2013年2月
3連休は千葉にSLがやってくる!
・・・ということで、これは見に行かねばなるまい。
「快速SLおいでよ銚子号」を引っ張るのはC61の20号機か。一昨年のお盆休みに上越線で偶然出会ったアイツだな。
3連休初日の土曜日。空は高曇りで、風も強い。今日は回避。
翌日曜日、青空が広がり風も穏やか。うむ、絶好のSL日和(?)。ディーゼルカーが引っ張る「快速DLおいでよ佐原号」の佐原到着は12時30分の予定。大栄ICで下りてR51を走り、佐原の市街地へ。
確か、駅の北口に広い駐車場があったはず・・・が、なんと駐車場渋滞が起きてるでないの!到着まであと20分。遠くまで駐車場を探しに行っているヒマ無いな。路駐だ路駐!
路肩の広い脇道に車を止めたら、入場券を買って駅構内へ。SLが入線するのは3番線か・・・。すごい人、こりゃ近寄れんな。とりあえず1番線に陣取る。
定刻より若干遅れて12時36分、「DL快速おいでよ佐原号」が姿を現した。乗務員さんが手を振っている。赤いディーセルカー、茶色い旧型客車に続いて、白く蒸気を吐きながらC61が登場。デカイ面構えが良い。
ひと通り写真を撮ったら、駅弁を購入。「快速SLおいでよ銚子号」の発車は13時53分。まだ、40分くらいあるので、先回りして駅弁でも食いながら待ち伏せるとしよう。
選んだのは小見川駅手前の鉄橋。ここならフレームインするギャラリーも少なかろう。近くにAコープがあることはリサーチ済み。で、実際に行ってみると・・・閉店しとる。遠慮なく駐車。
汽笛の音、やがて家々の向こうに黒い姿。意外に速いぞ。お~!
一瞬だったな・・・。
新調したコンデジ、連写の設定が分からんかった。しかも、意外と川幅が狭い・・・と言うか、C61が長い。橋の長さとほぼ同じじゃん。
不完全燃焼。本当はここで撤収のつもりだったが、笹川駅での約40分停車中に先回りして、もう一度待ち伏せることにする。
R356は笹川の手前で大渋滞。Uターンして、南側に回りこみ里山の農道を走って笹川駅の東側に出る。再びR356を東進。SL笹川駅発車まであと10分足らず。撮影スポットはないかいな?
利根川大橋の少し先の水田地帯に人々の姿。ここら辺にしよう。広い農道に車を止めて、あぜ道を行く。見通しの良い直線コース。
すぐにSLがやってきた。やっぱり近い方が迫力あるな。加速中で煙も多いぞ!雪除けも良い感じ。遠のく煙と汽笛。うむ、満足。
2012年9月
3連休を利用して尾瀬トレックに出かける。昨年のお盆休み以来2度目の尾瀬だ。初日は戸倉温泉に入るだけなので、ゆっくりと午前10時過ぎに出発。関越道下りの大渋滞を避けて北関東道経由のルート選択をしたものの、手前の東北道も渋滞。あれ?去年はこれで成功したのにな。
ゆっくりと休憩をとりながら午後5時前に戸倉温泉着。去年泊まった宿もそうだったが、戸倉温泉の民宿はどこも綺麗だし、トイレもウォシュレット完備で清潔。入浴後、午後6時半に夕食。たらふく呑んで食っても7時半過ぎには部屋へ。ふとんの上でゴロゴロして過ごす。
翌朝、午前5時半起床。天気は良さそうだ。朝風呂を浴びたら6時半前に朝食。乗合タクシーで7時半には鳩待峠着。十分にストレッチしときなさいよ。あと、雨は降りそうも無いので、雨具とアウターをザックの下に移しておこう。逆にクーラーバッグのビールと、宿で用意してもらったお弁当を上に詰めなおす。7時50分出発。
木漏れ日のなかの緩やかな下り坂。木々の間から時折、至仏山が見える。
行程時間通りに山ノ鼻に到着。トイレだけ済ませて、尾瀬ヶ原に飛び出す。雲ひとつ無い絶好のハイキング日より。去年のお盆休みより花は少ないが、その代わりところどころ赤く色付いた草木。草原は黄色がかって見える。風が心地良い。
牛首分岐で左に折れて、去年とは逆ルートをとる。このルートは歩く人が少ないので、前後を気にせず自分のペースで歩けて良い。熊避けとして、スイスで買ってきた小さなカウベル。なんだか懐かしい音が背中から聞こえてくる。去年はこのあたりで雨に降られたんで、あまり周囲の景色に記憶が無いな。
ヨッピつり橋を超え、ぼちぼち腹も減ってきたので日陰で昼食にしようと思うが、東電小屋周辺は混雑しており座れず、さらに進む。朝よりも風が強くなってきたので、これなら日向に座っても涼しく昼食がとれそうだ。赤田代分岐でお弁当を広げる。ザックのビールを出す。乾杯!
至仏山に雲がかかってきた。鳩待峠方面は怪しげな雲に覆われている。風が強まったのはこのためか・・・。
さっさと昼食を済ませたら、早足で見晴を目指す。雨が降り出す前に山ノ鼻に着きたいところ。12時半、見晴着。清水で顔を洗い、水を補給したらすぐに出発。燧ケ岳にも雲がかかってきた。急ごう。
竜宮までの道中、人の姿はやけに少ないのは、みんな雨を察して退散したのかと思いきや、竜宮に着く、昼食を摂る人々でかなり賑わっていた。
午後2時半、山ノ鼻に到着。途端に雨が降り出した。屋根の下で雨宿りしながら、ウィンドブレーカーに着替える。やれやれ、ギリギリセーフだったな。午後3時45分、鳩待峠着。雨は止んでいた。いい1日だったな。今夜も戸倉温泉泊。風呂だ!ビールだ!
2012年4月
なんだか忙しくて花見も出来なかったので、全身にガタが来て手放す事にきめた16年目の愛車と共にGWは桜を探しに福島へ。事前の情報通り、福島県内はどこもかしこも桜の見頃。
三春町の「三春滝桜」では、南相馬からきた老婦人に出会う。
「6号線の向こうはすっかりやられちまって」「いろいろ言われてっけど、気にしてらんねから住んでる」
老婦人の意外に明るい口調は、たくましさなのか?それとも辛さの裏がえしなのか?
芦ノ牧温泉の宿はまだ看板が壊れている。比較的空いていた様だが、宿泊客が下層階に集められているのは、上層階の被害が大きかったからではないだろうか?そのロビーで地元の農産物やみやげを売る老人。
「こうして、少しつづ観光客が戻って来てくれて嬉しい」
と人懐っこい笑顔で言う。
会津若松市内の居酒屋。いきなり日本酒2合のサービス。店の人達はみんな明るく親切。隣のお客さんも話しかけてくる。
喜多方市内の「ほまれ酒造」脇にある仕込み水にも使われる水汲み場には「放射性物質は検出されませんでした」の看板。ひしゃくで汲んで飲む。とてもおいしい。そこへやってきた地元のご夫婦。
「おいしいかい?ウチもいつも汲んでって料理や水割りに使ってる。これに入れて持って帰れば?」
と言って、2リットルの空PETボトルを差し出される。ありがたく頂いて帰る。
2009年10月
6月のタイ、9月のタイ・マレーシアに続き、今度はまさかのインドネシア。ついに、人生初の南半球かぁ。
しかし、ほんの数日前にスマトラ島で大地震がおきたばかり。目的地は何100kmも離れたジャカルタとはいえ、果たしてビジネスしている場合なのかと心配になるが、先方の社長さんをはじめ皆さんの表情は案外明るくてひと安心する。
想像していたよりもジャカルタは都会だった。バンコクに比べて道も広々としている。テロを警戒してセキュリティ厳しいが、ビジネスマンとして訪れる分にはさほど治安が悪い感じはしない。
ただ、一般の所得水準はまだまだで、デパートの中は店員ばかりが目立ち、客の姿はまばら。バンコクにはあれほどあったコンビニも、結局、ジャカルタの3日間では一度も見かけることがなかった。現地商社マンによると、国民の9割は食料品を市場で買っているとのこと。
今回の宿ホテル・ニッコー・ジャカルタではちょうどミスユニバースのインドネシア代表の最終選考会が行われており、朝食会場には綺麗どころがチラホラ。そして、迷彩服の自衛官の姿。彼らは災害派遣の帰りなのだろう。
帰国便で、今度はオレンジ色のつなぎを着た国際緊急援助隊と同じ便となる。装備品には各地の警察・消防・海上保安庁、それと医療機関の名前が見える。
疲労もあるだろうが、皆さんホッとした表情のようだ。成田空港のトイレで彼らと一緒になり、声をかける。
どうもお疲れ様でした。
2009年6月
2度目のバンコク訪問が、よもや海外出張というカタチで訪れようとは夢にも思わなかった。トランジットの際に立ち寄ったのは3年前の2006年。ただただ暑い印象しかなかったバンコクだった。
常夏の国でも、前回の8月とはやはり多少季節が違うのか?それとも、今回の出張のように4泊もしていれば体も慣れるものなのかも知れないが、暑さもそれほど苦にならない。
初日のバンコク着は夜中。2日目は朝から商談で、夜にチェンマイに移動。危うく晩飯を食べ損ねかける。3日目、午前中に1件目の工場見学。そのまま昼休みに突入し、そこで出前の中華料理を食す。午後、もう1ヶ所の工場見学。夜便でバンコクに戻る。
ようやく落ち着いて夕食となるが、それでも乾杯したのは午後10時を回っていた。
最終日になってやっとゆったりモードとなり、店頭調査をしつつ軽く観光。夕食はタイスキ。深夜便でバンコクを発ち、翌朝に成田着。午後から出社。実にハードな出張だった。
とは言え、前に来た時は「バンコクは無理!」って思ったが、今回は4日も居たせいか結構イケる気がしてきた。物価は安いし、食いものはうまい。治安もまあまあ。暑さはすぐに慣れた。「バンコク駐在」ありかも?
2008年10月
久しぶりの登山、久しぶりの紅葉狩りは最高の天候に恵まれた。目的地は涸沢ヒュッテ。10月12日午前7時半、迎えに来たタケシの車の助手席に身を沈める。
混んでるなぁ中央道。
故障車に加え事故が2件。沢渡のバスターミナルの着いたのは午後3時だった。当初は上高地から3時間進んだ横尾でテント泊の予定だったが、これでは着いた時には真っ暗になってしまう。宿泊地を1時間ほど手前にある徳沢に変更するが、それでもテント設営が終了をした時にはあたりは真っ暗になっていた。
13日午前8時、徳沢発。
連休は今日が最終日なので下山組が多い。雲ひとつない青空のした、赤や黄色に色付いた木々が目を楽しませてくれる。気温も暑からず寒からず、絶好の登山日和。が、右膝じん帯の古傷を無意識にかばっていたのか、涸沢ヒュッテまで30分を残したあたりから左膝が痛んできた。
正午少し前、ほぼ行程時間通りに涸沢ヒュッテ着。3000m級の穂高連峰に囲まれた涸沢。初めて来たが360度の眺望が素晴らしい。人気があるのも頷ける。
眺めの良いテーブルの一画に陣取り、売店でカレーとビール2本を買い、下界から持ってきた丸善ホモソーセージを喰らいつつ、景色を堪能。タケシはラーメンとリンゴ。1時間ほどのんびりしたのち下山。
うっ・・・左膝が動かん。
冷やしてしまったのいけなかったのか、足を上げるだけで激痛が走る。ま、下りだからなんとかなるだろう。いや、何とかするしかない。
これまで何回も膝の痛みは経験してきたが、今回は過去最高の痛み。現在、体重も人生最高値だから仕方ないっちゃ仕方ないが・・・。
言語に絶する痛みに歯を食いしばって闘いながら4時間半近くかけて徳沢に無事帰還。やれやれ、もう少し痩せねば。
2008年7月
巷で人気の芋洗坂係長の無料ライブ。場所は千葉市の「美浜ニューポートリゾート」なる微妙なショッピングセンター。わざわざ芋洗坂係長を見に行った訳ではない・・・と言いたいが、実は時間を狙ってわざわざ見に行った訳で。なんか、激しく滑稽な動きをする芸人に弱いだよね。ダンシング谷村も好きだし。
客は子供連ればっか。まだ開演まで1時間半もあるのに炎天下で場所取りしてるし。我々はショッピングセンター内のスーパー銭湯でひと汗流すとする。20分前にステージ前に行くと既に200~300人の人だかり。無料とはいえスゲーな。いつだか見かけた無名のバンドは、客が3人しかいなかったっけ。
トークの切れはイマイチ(子供達にはウケてたが)の芋洗坂係長。一方、ダンスの方は酷暑をものともせず抜群の切れ。選曲が我々世代には馴染みやすいものばかりなのも良いね。新ネタも2つ披露。そのうちエンタでやるかな?
2008年2月
仕事ではもう20回以上も訪れているであろう四国だが、実は観光は初めてだったりする。しょっちゅう仕事で行っているせいで、わざわざお金をかけて行く気になれなかったというのもある。
つーことで、今回はお金をかけずに貯まったマイルを特典航空券に換え、3連休に有給を1日くっつけて3泊4日の四国の旅。北海道以外の国内旅行は久しぶり。
四国って案外広い。3泊もしたら1周できてしまうのかと思ったが、まるで認識違いだった。今回は愛媛県と香川県にしぼる。
四国はイイ。
なにしろ、のどかな雰囲気。食べ物が安い。温泉もある。宿やお店の人が何気ないもてなしは、お遍路さんを迎え入れる土地柄だからだろう。
2007年9月
ある筋からチケットを頂きまして、ナゴヤドームに行って来た。今年、球場に行くのは2回目。1回目はマリンスタジアムでのロッテ-中日の交流戦。そして今回。
実は、ナゴヤ球場時代も含めて名古屋で野球を見るのは初めてだったりする。名古屋って案外近い。東京から「のぞみ」で約1時間半。我が家から東京までとさほど変わらない。
「良い席だ」とは聞いていたが、これがとんでもなく良い席で超ビックリ!!!
バックネット裏のド真ん中で前から4列目。我々の前はカメラ席で東海テレビのカメラがあるのみ。周囲にはスピードガンを持つスタッフ、ビデオカメラ据置きのスコアラーらしき人物などが見える。
2006年11月
「eco検定」正式名称を「環境社会検定試験」と言う。試験日は1ヶ月前の10月15日。会場は千葉商工会議所。折りしも中央公園周辺でフリーマーケットが開かれていて、イベント会場ではライブが・・・。
静かな会場にジャカジャカと音楽が聞こえてくる。環境検定なのに試験環境はよろしくない。こりゃ~騒音規制法違反だな(←一夜漬け)。マークシートをしながらついついリズムをとってしまう。
11月24日、合格通知が届いた。採点結果は92点。でかした!結構うれしい!そもそも「合格!」って言葉を聞くのはいつ以来だろう?
20年も前の大学入試以来かもしれない。いや、今年に入って大型免許に合格したっけ。他には?意外と無いもんだな。
2006年5月
ベルサッサ(古!)で上野発19時03分発の「北斗星3号」に飛び乗った。
翌朝、青森駅では1時間以上も停車したまま。一体どうしたんだ?
青函トンネルを抜けるときに機関車を付け替えるのだが、この機関車が故障していて、替わりの機関車を手配していたらしい。結局、1時間50分遅れで発車。
「特急料金の払い戻しは2時間以上遅延の場合」
との車内放送がある。さらに「このままだと払い戻しはない」と繰り返し念を押される。しかし、このまますんなりとダイヤに割り込んでいける筈はないだろう。
上磯、七重浜・・・。
徐々に函館山が近づいて来たが、徐行や信号停車でジワジワと遅れを増していく北斗星3号。シメシメ・・・。
五稜郭で信号停車。もう、函館着の定刻まで5分を切っている。ゆっくりと動きだした。時計を見る。あと2分・・・あと1分・・・あと30秒・・・あと10秒・・・3・2・1
函館駅に到着。あと1分早かったら良かったのに、JRさん残念だったね。
「ただいま1時間59分遅れで函館駅に到着致しました」
マジっすか!!
サラッとそう言われちゃうと、こっちも何も言えないよね。車内からは失笑。恐れ入ったぜJR北海道。やはり民間企業はこうでなくちゃ。ま、恐らく札幌に着くまでに2時間以上遅れてしまったに違いない。我々の切符は函館まで。
2006年3月
デアゴスティーニ大和は建造中止。投資した約1万円はもったないが、男は潔さが肝心。
しかし、一度「大和」に注いだ情熱は止められない。
よって、タミヤの1/350「大和」を購入。高価なエッチングパーツを買っても2万円くらいで収まった。それにキットの出来も良い。加工も手軽。
イカン・・・大和建造記になりそうだ。
2005年12月
もう、やめてやる!といっても会社じゃなくてデアゴスティーニの「戦艦大和を作る」だ。コイツの手強さは想像以上だった。
完成まで90週を費やすのは覚悟の上だが、金属パーツは扱いが実に厄介な代物。細部の成型が甘いところが多く、その修正をするのが大変。パテを盛ってはヤスリをかける・・・果てしないその繰り返し。
しかも、金属パーツは塗装の乗りが悪い。メタルプライマーを吹き付け、サーフェイサーをかける。ところが、いとも簡単に剥がれてしまうのだ。最初にマスキングテープを使ったときのこと。パリパリと塗装がマスキングテープにくっついて来たのには思わず悲鳴をあげてしまった。
そんな私をさらに落ち込ませたのは、エッチングパーツの下見に行った模型屋の店員の言葉。
「デアゴの大和ですか?アリイの1/250大和を作ったほうが健康にイイすよ。おまけに安いし」
「いまさらやめられないでしょう?デアゴの船体にアリイの上部構造物を組み合わせたらどーすか?」
不健康そうなアキバの住人に健康を気遣われてしまった。ど~する?