ウィーンの朝
2007年12月30日、日曜日。エレベーターで1階に降りる。時計は午前8時前。
中国人らしい老婆がモップがけしている脇を抜けて、ようやく明るくなってきた建物の外へ。扉の脇にある寒暖計を見るとマイナス1℃。感覚としては数値ほどには寒くないが、部屋着のままで長時間はいられない。すぐに建物のなかに戻る。
ここはホテル「アドミラル・ウィーン」のダイニング。
昨晩は夕食も摂らずに寝てしまった我々。睡魔と戦いつつのホテルまでの移動中を振り返ると・・・スキポール空港では無事に午後8時15分発のKLM1849便のシートに乗り込むことが出来た。ちょうど非常口のある座席だったので男性パーサーがやってきて説明を受ける。
「Can you speak english?」
と聞かれて得意の「リトル、リトル」で答えたわけだが、実際、しゃべっている内容を聞いているだけでは良くわからない。でも、イラストが書かれた小冊子をみせられながらなので概ね理解可能。それにしても、小冊子によれば、緊急脱出時には窓枠を外してそれを機外へ放りだすとは、結構荒っぽいの~。
で、離陸前に暴睡。途中で起こされスポンジケーキのようなものが出て、それを食べた気がするが定かでない。が、夕食抜きでもいけたってことは、やはりなにか食べたのだろう。
ウィーン国際空港着は午後10時過ぎ。起き抜けでボンヤリとしつつ、広い構内を人の流れに乗って入国。
そこからウィーン西駅行きのリムジンバスに乗り、ヒーターのよく効いた車内でまた寝る。
多少は海外慣れして緊張感が無いせいもあるが、やはり昔よりは体力が衰えてきたことも否めない。
西駅からはタクシーでウィーンでの逗留地となるホテル・アドミラルに向かう。
運転手は道を間違えたらしく、MQ(ミュージアム・クウォーター)の周囲をぐるりとひと巡りしたあと、一方通行を100mほどバックしてホテルの前に止まった。運賃はメーターの半額にしてくれた。
街中のホテルなのだが、レセプションは民宿のような雰囲気。フロントのおばちゃんは愛想が良い。エレベーターで3階へ。広い部屋にしばし喜んだあと、シャワーを浴び、倒れるようにベッドに入り、気がつけば朝になっていた訳だ。
ホテルの前は一方通行の路地だが、右へ進むとすぐにマリアヒルファー通りに出る。ウィーン庶民のショッピングストリートだが、店はどこも閉まっていて人通りはまばら。日曜日だからなのか、年末だからなのか、それとも朝早いからなのか・・・。
天候は曇。昨晩、あれから雨か雪が降ったらしく歩道は濡れている。
登り坂になる右手がウィーン西駅方向。左手がリンクで、そちらへ進む。すぐに大きな交差点に出る。そこにはUバーン(地下鉄)の入口があり、銅像が建ち、ちょっとした公園になっており、その地面にはうっすらと残る雪。やはり夜中に雪が降ったらしい。
新調した上着は肩が凝るくらい分厚く、モモヒキ(ユニクロのヒートテック)を履き、足元はトレッキングシューズで固めているものの決して暖か過ぎない。
路面電車の線路がある大通りに出ると、ドーム屋根がふたつ見える。手前が美術史美術館で、奥が自然史美術館。カツカツと蹄鉄の音を響かせて2頭立て馬車がリンクを横切って行く。
さっそくあれこれとウィーンらしいものが目に入ってきてテンションも上がる。さあ、どんどん歩こう!
次の大通りがリンクと呼ばれるウィーン旧市街の周回道路。リンクを横断するとブルク広場。
夏なら青々とした芝生や色とりどりの花々が目に鮮やかなのだろうが、今の時期は芝生こそ残っているが花はひとつもなくて寒々しい。
花で模られているはずのト音記号も今は芝生のあぜみちのようで、ポーズをとってそれを見下ろすモーツァルト像もなんだか寂しげだ。ブルク広場の脇にあるのは文豪ゲーテの像。こちらはやけに態度がでかい。
ブルク広場の脇を歩いてリンクの中心に向かって進むと、ザッハー・トルテで有名なホテル・ザッハー。映画「第三の男」でもホリー・マーチンスの宿泊先として登場している。
その1階には、こちらも「第三の男」で名前が出てくるカフェ・モーツァルト。チャンスがあれば滞在中に立ち寄ってみたいものだ。
すぐに国立オペラ座の裏手にでる。総大理石造りの建物は、この路地からでは壁と軒下を見上げるだけで全体像はよく判らない。観光バスが並ぶ正面玄関前を抜けて、路面電車が行き交うリンクを再び渡り、道の向こうからそのを拝むことにする。
まさに、ウィーンですなぁ。
重厚でありながら華麗なその姿。赤とクリーム色のツートンカラーをしたレトロな路面電車が彩りを添えている。
ミサの鐘
国立オペラ座の脇からシュテファン寺院まで延びるのがケルントナー通り。
歩行者天国になっていて、道の両側には宝飾店やみやげ物屋が並んでいるが、まだ時間が早いせいか閉まっている店が多い。
代わりに、空き缶や皿を膝の前に置いて冷たい石畳に座り込む幾人かの年老いた物乞いの姿が見える。
すぐに左に折れてノイアー・マルクトに出る。ここは「第三の男」のロケ地で、マーチンスがクルツ男爵と出会うシーンでカフェ・モーツァルトがあったことになっている場所。
なお、ウィーン滞在中の「第三の男」のロケ地めぐりあたっては、出国前に見つけたこのサイトを大いに参考にさせてもらっている。時間をかけて街中をくまなく観察しないと、こんな詳細なレポートは作れないに違いない。おかげで今回の旅が一層充実したものになり、サイトの作成者には感謝感謝。
さて、南北に長いノイアー・マルクトは南東側に仮設ステージが組まれていて、ちょっと落ち着かない感じ。恐らく、ジルベスターのカウントダウンイベントのものだろう。
映画のシーンと違って、実際のカフェ・モーツァルトはホテル・ザッハーの1階なので、ここから1本南に下がった場所になる訳だが、当時は空襲の被害が癒えておらず、撮影に使えなかったらしい。
仮設ステージのある南側から北の方角が映画の中でのアングル。
その位置に立ちながら、クルツ男爵はどこから電話してきたのかな?どの路地から出てきたのかな?などと想像して楽しむ。狭くなった広場を馬車と自動車が交互に過ぎて行く。
再びケルントナー通り。
有名ブランド店や高級ブティックが増え、人通りも賑やかになってきたが、ようやく開店準備が始まったばかりのところが多い。通りの真ん中には正月の縁起物を売る出店がボチボチ開店準備を始めている。
豚やキノコやてんとう虫が縁起物らしく、小さなアクセサリーや置物がところ狭しと並べられている。半分以上は豚グッズ。
通りには、等間隔で背の高い三角テントの様な謎の物体も並んでいる。夜になって判ったが、これはワインやビールを売る露店だった。
鳴り出した鐘の音が体全体に響くようになってきた。目の前に聳え立つのはシュテファン寺院。ひときわ高い尖塔は137mもあるらしい。
その先端は修復中だが、恐らくそのすぐ下にあるであろう幾つもの鐘の音は建物全体に共鳴し、街の空気を強く震わしている。
シュテファン寺院の周囲を歩いてみる。
大理石の壁にはバラ窓や多くの彫刻が施されている。第二次大戦の戦禍を生き延びた寺院は、その時の傷痕なのか、尖塔の上半分や建物北側に比べて西側や南側は壁はあちらこちら黒い。
そういえば「第三の男」のオープニングでチラッと写るシュテファン寺院は屋根が焼け落ちて痛々しい姿だった。
鐘はまだ鳴り続けている。もう15分以上になるんじゃなかろうか?
側面になる南側の入口が開いていたので、そこからシュテファン寺院の中に入る。直後に鐘の音は止み、入ってきた入口の扉は閉じられた。
初めは暗いと感じた礼拝堂の中だが、すぐに目が慣れてくる。
静まりかえった講堂。並んだ長椅子にはギッシリと人々が詰め込まれて、溢れた人々が長椅子の後ろや柱や壁の周りに立っている。
我々も中央に近い柱のたもとの一段高くなった場所に身を寄せた。寒さは表と違いはなく、人々が吐く息がうっすらと白い。
背伸びをして祭壇方向を見ると、30人ほどの聖歌隊と小規模な管弦楽団が見える。すぐに聖歌が始まった。
大理石のドーム天井や壁や柱に柔らかく反響し混じりあい重なりあって空間を包む歌声と演奏。キリスト教徒でない我々でさえも、自然と厳粛な気持ちにさせられる。壁や柱のマリア像や絵画などが弱々しい電灯の光に浮き上がって見える。
聖歌は3曲目・4曲目と続き、荘厳な時間がゆったり流れていく・・・が、じ~っと立っているのは結構疲れるし、何しろ寒い。
立ち見組みのなかには壁や柱にもたれて座り込む者もいるし、曲と曲の合間にはあちらこちらで大きく鼻をかむ音が盛んに聞こえる。西洋人は鼻をかむ音はあまり気にしないらしい。その音さえも見事に反響させる偉大なシュテファン寺院。
ロケ地めぐり
演奏が終わると司教さんの説法となった。しばらく雰囲気だけ味わったあと、どうせ喋っている内容は判らないので、適当なところで切り上げて表に出ることにする。年末のウィーンでのミサは、とてもラッキーな体験だった。
時刻は午前11時過ぎ。
ミサを体験していた1時間ほどの間に人出は俄然増えていて、シュテファン広場はさらに賑やかになっていた。寺院の北側にはフィアカーと呼ばれる二頭立て馬車が、観光客を乗せて次々に動き出している。
「モーツァルト、コンヤ、イカガデスカ?」
中世の服なのかな?マントの様な不思議な服でコンサートのチケットを売っている青年。そんな彼らを、微笑返しでスルー。
ケルントナー通りはシュテファン寺院のところで左に折れてグラーベン通りとなる。そのまま我々はまっすぐ進み、シュテファン広場からローテントゥルム通りに入る。
歩行者天国は終了。頭上には直径3m以上ありそうな真ん丸いイルミネーションがぶら下がっている。
左に折れるとホーエル・マルクト。広場の東の端には道の上をまたぐ渡り廊下があって、そこにアンカー時計と呼ばれる仕掛け時計がある。ガイドブックによると昼の12時に動き出すらしいが、まだ30分以上もある。寒空の下で待つにはちょっと長い。
「第三の男」で、誘き寄せたハリー・ライムをホリーが待つカフェ「マルク・アウレル」はホーエル・マルクトにあるらしく、広場の中心にあるアンドロメダ噴水という彫刻も、緊迫感漂う張り込みの軍警察や、瓦礫の山の上から現れたハリーが広場を見下ろす印象的なシーンに登場している。
現在のホーエル・マルクトは、もちろん瓦礫の山などないわけだが、アンドロメダ噴水も周囲にイベントの特設ステージが組まれており、よく見えないばかりか近付くことすら出来ない。
このシーズンの広場はどこもこんな感じなのだろう。広場をぐるりと巡ってカフェ・マルク・アウレルを探してみたが、それらしきものは見つからなかった。
ホーエル・マルクト広場から旧市庁舎の脇を抜けるとマリア・アム・ゲシュターデ教会。
ポペスクの手下に追われたマーチンスはここの階段を駆け上がり、その先でスクラップ車の中に隠れて難を逃れている。
「岸辺のマリア」のその名前のとおり、真っ白な壁ですらっとした上品な外観。昔はドナウ川支流がこの辺りまで流れいたのだそうだ。
少し南へ下るとアム・ホーフ。ここの特設ステージは大々的。外壁工事中の建物の、その覆いをスクリーンに仕立てて広場全体がイベント会場となっている。
ちょうどミサが終わったらしく、広場の東にあるアム・ホーフ教会から出てくる大勢の人々。左右に分かれた人の流れは、それぞれ路地へと消えていく。
教会北側の渡り廊下のある狭い路地が、死んだはずのライムを追いかけたマーチンスが、ライムを見失った地点らしい。マーチンスが顔をぬぐった噴水は見当たらないが、アーチ脇の道路標識はそのまんま。
だとすると、このアム・ホーフに下水道への入口があるはずだが、それらしき痕跡は見当たらなかった。
ライムとマーチンスが駈けてきた方向に進む。弧を描いたアム・ホーフ教会裏側の壁に沿って狭い路地を歩く。曲がりくねった石だたみの道は良い雰囲気。狭い通りに蹄の音を響かせて馬車が通り過ぎていく。
コールマルクト通りに出た。通りの正面には緑色をした新王宮のドーム屋根。
シュテファン寺院のミサですっかり体が冷えてしまったのと、若干お腹も空いて来てしまったので、ここで我々はひとつ路地に入った一軒のカフェの扉をくぐった。
途中で幾つかカフェはあったが、どれも結構高級そうで敷居が高いうえにウィンドウから見る店内はどこも満席だったのだ。
我々の入ったカフェ「TEMPO」は、由緒あるウィーン風のそれではなくて、若者が多いカジュアルな感じの店。ちょうど窓際の席が空いたのが見えたのでパッと飛び込んだのだ。
暖かい店内。表から見定めた席はなんとか確保したものの、店内はほぼ満席。しかも、テーブルの配置はぎゅう詰めで、隣の客と背もたれがくっついてしまう。観光客が集まるこの時期のウィーンって、需要に対してのカフェの数が足りないんじゃないの?
初めは暖かい飲み物にしようと思っていたのだが、暖房がとても効いていて(それとも人が多いから?)暑いくらい。
そこで、私はビールをオーダー。あこはコーヒーとペンネ・アラビアータを頼んで、これらを二人で分けることにした。
体も暖まって元気が出たところで、再びコールマルクト通りへ。王宮の緑色のドームを見ながら歩く。ここもイルミネーションが頭上にかかっている。これは夜の散歩も楽しみですな。
半円を描く王宮の前は、ロータリーの様になったミヒャエル広場。
その中心は掘り返されていて発掘現場のようになっているが、これはローマ時代の遺跡らしい。その脇を避けつつゆっくりと通り抜けて行く馬車と自動車。
ドームの真下が王宮の中庭とを結ぶ通路になっていて、人々の足音や話し声が響いている。
ミヒャエル広場に面した噴水のところで、「第三の男」で風船おじさんが出てくるシーンのアングルを押さえたあと、風船おじさんがやって来た方角に進み、スペイン乗馬学校脇の通路をくぐると左手がパラヴィッチーニ宮。
パラヴィッチーニ宮は、ライムのアパートとして登場していることで有名。そのアパートらしからぬ大きな扉の両側には女神像があり、来訪者を出迎えている。
通りを挟んでフランツ・ヨーゼフ二世像が建つヨーゼフ広場。
戦後の混乱期とは多少事情が異なるのかもしれないが、この道にいい歳した大人が飛び出して自動車に轢かれたことに違和感を覚えるのはマーチンスだけではないだろう。
歩道のある車の少ない一方通行。しかも、勝手知ったる自宅前の出来事だ。そして、遺体の運ばれたヨーゼフ二世象は広場の真ん中。決して小柄とは言えないライムを運ぶにはかなり大変そうな距離に思える。
パラヴィッチーニ宮の先で左に折れる。
管理人の殺害事件に遭遇したマーチンスとアンナが、野次馬達から逃げるルートとなるが、あまり特徴のある目印はなく、そのまま進んで行くと、道の左側にクルツ男爵がバイオリンを弾いていたカサノバ・クラブだったという建物を発見。カメラに収める。
ライムのドア
それから狭い路地を幾つか抜けて、再びミヒャエル広場に出た。露店で小さな豚のマスコットを購入。豚はお正月の縁起ものだそうだ。
価格は1ユーロなり。
あこの肩掛けカバンにこいつをぶら下げて、観光客の姿もまばらなヘーレン通りを北へ進む。
途中にあるハラッハ宮の中庭にあるクリスマスツリーを見たりしながらしばらく進むと、ショッテン教会に出る。地面の鳩たちが路面電車の音に驚いて飛び立ち、教会の屋根にとまった。
ショッテン教会の西側は少し小高くなっている。ウィーン大学の方向へ進むと、丘に上がる坂と別れる。丘の縁でテラス状になったこの坂の途中にあるのが、ライムが潜んでいたあのドア。
テラス下の道に面しているはずのアンナ・シュミットのアパートは、それらしき建物が見当たら無いのでロケ地は別のところなのだろう。
酔ってアンナのアパートを出たマーチンスは、千鳥足でこの坂道をのぼり始め、そして猫の鳴き声でドアの暗がりに誰かが潜んでいるのに気付く。
「誰だ?姿を見せろ!」
まさか、そこにいるのがライムだとは思いもしないマーチンスは、暗がりに向かって怒鳴る。
う~む・・・。
ライムが潜んでいたはずの場所には扉がついていて、身を隠すスペースなど無い。
スクリーンでは奥行きが深いように見えても、実は光と影を巧みに操ったこの映画ならではの錯覚だったのかも知れないなぁ。
そう考えて何度もそこに立ってみるが、やはり奥行きが足りな過ぎる。かかとだけ階段に乗せてドアに寄りかかるのがやっとなのだ。これでは、ライムの靴にじゃれ付く猫の居場所が無いな。
ロケのために扉を外したのか?それとも、ロケのあとで扉が出来たのか?はたまた、開いたドアの奥に潜んでいたのか?
ライムのドアの前で盛んにシャッターを切る我々。そんな我々の動作を訝しんだのか、通りかかった西洋人の男女に話しかけられた。
「ここは何なのか?」
「60年位昔の映画のロケ地で、第三の男でオーソン・ウェルズでハリー・ライムだ。知ってるか?」
と返す。カタコト英語のせいもあるだろうが、どうやら知らないらしい。そう言えば、「第三の男」の人気があるのは日本とアメリカくらいだ・・・と、どこかで聞いた覚えがある。