函館駅
港と坂道とロマンと歴史のまち函館は、私が幼稚園の年長から小学校3年生の夏までの3年半を過ごした街。その後、幾度となく旅の玄関口として訪れた函館駅は、私にとってとても思い出深い場所。
かつては駅構内を夜間開放しており、多くの旅人が野宿をしていた。みんな慣れたモノで、お互いに微妙な距離を保ちつつ、あそこでゴロリ、こちらでもゴロリ。なかにはコインロッカーの上や土産物屋のカウンターの中に陣取る人もいる。
1989年8月、私もここで野宿した。しかし、床は固いしイビキはうるさいし、そうそう寝れるものでは無かった。
誰かに住む街聞かれたら、ハイ!函館と答えます♪
市民なら誰でも唄える「函館賛歌」。市の歌・・・というか、この手のものとしては妙に明るいメロディと歌詞で始まる。しかも、これを市民の多くが唄えるというのも、他の市町村にはあまり無いだろう。
青函連絡船
改札口を抜け、階段を登り、長い長い「連絡船通路」を歩いて乗船口へ向かう。窓の外に、船内へ貨車を積む引込み線、そして船尾のハッチを開いて待ち構える連絡船の姿。これが現役時代の連絡船乗船風景だった。
引退後の現在、当時の趣きを残すのは唯一「摩周丸」だけ。駅の外から函館朝市を左手にして、駅裏の駐車場の方からのアプローチ。操舵室に入ることも可能。
函館朝市
敷地は約1万坪。函館駅から歩いてすぐ。多くの観光客と多少(?)の市民でいつも賑わっている。写真右上に写っているのは「あさいっちゃん」という朝市のキャラクターだそうだ。
「お兄ちゃん達、このコンブどうかね?」
「う~ん、どうしよう。明日また寄るよ」
「明日?ばあちゃん死んでっかも知んね。今日買ってきな」
うまいと言うか、シュールと言うか・・・。
金森倉庫
江戸時代から国際貿易港として繁栄した函館。
明治時代に建てられたという金森倉庫は、華やかなりし当時の様子を偲ばせるエリア。現在は改装して、地ビールレストラン他、様々な飲食店や雑貨店などが並んで賑わっている。
函館西埠頭
金森倉庫を過ぎて、海沿いをさらに函館山の方へ。しだいに辺りには、海運会社や水産加工の会社が増えてくる。
さらに西埠頭へと入る。
函館山がグッと近づいてきて、遠くに金森倉庫が見え隠れする。この辺りは水上警察や海上保安庁の船舶が多く、近くには海上自衛隊の基地もある。
八幡坂
江戸時代から函館山の裾野に栄えた函館は、当然ながら坂の多い町。
ここ「八幡坂」は、以前、チャミーグリーンのTVCMで、おじいちゃんとおばあちゃんがスキップしていた坂として有名。もちろん、港町函館の代表的な景色が見れる地点でもある。
函館西高校を背中にして坂を見下ろすと、まっすぐに伸びる石畳の道の先には青い海、そして今は動かない連絡船。さらに、坂を下りきった辺りを横切っていく路面電車の音がかすかに伝わってきたりして、旅の情緒がたっぷり。
ハリストス正教会
国の重要文化財。異国情緒あふれる函館元町付近のシンボリックな建築物「ハリストス正教会」。最初は1860年にロシア領事館の付属聖堂として建てられた。
建造当時は日本最古のギリシャ正教会の聖堂だったそうだ。現在の建物は大正5年に再建されたもの。
聖ヨハネ教会
明治11年、英国正公会の日本教会として建てられた。その後、度重なる火災で移転を繰り返し、現在の建物は大正10年に昭和54年改築されたもの。屋根は真上から見ると、十字架の形となっている。
旧函館区公会堂
国の重要文化財。薄いブルーの壁にクリーム色の縁取りが施された洒落たデザインと、素材に木をふんだんに使った組み合わせ。いかにも、明治時代のハイカラな洋風建築といった風情。
2階のテラスからは、函館山の裾野に広がる街並みを眺める事ができる。
函館山山頂
標高332mの函館山。その函館山と渡島半島をつなぎ、緩やかな曲線を描く街の明かり。ここの夜景は世界一だと思う。何回訪れても、その感想は変わらない。
夜景の楽しみ方は人それぞれだろうが、私は少し明るいうちから登って徐々に街の光が増えていく様を見るのがお気に入り。
山へのアクセスにはいくつかのパターンがあり、どれも甲乙つけがたい。
ロープウェイだと、山麓駅を出たとたんに遠ざかる駅の建物の向こうから、一気に街の光が広がる。ゴンドラ内は歓声に包まれる。インパクトではこれが1番。でも悔しいかな、あっという間に山頂についてしまう。あと、混雑時にはなかなか良いポジション取りが難しい。
函館駅発着の路線バス。視点が高いので、景色もそれなりに見える。車内に流れるベタなBGMとナレーションも悪くない。
タクシーで山頂を訪れる人は多い。展望台にも運転手さんが同行してくれて、ガイド役を務めてくれるし、記念写真も撮ってくれる。
自家用車の場合、カーブも多く道幅も狭い山道なので、ドライバーに景色を見る余裕はほとんどない。また、混雑緩和のために17時~22時は一般車両は山に 登ることは出来ない。だから、自家用車で夜景を見るなら夜遅い時間に限られる。さらに夜がふけると、今度はドリフト族の時間となる。
1976年9月6日。ソ連のベレンコ中尉が操る「ミグ25」が函館空港に強行着陸。その日、我が家は偶然に家族4人で函館山に遊びに来ており、山頂からその様子が見えたらしい。
「ソ連軍の潜水艦がやってきて上陸してくる」
「ミグの破壊のためにミサイルが飛んでくる」
それからしばらくは、こんなデマが流れて大騒ぎだったそうだ。
立待岬
津軽海峡を渡る風音、潮騒、鳥の声。森昌子の唄「立待岬」の雰囲気そのままの荒涼とした風景。実際、ここは自殺の名所でもあるというから、ロマンチックな街「函館」らしくないスポットとも言える。
日が暮れてきてからの方が雰囲気が良い。周囲の景色が夕闇に沈んでくると、水平線近くにイカ釣り船の放つ光が輝いて見える。駐車場にはカップルの車が増えてくる。
谷地頭温泉
函館山麓に湧く温泉。老朽化したガランと広い建物。茶褐色の湯とその色に染まった床や壁のタイル。異常に高い年齢層。そこはかとなく漂うウ○コ臭いニオイ・・・。
改装される以前の谷地頭温泉は、こんなディープなスポットだった。
改装後の現在は設備が一新。圧倒的な数の洗い場、大きな湯船、広い脱衣所・休憩所。それでいて、石鹸・シャンプーの備え付けがないという銭湯の雰囲気を残す頑固さがイイ。
啄木小公園
国道278号沿いの大森浜にある小さな公園。函館を愛した石川啄木を偲び、彼がよく訪れて詩作にふけったという大森浜に像が建てられている。頬杖をついた啄木の像に。詩が刻まれている。
潮かをる 北の浜辺の砂山の
かの浜薔薇(はまなす)よ 今年も咲けるや
函館山は牛が寝そべっている姿に似ている事から別名「臥牛山(がぎゅうざん)」と呼ばれている。この角度から見ると、そう見えるような見えないような・・・。
駒場車庫
路面電車の東の終点「湯の川」から2つ目、函館競馬場のそばの「駒場車庫駅」。
名前のとおり、駅の脇には路面電車の車庫がある。入口の事務所でお願いをして中に入れてもらう。
車体の塗装はレトロな配色の地味なもの、広告を施された派手なものが混在している。車庫になっている建物は「レトロ」を通り越して、すでに老朽化の域。
五稜郭
旧幕臣と明治新政府が闘った箱館戦争の舞台となった「五稜郭」。もともとは、徳川幕府が北方警備の強化のために建造した日本初の洋式城郭。
堀の外に迫りくる敵を挟撃することを意図して、凹凸のある星型となっているのだそうだ。 ただ、その星型を見るためには「五稜郭タワー」に登らなければならない。また、函館山頂からも辛うじて星型を確認する事が可能。
現在は公園となっており、桜の名所でもある。城内には箱館戦争に関するものも多い。石垣や土塁も当時の面影を残している。
金堀小学校
小学校1年生から3年生の1学期まで過ごした私の母校。大森浜から近いところに位置する。なぜか北海道には古い木造建築の学校が多いが、ここも例外ではない。細かい格子窓、レトロな煙突などからそれと判る。冬はダルマストーブを使っていた。
ある日の放課後、給食室が火事になるという事件が発生。廊下の奥、給食室のある方から、灰色の煙が天井を這う様に進んでくる。あっという間に下駄箱のそばにいた私のそばまでやって来た。ボーッっと天井を見上げる私に向かって奥から走ってきた女の先生が叫ぶ。
「早く逃げなさい!」
煙よりも、先生の形相と剣幕に驚いてしまった。