感すらある。おかげで散歩しているだけでキレイ!広い!気持ちイイ!と単純に感激できるのかも知れない。屋台でアイスを買って、食べながら歩く。我々同様、公園内を歩く人は結構いるのだが、その広すぎる敷地と夕陽に長く伸びた影のせいで、むしろ閑散とした雰囲気さえ漂っている。
それでも、丸い噴水の周囲には、吸い寄せられる様に人々がいて、楽しそうな話し声がしている。キラキラと夕陽を反射する水面。そこを滑る様に進むヨット。さっき、サンマルタン運河で見たようなヤツだ。これが3艘も浮かんでいる。ふと見れば、ワゴンにヨット何艘も載せた貸しヨット屋らしき(まさかヨット売り?)姿もある。パリではこれが流行ってるのだろうか?
噴水の縁に座って、ぼんやりと時間を費やす。昨日も今日もよく歩いた。メトロにもたくさん乗ったし、望むか望まざるかはともかく、何軒もカフェに寄ってパリジャン気分を味わった。観光スポットも、短期間の割には結構あちこち訪ねた方だろうと思う。ちょっぴり満足な気分。足腰も心地よい疲労感。もう数時間後には日も暮れ、明日の朝にはパリともお別れなのだ。
高速観覧車
数羽のハトが頭上を飛んでいく。その先にエッフェル塔が見える。視線を右へ移すとオベリスク。奥には小さくエトワールの凱旋門が見えるはずだが、逆光でハッキリしない。反対に、アウグスティヌス帝の凱旋門とルーブル美術館は夕陽を正面から浴びてシャンパンゴールドに輝いている。ルーブル美術館の左には小さな観覧車。相変わらずグルグルと凄い速さで回転している。
観覧車に乗ろう・・・と言い出したのが、私かそれともあこだったのかは思い出せない。ともかく、そうと決めたら一刻も早く乗ろうと足早に歩く。
まだ明るいとはいえ時刻は午後8時ちょっと前。普通なら子供の遊ぶ時間をとっくに過ぎている。いつ観覧車が営業終了してもおかしくない。もし今、目の前で観覧車が止まってしまったら、たまらなく落ち込んでしまいそうだ。
遊園地が公園の北側の辺に沿って細長く配されている。小さなゴーカートや小さなメリーゴーランドなどの乗り物と、ポップコーンやジェラートを売る店などがある。どうやら、バカンス期間限定の移動遊園地らしい。
幸いにも観覧車は動きを止めず、我々を迎えてくれた。近くから見てもやっぱり小さい。直径は15mほどだろうか?頂上がルーブル美術館の屋根と同じくらいだ。
当然、人が乗るゴンドラも小さい。外輪部とゴンドラとをつなぐのは一本の鉄棒で、それを軸にした直径1m位の円盤が2個ついている。これがゴンドラの屋根と床。その2枚の円盤の間に椅子部と、背もたれ替わりの鉄パイブがついているだけの実に開放的な構造。
やはり回転も速い。1周するのに20秒もかかっていないようだ。当然ながら、回転に併せて少しずつ乗客を入れ替えるのではなく、一斉に乗せて一斉に降ろす仕組み。
何周で入れ替えるかの明確な基準はたぶんなくて、乗客のノリノリ具合と、待ち人数で判断しているに違いない。つまりは気分次第ということだ。陽気なパリジャン係員の案内でゴンドラに乗る。素朴な造りの大きな鳥小屋からは、ギシギシと怪しげな音。大丈夫か?
やがてモーター音と共に初めはゆっくりと、そして徐々にスピードを増して行く。
こりゃ~最高に楽しい!ググッと上昇すると、周囲の景色が眼下に広がって見える。スーッと下降するときは、ちょっとしたジェットコースター並の感覚。
「コニチワ~!」
「ぱり楽シイデスカー?」
下で待ち構えたパリジャン係員が叫びつつ、すれ違い様に我々のゴンドラをグルグルと回してくれる。真ん中の鉄棒を軸にコマのように回転する造りになっているのだ。ゴンドラからギーギーとう悲鳴が聞こえるが、たいして気にならない。
「こんにちはー!ぼんじゅーる!」
「楽しーい!セ・ボーン!」
彼等に親指を立てて応えれば、パリジャンも飛び上がかんばかりの勢いで手を振り返してくる。とっても陽気でサービス精神旺盛な連中。じきに速い回転にも慣れ、景色がよく見える様になる。
これまでと違う視点から眺めるパリの街は新鮮な感動。すぐそばにあるのはルーブル美術館のリシュリュー翼。ガラスのピラミッドも見える。ピラミッドのまっすぐ先にはノートルダム寺院の四角い2本の搭。
目に鮮やかなのはチュイルリー公園の芝生。セーヌ川を挟んだ向こう側にある平たい建物はオルセー美術館。アンヴァリットのドームはシルエットになって輪郭だけが微かに見える程度。その右手にはエッフェル塔。今度来ることがあったら必ず最上階まで昇ってやろう。待ってろエッフェル塔!
オベリスクを越えればシャンゼリゼ。エトワールの凱旋門は、デファンス地区のビル群と重なってしまってよく見えない。一昨日の晩は寒さをこらえて夜景をみたんだっけ。北側にはアパルトマンが連なっている。
ゴンドラが下にいるときは、森の樹々の根元あたりで、上昇すると樹々を突き抜けて森の上に顔を出す感じ。色々な形をしたアパルトマンの屋根が重なり合うようにひろがっている様は、大地を被う森のようだ。その森のなかで目を引くのは碧色ドームはオペラ座。下から見て想像していたのと建物の形が違う。
そして、標高129mのモンマルトルの丘に建つサクレ・クール聖堂。側面から陽を浴びた白亜のドームは、美しく輝いて見える。
3日間で巡ったあの場所やこの場所を、クルクルと回る観覧車の上からまとめておさらいする。高いところに差し掛かる度に、指さしてその名前を叫んで確かめるのはとっても楽しい作業。下に来れば陽気なパリジャンが我々を待ち構えている。もう、これを15回くらい繰り返している。こんなに愉快な観覧車は生まれて初めて。
3日間のパリ滞在のフィナーレを見事に飾ってくれた高速観覧車に感謝。
めるし~ぼ~く~!
そりゃ、もっともっと滞在して、まだまだ色んな所に行ってみたい。このまま夜に来なければイイと思う。でも、不思議と心残りや寂しさといった感情は無い。あるのは楽しい思い出だけ。妙に晴れ晴れとした気分なのだ。必ずまた来るぜパリの街!
お~るぼぅあ~!
ブラッスリーにて
暗くなり始めた坂道をホテルに向かって歩いている。振り返ると、通りの両側のビルの間から、ライトアップされたエッフェル塔が浮かびあがって見えている。時刻は午後9時を過ぎているが、公園ではまだ子供達が飛び回っている。夏のヨーロッパの子供達は宵っぱりだ。
この分だと大人の我々の方が、先に寝床に入っているかも知れない。部屋でシャワーを浴び、夕食をホテルのすぐ隣のブラッスリーで摂ることにする。
ブラッスリーとは、簡単に言えばお酒を呑むことを目的とした店。夜中じゅう開いている店も多い様だが、この店は、郊外のショッピングセンターの一角にあるせいか午前0時までらしい。
もっともこの店、こちら側からみると「バー・ブラッスリー」と書いてあるが、我々が座ったオープンテラス側から見ると「カフェ・レストラン」になっている。本当はどっちなの?
店は空いていて、店内のカウンターとテーブルに数組。それとオープンテラス席には我々と、6人の日本人グループ。案内してくれたのは、ショートカットをはるかに越え、限りなくスポーツ刈り近い金髪が格好いいウェイトレス。でも、どういう訳か不機嫌。
しかし、その訳はすぐに見当がついた。どうやら、その6人が気に入らないらしいのが動作の端々にみてとれる。その6人は3組の中高年夫婦グループ。テーブル上の料理はあらかた片付き、あとはグラスの残った酒をチビチビやりながら談笑している。別段、大騒ぎしている訳でも無いし、特別に下品な人達にも見えないのだが・・・。
このまま日本人に対して悪いイメージのまま放って置く訳にはいかない。我々にも被害が及ぶ可能性もある。幸い3日間で「理由は判らんが、どうやら我々は意外と外人ウケがイイ」と感じていたので、汚名返上とばかりに努めて明るくショートカットの彼女に声をかける。
「ぼんそわ~る!ら・かるて、しるぶぷれ?(こんばんは!メニューを見せてください)」
「あら、あなたフランス語が話せるの?」
と意外なリアクションが英語で帰って来た。私は親指と人さし指で隙間を作りながら弁解する。
「ノンノン、リトル!リトル!じゃなくて、ぷちぷち、ぷち。」
「私もフランス語はプチよ。」
と、またまた英語で彼女。恐らく近隣国からの出稼ぎか留学生なのだろう。
彼女は首を小さく左右に振りつつ「プチプチプチ♪」と唄うように口ずさみながら店の奥に下がったあと、メニューを持って来てくれた。そのあとの彼女が、我々に何かと気を使ってくれたのは言うまでもない。
サラダと舌ビラメのバター焼きをオーダー。
お世辞にも綺麗な盛り付けでは無いが、これが実に旨い。涼しい夜風にあたりながら、ゆったりとした時間を過ごす。生け垣の向こうの公園に既に子供達の姿はなく、宵闇に街灯だけが妖しく光を放っている。酒の肴はパリでの3日間の出来事。静かなこのブラッスリーはその場所にふさわしい。
「静かな」と言えば、さっきの日本人6人グループだが、なかの女性の一人が伝票を携えて店内に向かい、皿を片付けにやって来たショートカットの彼女に、これみよがしにチップを手渡している。
あちゃー、こりゃ嫌われても仕方ない。ガイドブックで最低限のマナーを予習し、少し勇気をふり絞って陽気に話しかける・・・たったこれだけで、我々は結構ハッピーな気分を味わえている気がする。
そろそろ部屋に戻ろう。明日の朝は早い。