店巡り
午前8時、子会社チームの5人でバフェイへ行く。初日に受け取った5枚のバフェイのミールクーポンを、4日目にしてようやく1枚消費した私。ちょっと、もったいなかったかな。
今日も路線バスでどこぞへと出かけるというY中さんを除く4名は、食事のあとレンタカーでドライブ&販売店巡りをすることになった。一応、流通業に身を置く我々。少しはこういうのも必要だろう。
U岡さんがレンタカーを借りに行っている間に、私は「砂漠でのマシンガン射撃ツアー」に電話をするが、残念ながら「本日は空き無し」とのことだった。
U岡さんがハンドルを握るクライスラー社のセダンで東へ。
最初に「アルバートソンズ」。全米で約1600店舗を展開するスーパーマーケット。売り場面積は400~500坪位のオーソドックスな造り。店内はガラ~ンとした印象。月曜日の午前中のせいもあるだろうが、こんな客数でも24時間営業らしい。
牛乳、ジュースなどは全て4リットル入りで、まさにアメリカンサイズ。加工食品や菓子類は日本とあまり違わない。ここではおみやげ用の品を物色。カリフォルニアワインの小さなボトルを、赤・白・ロゼを各3本づつ。さらに、アルバートソンズのPBジャムとメープルシロップを購入。それに、夏バテ気味の体へのビタミン補給としてイチゴを1パック。これを車内でつまむことに。これは同行の3人にも好評だった。
続いて「ウォルマート」へ。店内の雰囲気は日本のディスカウントストアに近く、「オリンピック」や「ダイクマ」といった感じ。意外に衣料品売場が大きく、チープなシャツや下着類がたくさん並んでいる。陳列棚の背丈は高くて、圧迫感がある。
おやっ?
壁面のガラスケースに銃やライフルが売られている。さすがはアメリカ。しかし、これじゃあ銃犯罪が減るはずもなかろう。
ここでは「コブラ社」製のトランシーバー2個セットを購入。飛距離は2マイルで、特別遠くまで飛ばせる訳ではないが、日本では許可されない代物らしい。リチウム充電器、ピンマイクとイヤホン、ハンズフリー機能がついて69.99ドル。クレジットカードを使おうとしたが、JCBはレジの機械が受け付けない。NICOSもダメ。それどころかレジのオヤジに「これはデビットカードか?」と聞かれる始末。ここで、念のために持っていたMasterが活躍。がんばれ、日本の信販会社!
「アナタ達、日本人?」
と話掛けてきた初老の日本人女性。アメリカ人の旦那とこっちに来てから30数年だと言う。この辺りで日本人を見かける事はほとんどなく、ましては観光客など皆無とのこと。久しぶりに日本語を話したそうだ。
「99¢ストア」は、アメリカ版の100円ショップ。本やCDまで売っている「ダイソー」と比べてしまうと、特別に品揃えが多いと言う感じは受けない。しかし、大きなカートにたくさんの商品を載せた主婦や家族連れも多く、なかなかの盛況ぶり。
カートには旗竿の様に長い棒がついてる。店内を見渡すと、陳列棚の上に突き出した棒が何本も移動しているのが見える。また、陳列棚は中通路のない直線的な配置で、更に一方通行になる様に仕切られている。これは、客を全ての売場に立ち寄らせる効果もあるが、カートの棒も含めて「万引き防止策」なのかもしれない。
鮭の缶詰と、シジミの塩漬け缶詰を購入。消費税や州税など(約7%)込みで99セント。
最後は「ホーム・デポ」。ホームセンターと言っても日本のそれとは全く違う。日本のホームセンターの括りで言えば、資材館とリフォームと工具関連に特化した売場。天井まである陳列棚には、ドアや窓枠、バスタブなども並び、壁一面に展開された工具類を手に取るには、移動式の梯子を昇る必要がある。
表の看板には「Home Improvement(=改築)」とあるから、生活用品中心の日本のホームセンターとは趣きが違って当然。
シーニックドライブループ
「お前、おとといドライブしたんだろ?どっか近くでドライブするところないか?」
車内からのリクエスト。そうなると、やっぱり街から手頃な距離だということで、シーニックドライブループへと案内することになる。
地図を頼りにおととい通った道を行く。大きな岩の看板、キャリコ展望台、ドライブループの最高地点・・・。
シーニックドライブループも159号線への出口まで数100mのところまで来た。そんな路肩に車が2台止まっている。しかも、そのうちの1台はこっち向きだ。
だめだよ~、ここ一方通行なんだから。
すれ違いざまにこっち向きの1台を見ると、乗員は中国人と思しき3人。前輪がパンクしている。しかも気の毒なことに両輪ともだ。
してみると、もう1台はそこに通りかかって手助けするところなのだろう。それにしても、タチの悪い落下物もなさそうなこんな観光道路で、どうして2つもパンクしてしまったのか?スペアタイアだって1つしかないだろうに・・・。
その答えは出口にあった。シーニックドライブループの入口には料金所があるが、出口には進入禁止の標識以外は何も無いに等しい。
唯一あるのが、地面から5cmほど突き出た魚の背びれの様なモノ。これが道の端から端まで横一線に並んでいる。
コイツが曲者で、順路通りに通過すればこの背びれは地面の中に引っ込むので、踏んでも平気。ところが、159号から逆走進入しようとすると、この背びれは引っ込まずにタイヤに突き刺さってしまうらしいのだ。
標識ひとつ見逃しただけでパンクさせられてしまうとは、恐るべしアメリカ!
まだ、日が高いうちに車を返却して解散。この後、軽く昼寝をした後、ホテルの周囲や散策したり、スロットマシンをしたりと、のんびりモード。
夕方、同室の彼が戻ってきたので表の商店でビールなどを買い、ラスベガス最後の夜を、まったりと部屋で過ごす。聞けば、彼はコネ入社で、父親と社長が友人なんだそうだ。
危なッ!
知らずにもっと酒飲んでたら、間違いなく酔っ払った勢いで、社長の悪口言ってただろう。ちょうど、手持ちのビールが無くなったのを良いことに、ささやかな宴会を切り上げ、再びひとりカジノに繰り出してスロットマシンに興じる。嗚呼、哀しきサラリーマン・・・。
帰国
明朝は午前5時出発。その1時間前の午前4時過ぎにはモーニングコールがあるとのこと。
午前0時過ぎにはカジノを切り上ては部屋に戻り、明日でも良いかとも思ったが荷物の整頓に着手。同室の彼は、私とは便が違うのでモーニングコールは午前6時頃らしい。おやすみとお別れを言って寝る。
プルルルルル・・・ プルルルルル・・・
ベッドサイドの電話が鳴っている。朦朧とした意識のなか、手探りで引き寄せた受話器。そこから、およそモーニングコールらしからぬ荒い語気が響いてくる。
「もしもしッ、もしもしッ!どうした!?」
なんだぁ?朝か・・・徐々に覚醒してくる。聞こえてくるのはU岡さんの声だ。ロビーからかけて来ているらしい。枕元の腕時計を見る。
5時5分!!!
飛び起きる。私の部屋番号を把握してなかったツアーデスクは、当然、モーニングコールもかけてこなかったのだ。
大急ぎで着替え、荷物を持ち、部屋を飛び出てエレベーターに乗る。昨日の晩、荷物をまとめておいて本当に良かった。ロビーの外で待つバスに乗るまで僅か5分足らず。
「なにやってんだッ?」
バスの前に立つM常務が口を尖らしている。起き抜けで走ったから、まだ脳が寝ているのに動悸がする。それに悪いのはツアーデスクだし。そんな心身状態のため、常務とは目も合わせず無視。また、心証を悪くしたかも。
帰路もロス経由。アメリカン航空690便は午前9時過ぎにロスに到着。ロビーにはBGMも聞こえていたりして、4日前とは違って明るい雰囲気。でも、出国時の検査は厳重で、かなり時間を要した。手荷物はおろかサンダルまで脱がされる人もいる。なかでも、アジア系外国人には厳しい様だ。
日本航空005便は午後0時55発。出国手続きを済ませると、離陸までの僅かな時間を惜しんみ、K下さんO河さんと3人でアメリカで飲む最後のビールを味わう。結局、カジノ以外は酒ばかり呑んでいたと言うK下さん。相変わらずッスね~。
K河さんは、奥さんが忍ばせてくれた5万円をカジノで使い切ったしまったばかりか、お土産もなし。ひどい話や~。
前評判が悪かったラスベガスだったが、いろいろと企画を立てた甲斐があって充実の4日間だった。
海外での運転や、ヘリコプター搭乗などは、いずれも初めての体験。同時にアメリカ大陸のケタ違いに広大な自然に触れ、満喫することできた。それに英会話・・・正確には英単語とジェスチュアと笑顔と気合で意思の疎通が図れたことで、ちょっと、海外旅行に対する自信めいたなものを得ることもできた。
一方、残念だったのは、時どき白色人種の差別的な対応を感じたこと。比較的日系人が多いと言われる西海岸なのに。もっとも、大正時代に「絶対的排日移民法」なんて法律を施行したお国柄だ・・・。
これに対して、マイノリティの人々とのやり取りでは、陽気なアメリカンを感じる事ができ、とても救われた気がした。
最後にカジノの決算報告。挑んだのはスロットマシンのみで、小アタリをくり返しながら「2歩進んで3歩退がる」というペースでズルズルと後退を続け、トータルで約4万円のマイナス。どうやら「大アタリ無し」では勝てないようだ。
勝ち逃げしようと思ったら「2歩進んだ」時点でやめる事になるが、そのためにはレートの高いマシンで遊ばないと無理だろう。私が遊んだ「1ライン=50セント」の台では200倍でも1万円。安くたくさん回せる点でカジノの雰囲気を楽しむのには良いが、これで勝ち逃げは難しそうだ。
次回は勝ち逃げてやる!いや、カジノよりもドライブでザイオン国立公園や、サウスリムにも行ってみたい。デスバレーも見尽くしてないし。それとも思いきってモニュメントバレーに足を伸ばすとか?
想像だけは膨らむが、アメリカ本土に来る機会なんて、もう二度と無いだろうな。
(ラスベガスの旅 完)