経由地はバンコク
2006年8月11日金曜日。新しくなった成田空港第一ターミナルは混雑していた。報道のカメラも多い。お盆の出国ラッシュと、前日にイギリスでテロ未遂犯が捕まったための警備強化。ネタはふたつもある。
しかし、アメリカやイギリスの航空会社とその方面への便ではペットボトル・クリーム・ジェル・液体の機内持ち込みが禁止になっていたものの、それ以外は若干セキュリティチェックが厳しくなっていたくらい。我々も思ったよりスムーズに通過できた。
紫系の色に統一された機内。それと同系色の民俗衣装風の制服に身を包んだ乗務員達。漂う香りもどことなくエスニック。タイ国際航空TG766便は定刻の午後4時55分を10分ほど遅れてスポットを離れた。
行き先はチューリヒではなく、残念ながらバンコク。お盆のこの時期の直行便はめちゃくちゃ高い。例えばスイス航空の場合、ひとり往復35万円もする。一方、タイ国際航空だと15万円。半分以下だ。
機内食のタイ風ココナッツカレー(チューチークン)などを食べているうちに、午後10時少し前にバンコク・ドンムアン空港着。ここまでの飛行時間は約6時間(時差=2時間)。これくらいだと体は比較的ラクだ。
蒸し暑さがタラップの薄い鉄板を通して伝わってくる。ターミナル内もエアコンは入っているものの、涼しいというほどではない。
チューリヒ行きの出発時間まではあと3時間。それまで空港内をプラプラしてみる。「マツサージ」「あんま」などと書かれたコーナーがあり、女性かニューハーフか区別がつかない人が呼び込みをしている。
おみやげの売店を冷やかしたあと、フードコートでシンハビールとタイ風焼きそば(パットタイホーカイ)をオーダー。ガイドブックを眺めながらそれを突っつき、時間をつぶす。
午前0時30分、チューリヒ行きのタイ国際航空TG970便は飛び立った。飛行時間は約12時間。これが肉体的に堪える。到着予定時刻は現地時間の翌朝7時10分(時差=5時間)。直行便だと成田からチューリヒまでは12時間半くらいだから・・・。
6時間もかけてバンコクまで来たのに全く近づいてないぞ!
この現実は精神的に堪える。同じ中継便でも大韓航空やアエロフロートとか、もう少し同じ方向の航空会社がよかったのだが、我々がHISの門を叩いたとき、それらは既に売り切れていたのだ。
離陸して夕食がでると、その後の機内は長い長い夜モードとなる。最初の3時間ほどは眠れたものの、そのうちに目が覚める。一旦、起きてしまうと再び寝るのは難しい。仕方ないので懐かしのスーパーマリオブラザーズに興じ、ひたすら時間を消費することに徹する。
チューリヒ湖畔
8月12日月曜日の現地時間朝7時過ぎ、雨上がりのチューリヒ・クローテン国際空港に到着。スルリと入国審査を終え、荷物を受け取り、それをゴロゴロと押しながらSBB(スイス国鉄)の駅へ。窓口で切符を買い求める。
本当はここでスイス半額パスを買うつもりでいたが、とりあえず保留。天気に恵まれて「登山電車乗りまくり~♪」だったらいいが、出国前の情報だとスイスは7月末からずっと天気が悪いらしい。
明日以降の予報も相変わらずで、晴れマークは旅程中日の15日だけという始末。
こりゃあ予定を変えて、ずっと晴れマーク続きの北イタリアに乗り込むか?となかば本気で考えていたのだ。そんな訳で普通の片道切符を購入し、チューリヒ中央駅方面へと向かう電車に乗り込む。
3構造層になっているチューリヒ中央駅の地下ホームに到着。地上に出る。さっ、寒い!
ところどころに水溜まりの残る曇り空。風が冷たい。時どき霧雨のようなものが舞っている。気温15度、体感温度10度といったところか。行き交う人々は晩秋の装い。コートを着た人、マフラーをする人。
一方、我々は半袖シャツ。最低限の防寒着は持ってきたが、スーツケースの中。
駅の西にあるレンタカー「ハーツ」のオフィスを目指す。スーツケースを押して石だたみの道を歩き、路面電車の線路を越えるのは結構な労働だ。でも残念ならが体が暖まる程ではない。人もまばらな朝の街にガラガラという音が響く。
簡単な地図を貰っていたのだが、目的地が見つからない。これはのっけからピンチ!
30分近く辺りをウロウロしたあと、勇気を振り絞り、借りてきたケータイでハーツのオフィスに電話してみる・・・が「道に迷っている」ことと「郵便局のそばにいる」ことまでは伝えたものの、その先の会話は完全に行き詰まる。
私の英会話(英単語)能力では、やっぱり顔を見て、ジェスチュア込みで初めてコミュニケーションを取ることが出来るに過ぎない。
「う~」とか「あ~」とか言葉にならない音が出てくるだけ。
このままでは埒が明かん。そこに通りかかった西洋人が、心配そうに立ち止まってくれた。これは神の助け!
「Help Me!」
おもむろに彼にケータイを手渡す。電話の向こうのレンタカー屋のスタッフも、英語が出来ないヤツが道に迷っていることは理解しているだろうから、きっと、この彼に解決策を託してくれるに違いない。我ながらなんと図々しい。
でも、お陰で問題は解決。笑い声を交えた1~2分の通話を終えた彼は、親切にオフィスの場所を身振り手振りで伝言してくれた。我々が思っていたよりも、オフィスはまだずっと先の方にあったのだ。
ようやくハーツのオフィスに到着。今回の相棒は「フィアット・パンダ」。やったね!憧れの欧州車だ。去年の新婚旅行の時はカローラ・フィルダーだったっけ。
「コイツは小さいけど、スペシャリティー(おすすめ)だよ」
とはオフィスのスタッフの弁。簡単な機器の説明のあと、リアシートを倒してもらって、そこにスーツケースを2個並べる。よし、読み通りピッタリのサイズだ。
でも5速MTだったので、せっかく取った国外免許だが、あこの出番は完全に無くなった。
さぁ出発だ。
カーステにCDをセット。我々が今回の旅のテーマソングに指定した「1/6の夢旅人2002・樋口了一」が流れる。しかし、ほんの1コーラスも聴かないうちに、ビルの谷間にあるパーキングに。ひとつ目の理由は、荷物のなかから防寒着を出すこと。スーツケースを地面に広げ、ガサゴソとやる。
「寒いわね」
と通りすがりのマダム。まったくその通り。このままでは風邪をひきます。
ふたつ目の理由は朝食の確保。周囲を散策するうちに「COOP」を見つけたので、パンにドリンクにお菓子を購入。
今度こそ本当に出発。チューリヒ市街を抜けて、チューリヒ湖畔の南岸を行く。最初のうちは湖畔から遠く高いところの道を通っていたが、だんだんと低く近い道へと向かっていく。沿道には小さな集落、牧草地、ブドウ畑が続いている。
ブドウ畑の丘にあるオー(Au)という集落の城跡に寄り道。
チューリヒ湖につき出した小さな丘の斜面は一面のブドウ畑。そこに趣のある古びた建物が点在している。
ブドウ畑のなかの細い道を上って行くとすぐに頂上にでる。丘の頂きにあったのはお城はなくてホテルとレストランだった。
続いて、フライエンバッハに寄り道。運河を越えると教会があって、ちょうどウェディングが行なわれていた。
駐車場の先はヨットハーバーになっているが人はまばらで、観光地というより隠れリゾート地といった感じ。ヨットハーバーから右手に進むとビーチになっていて、その先にはフェリーの船着場がある。
いつの間にか天気は良くなって、強い陽射しが降り注いでいるが、雲は多く、ちょっと高い山は全て雲の中だ。
チューリヒ湖畔の景色と水鳥達を眺めながら、さっき買ったパンなど食べる。時刻は午後1時ちょっと前。腹も減る。
チューリヒ湖に別れを告げ、高速3号線に乗る。
やがて、左手に現れた湖がヴァーレン湖。神秘的なブルーの水をたたえている。向こうの岸は人を寄せ付けない切り立った崖で、その上にのびる山の斜面の先は雲のなか。
パーキングエリアが現れたので入ってみる。
ここには、湖側が全面ガラス張りの展望レストランがあるのだが、我々はさっき朝食を済ませてしまったのでこれには寄らず、売店でジュースとイタリア北部の地図を買う。
しかしこのパーキング、レストラン以外の場所ではウォーレン湖がほとんど見えない。なんと姑息な構造・・・と思ったら、隅っこの金網が扉になっていて、表に出れるように出来ている。
そこから坂を下り、高速道路のしたをくぐると、ウォーレン湖を見渡す斜面に出た。
右に伸びる道の先に反対車線のパーキングが見えている。穏やかな湖面、風に揺れる牧草、そこに建つ素朴な民家。湖畔には線路がある。地面に座り、のんびりと景色を眺める。なんだかホッとした気分になる。思えば、去年の新婚旅行の際は天気が悪かった上にひたすらドライブだったので、こういう時間って無かった気がする。
15分くらいボーっとしていただろうか?
目の前を電車が過ぎ去って行ったのをきっかけに、車に戻るべく立ち上がった。
小国リヒテンシュタイン
ウォーレン湖をあとにして、さらに東進。次の目的地はスイスとオーストリアに囲まれた小国リヒテンシュタイン。
曇り空とお天気雨が順繰りの空模様。
その空を切り裂く様にスマートな軍用機が5機、編隊を組んで南へと飛んでいく・・・かと思うと突然5機が色とりどりの煙を吐き出しながら宙返りを開始。
おーすげー!
さらにもう1回転。恐らく航空祭でもやってるのだろう・・・などと言っている間に山影に入って見えなくなってしまった。
高速3号線から13号線に入るとライン川に沿って北上。じきに高速を降りてリヒテンシュタインの首都ファドゥーツを目指す。
検問所も、その痕跡も、国境さえ判らないままにファドゥーツに到着。時刻は午後3時。
中心部にあるパーキングに車を止める。
人口僅か5000人の首都は、まるっきり村の雰囲気。山ぎわの街道沿いと斜面の緩やかなところに集落が広がっている。見上げた山の中腹にある城が、この国の首長リヒテンシュタイン公爵の住まい。
これといった見所のなさそうなこの小国に足をのばした理由はただひとつ。パスポートにリヒテンシュタインのスタンプを捺して貰うこと。切手博物館と同じ建物内にあるインフォメーションでハンコを捺してくれるというガイドブックの情報に基づき、1本裏通りにあるその場所へと向かう。
しかし、なんと休み!日曜日だからだろうか?
2階にある切手博物館にあがる。この国は切手で有名らしいが、博物館は実にこぢんまりとしている。ただ歩くだけなら10秒。ゆっくり見ても15分もあれば良さそうだ。
我々も見学に3分ほど費やしたあと、受付のおばちゃんにパスポートにスタンプを捺してくれる場所を聞く。このやりとりの方が時間を費やしたが、欲しかった情報はなんとか入手。この先のバス乗り場にもうひとつインフォメーションがあり、そこで捺してくれるらしい。
裏通りといってもこちらの方が人通りは多い。ブランドショップやみやげ物店やレストランが並ぶ。目指す場所は判りにくい・・・というか、想像以上に小さな建物だった。
そこはバスの切符売場。3スイスフランを払うと、事務的にスタンプを捺してくれる何の愛想も無い窓口のおばちゃん。これで我々がこの国を訪れた目的は達せられた。
お天気雨のパラつくなか向かう先はリヒテンシュタイン城。せっかくここまで来たら、一箇所くらい観光地らしいところに行かないとね。
街からだとすぐ頭の上に見えていたのに、近付くには結構遠回りする。家々の間のくねくねとした細い坂で、道は判りにくい。アクセスが難しいのはやはり防衛のためか?
とは言え、5分足らずで城に到着。
石で組まれた窓の少ない外観はいかにも城らしい雰囲気。残念ながら場内は見学不可。国家元首の家に簡単に入れるはずはない。しばらくすると、雨が激しくなって来たので車に戻る。
ユリア峠を越えて
さて、このあとのルートだが、当初はここから北上してオーストリアのチロル地方を経由し、ランデックから南下して再びスイスに入国。
ウンターエンガディンの村々を経て、ホテルを予約しているサンモリッツに入るつもりでいた。まだ200km以上の道のりを残している。
現在の時刻は午後4時前。空港に着いたのが午前7時過ぎだから、レンタカー屋までの迷走や途中の寄り道があったとは言え、約100kmに約9時間を要している。
それに体がしんどい。20時間近くも飛行機の中で、そのまま朝からドライブ・・・。よって、当初の予定を見直し、最短距離でサンモリッツを目指すこととした。
途中のトゥズィスまでは高速13号線で約70km。そこからサンモリッツまでは一般道で約60km。スイスイ行けば午後6時くらいには着けるだろう。
「温泉保養地バートラガッツ」や「ハイジの故郷マイエンフィルト」そして「スイス最古の街クール」などには目もくれず通過して、高速13号線を南へ南へ。
トゥズィスからはアルブラ川の渓谷に沿って緑豊かな谷を登って行く。しばらくは鉄道の近くを走り、やがて線路が遠ざかると急なカーブが増えて、高原の村々を結びながらの道はどんどん高度を上げていく。
周囲に白い雪を抱いた山々が見えてくる。
平地では軽快だったパンダ君も、乗員2名とスーツケース2個を積んでのこの急坂の連続はキツイ。ヘアピンカーブは2速でなんとか乗り切る。でも、思ったより足回りが硬いのか?外観の割りには重心が低いのか?不安定な感じがないのはありがたい。
不意に現れたダム湖のマルモレラ湖。緑の木々に囲まれた青い湖面を見ながら道はさらに高度を上げる。
やがて現れたのがビヴィオ村。木々はまばらで、そろそろ森林限界の雰囲気。川幅も狭く流れは穏やか。山あいの静かな村だ。
もう間もなくユリア峠かな?
・・・と思ったここからが長い長い。地図によるとユリア峠の標高は2284m。ビヴィオ村との標高差は約500mもある。森林限界を超えて、丈の低い草が茂るだけの荒涼とした景色のなかをさらに高度を上げていく。
カーブでのパンダ君は、これまでに増して息も絶え絶えな感じ。ひょっとして空気が薄いのかな?そんな君に応援歌を送ろう。
BGMを「1/6の夢旅人2002」にチェンジ。
雲が近づいてくる。やがて雨・・・というか雲の中へ突入。道の両脇に岩がゴロゴロとしているのが見えだけ。時折、霧の中から放牧された牛の姿が現れる。
うっすらと池らしきものや、トレッキングコースの黄色い看板が見える。さすがに歩く人はいない。深い霧を行くうちに、気がつけばユリア峠を越えていた。
曇天サンモリッツ
険しかったユリア峠越え。標高700mほどのトゥズィスとユリア峠の標高差は約1600m。その間に小さな峠や谷をずいぶん幾つも越えてきた感じがする。
今日の目的地サンモリッツの標高は1775mだから、峠の手前のビヴィオ村とほぼ同じということになる。まだ、結構あるなあ・・・。
しかし、実際に下り始めてみると思いのほか手応えがなかった。
ユリア峠を越えると、すぐに連続ヘアピンカーブになる。登って来るほうは青息吐息なのかも知れないが、下りのこちらはエンジンブレーキを唸らせながら、あれよあれよという間に標高差500mを下りて行く。やがて、眼下にシルヴァプラーナ湖が見えてきた。
予定時刻より1時間遅れの午後7時、サンモリッツに入る。
坂の多いサンモリッツの街を、大雑把な地図を頼りに走る。幸い今夜の宿「ホテル・ハウザー」は街の中心ポスタ・ヴァリア広場に面したところにあり、さほど苦労せずにたどり着くことが出来た。
半分歩道に乗り上げたホテルの軒下のような狭い駐車場にパンダを止める。
チェックイン後、2日ぶりのシャワーを浴び、新しい服に着替えてから、夕暮れの肌寒いサンモリッツの街へと出てみることにする。
ガイドブックによると、サンモリッツは1年のうちに晴天日が322日もあるということだが、今日の空はどうも冴えない。東の空に僅かに青空が見える以外は低い雲が支配している。
残念ながら天気予報通りだった訳だ。サンモリッツでこの天気では、明日以降の旅に一抹の不安を覚える。
太陽はオーバーエンガディンの山々の向こうにすっかり姿を隠し、寒空の街を歩く人の姿はまばら。閉店後のショーウインドーを眺めながら、街の北東にある傾塔を目指して上り坂を歩く。
斜塔は13世紀初頭の旧モーリティウス教会の鐘楼。山側からの圧力と地震で傾いたそうだが・・・オイオイ想像していたより相当傾いている。今度大地震があったらひっくり返ってしまいそうだ。
今度はサンモリッツ湖畔に向かって路地を下っていく。名門パドルッツ・パレス・ホテルを脇を抜けると長大なエスカレーターが現れる。これに乗って行くとサンモリッツ駅のそばに到着。駅からサンモリッツ湖畔まではすぐだった。
薄暗くなり始めた湖畔。散歩をするのには十分な明るさだが、風が強く冷たいので他に歩く人の姿は無い。
10分ほど湖畔を歩いたものの、寒さに耐えられなくなり湖畔を退散。ホテルに向かって急な坂道を戻ることとなった。ほんの数分で心臓はバクバク、息は絶え絶えにになる。運動不足なのか、それとも空気が薄いのか?
夕食はホテルのレストラン。
まずはビール。続いてスイスワインに羊肉のステーキをオーダー。酒も料理もうまい!そもそも海外のレストランで嫌な思いをした経験はあまりないが。
薄暗い店内での程よいアルコールと満腹感。成田をでてから36時間に及ぶ移動疲れ、それに体を包むヒーターの暖かさが加わり、ワイングラスを握りながらウトウトする。
こりゃイカン。今日はさっさと寝よう。