潮吹き穴
カパアの街が近付いてくる頃、にわかに灰色の雨雲が空をおおってきて明るかった周囲が薄暗くなった。直後にスコール。渋滞は午前中に比べるとずっと短くなっていたが、ザァザァと降り続く雨に煙ったカパアの街を、車はノロノロと進んでいく。
雨降りは退屈。それに、なんだか急激に睡魔が襲ってきた。我慢できなくはないが、こういうときは寝るに限る。目が覚めたら晴れているかもしれないし・・・。
小さなショッピングセンターの駐車場に車を入れ、シートを倒して束の間の休息をとる。しかし、「ラングラー」はまったく昼寝には適していない。シートは硬いし、幌にあたる雨音がうるさい。20分位で起き上がる。
頭はちょっとスッキリした。でも、天気はスッキリせず、相変わらずの雨模様。カパアの街を抜け、ワイルア川を渡る。もう午後5時だから「シダの洞窟」行きの船は運航時間は終わっている。もし、明日のヘリが飛ばなかったら来てみようか?などと考えてみる。リフエの街を過ぎると、1日かけて巡った島の北東部に別れを告げ、いよいよ島南部に突入する。
ポイプの街を目指すことにする。50号線「通称:カウムアリイ・ハイウェイ」を西へ。このあたりは道路が島の内陸部を走っていて、島の中心部方向にあたる右手はもちろん、左手から前方に向けても黒々とした山脈で、海は見えない。雨は小降りになってきたが、その山々の上半分は濃い雨雲のなかに隠れている。
左手の山脈が遠ざかるにつれて、徐々に天候が回復。スコールを抜けたようだ。そういえば、ガイドブックに「島南西部は比較的天候に恵まれた地域」だという情報があったっけ。やがて上空はすっかり青空に戻った。
日はまだ高い。まだまだ活動時間は充分にある。右折して520号線「マルヒア・ロード」にはいる。ここには1マイル以上にわたって道の両側にユーカリの巨木が植えられている。道路に覆い被さる大きく伸びた枝。それが涼しげなトンネルの様になっている。
トンネルを抜けると緩やかな長い下り坂。やがてT字路にぶつかると、そこは「オールド・コロア・タウン」。木々が生い茂るなかに赤茶色に統一された建物が立ち並ぶプランテーション時代の面影を残す街。
そのT字路を右折。街並みを抜けると視界が開け、眺めの良い丘の上を走る。遠く正面から右方向にかけては、豊かなカウアイの山並みが続いている。周囲には丈の低い作物が植えられた畑が絨毯の様に広がっている。これは恐らくコーヒーではなかろうか?スコールに濡れたコーヒーの葉が、キラキラと鮮やかに輝いている。正面から差す西陽も加わってサングラスをしていても眩しいほど。
ん?西日が正面から?どうやら、道を間違ったようだ。南のポイプへ行くには、コロアの街中で左折しないとけなかったらしい。
「また、道まちがえちゃったよ・・・」
ナビケーターのあこは、半ベソをかいている。それを見て見ぬフリしてUターン。再び、コロアの街を経て南に進路をとる。海岸線近くの表通りには、幾つかの高級ホテル。ひとつ裏の道に入ると、こちらはコンドミニアムが高級住宅街のように立ち並ぶリゾート地になっている。太陽はだいぶ傾いてきたが、まだまだ明るい日の光に包まれている。
海岸線の道は「どうしてこんなに海岸線のそばに作ったのか?」と思うほど海の近くを通っている。堤防はおろか、ガードレールすらない。
でも、その狭いビーチが連なる海岸線に打ち寄せる波はとても穏やか。遠浅のサンゴ礁が太平洋の荒波を吸収してくれているのだろう。
海岸線を左に見ながら西進していくうちに、穏やかだった内海から、大波が打ち寄せる海原へと替わる。やがて「潮吹き穴」の駐車場に到着。
海面から一段高い所にある岩盤。それは海水で冷えて固まった溶岩だそうだ。その岩盤の側面に波が打ち寄せるたび、その溶岩の穴から「ゴーッ」という大音響とともに海水が吹きあがっている。その高さは、大きいときで15mくらいだろうか?
意外と高さもあるし、大きな音で迫力もある。不思議なもので、大きな波が当たれば、必ず大きく吹きあがるとは限らない。波の当たり方や直前の波とのタイミングや、岩盤の上に残った水の量などの条件で全く違うらしい。
こんどは大きいぞ~っ!と思ったらそうでもない・・・等と予想しながら眺めていると、ついつい時間が経つのを忘れてしまう。
だんだんと風が冷たくなってきた。水着を脱いでシャツとズボンに着替えるべく、駐車場のなかにあるトイレに向かう。近くで野生のニワトリが、全身を振るわせながら「コケコッコーッ」と鳴いている。斜めから差す太陽の光に、朝と間違っているのだろうか?
ハナペペ渓谷
もと来た道を戻る。ポイプの街を抜けてコロアの街で左折、少し前に通ったコーヒー畑の中を走る。太陽はだいぶ低くなって、ちょっとオレンジがかって見えている。
ポイプの街や「潮吹き穴」では、思ったよりのんびりと時間を過ごしてしまったようだ。時計は午後6時30分を過ぎている。
日没まではあと1時間。目的地は特にないのだが、ともかく西へ進もう。未踏破のエリアだし、それに、なによりも太平洋に沈んでいく美しい太陽を見ながらのドライブができるだろう。
再び「カウムアリイ・ハイウェイ」と合流して、小さなカラヘオの集落を通過。内陸寄りの台地の上を走る。右手の島中心部を包む厚い雲が夕陽を受けて複雑な光と影を作りだし、不思議な立体感を出している。
車を止めて「カウムアリイ・ハイウェイ」の道路脇から長い年月を経て侵食された渓谷を眺める。ここは「ハナペペ渓谷展望台」。谷の幅は1-2kmくらい、深さは200-300mくらいのようだが良く判らない。それらを解説する看板もない。
赤土の壁面と深い緑が、強い西日のためにオレンジ色に染まって見える。谷底にはきっと河が流れているのだろうが、木が生い茂っているうえに日陰になっているので確認できない。たまに通りすぎていく車の音以外は、鳥の声も虫の音も聞こえない。不思議な静寂が渓谷全体を包んでいる。
日没前後の南国の空は、まさに千変万化。あかね色から紫へと変わりつつある西の空へ向かって走る。
道の両側には赤土が見え隠れする畑が続いている。暮れていく空のシルエットとなっていてよく判らないが、恐らく丈が低いのはコーヒー畑。背の高いのはサトウキビ畑だろうか?
地図では海まで200-300mくらいのところを走っているはずなのだが、平坦なこのあたりからは、その畑に遮られていて見えない。
イカン、早くしないと完全に日が沈んでしまう。それまでに海岸線に出て、カウアイの日没を見届けねば。
最短距離で海岸線にでるのに、とりあえず目に入った小さな交差点で左折して畑の中の細道へと入る。道は両側をサトウキビに囲まれていて薄暗い。赤土むきだしの未舗装道路が、ヘッドライトに照らされてデコボコを浮き立たせている。サトウキビ畑の谷間をノロノロと走ること数分。道は海岸線に突き当たり、道なりに左へ折れて視界が開ける。
プランテーション村
そこには、思わず「おおッ!」と声を発してしまうほど美しい景色がひろがっていた。残念ながら、太陽は水平線の向こうにその姿を隠してしまったばかりのようだ。でも、空はまだ明るくて赤味を帯びた紫に染まっている。リーフに囲まれた内海は、白波ひとつ立てずに蒼く広がっている。波打ち際まで迫った芝生の緑が、道や畑の乾いた赤土のなかで鮮やかに目に飛び込んでくる。
徐々に色を変えていく海を右手に見ながら、ゆっくりと車を進める。どうして、車を停めてその地に降り立たないのか?それには訳がある。まず、駐車スペースがない。それに、綺麗な芝生と道路の間にはロープが張られていて、なおかつご丁寧に約10m間隔で小さく「No Parking」の看板が立てられているのだ。
こんなビューポイントでありながら、およそ観光客にはやさしくない。そして、車にまとわりついてくる4-5匹の犬たち。明らかに敵意をもって吠えかかってくる。
左手にはサトウキビ畑を背負って住居が点在している。その庭からこちらを見つめるポリネシアの中年女性。その建物は「粗末」とまでは言わないものの相当に質素なもの。しばらく進むと道は行き止まり。そこには、茶色く錆びたスクラップ車が数台放置されている。
恐らく、ここはサトウキビ農場で働く貧しい労働者の集落なのだろう。まだ明るさの残る空と対照的に、小さな明かりが灯る海辺の集落は闇のなかへ溶けこんでいて、やや不気味な感じすらする。そう、彼らにとって我々は招かざる客だったのだ。
道の終点でUターンすると、速度を上げて(といっても30km/hくらいだが)集落からの脱出を図る。犬たちが相変わらず車の周囲にしつこく付きまとっている。
道の前方に、ランニング姿の太った男性が飛び出してきた。こちらに向かってなにやらジェスチュアしながら叫んでいる。
ヤバッ・・・出口を抑えられた!と言うのは早合点で、どうやら「犬を轢きそうだから減速しろ」ということだったらしい。速度を緩めると、彼は親指と人差し指でOKマークを作ってよこしてくれた。やれやれ、ひと安心。
もはや、「日没を見る」という目的を失ったにも関わらず、暗くなった「カウムアリイ・ハイウェイ」を西へ走り続ける。すれ違う車もめっきり減って、周りはすっかり暗くなってしまったが、南国の空はまだトワイライトブルーに明るさを残している。
「ロシアン・フォート」の看板を発見。ちょっくら立ち寄ってみる。
出発前の予習で、ロシアン・フォートは「その昔、ロシアが貿易の権益を武力維持するために作った砦の跡」だとのこと。駐車スペースからすぐの所に解説の看板があり、その周辺に石垣のようなものがみえるが、これなのかな?なにしろ暗いので全体像がよく見えない。そんなに古いものではなさそうだが・・・。
敷地のさらに奥へ進んでみる。荒野と道とを並べた石で区切っただけの起伏の激しい赤土の道を、慎重に海の方へと降りていく。道のどちら側かに「ロシアン・フォート」があるのかもしれないが、地面の近くは闇に溶け込んでいて判るはずもない。やがて、海を見下ろす丘の上に到着。終点だ。
エンジンを止め、車を降り、波打ち際を見下ろすところまで歩を進める。太平洋の彼方に沈んだ太陽は、徐々に色合いを変えながら、乾いたカウアイの空に光を残している。それが島の海岸線や木々、打ち寄せる波に影をつくりだしている。空と海と陸との境界線がだんだんとにじんでくる。黄昏から夕闇までを、こころゆくまで堪能。光も風も音も、甘くて優雅な時間が過ごすことができた。
カウアイの夜
漆黒の闇のなかに道路に埋め込まれたセンターラインの白い点だけが、ヘッドライトの光で鈍く光っている。
もう少しこのまま「カウムアリイ・ハイウェイ」を進めば「ワイメアタウン」。その先は「ワイメア渓谷」へと至るのだが、それはいつか再び来た時の宿題としよう。今夜の宿「アロハ・ビーチ・リゾート」を目指して、ざっと島半周分くらいをひたすら戻ることにする。
ダッシュボードの上に置いたサングラスから、カチャカチャと不自然な音が聞こえてくる。
ありゃま、片方のテンプル(耳にかけるツルの部分)が外れている。固定しているネジも見つからない。
なんだよ~!成田空港で4千円で買ったばかりなのに。しばらくののち、あこのサングラスも同じ事態になっていることが判明。きっと、「ラングラー」の硬いサスペンションからの振動により、ネジが弛んでしまうのだろう。
暗闇の中、やわらかな照明に浮き上がる「アロハ・ビーチ・リゾート」に到着。駐車場は満員だったが、吹き抜けのロビーにはフロントの女性がひとりいるだけで、静けさに包まれている。時刻は午後9時過ぎ。ワイキキと異なりカウアイの夜は早い。
チェックインを済ませて部屋へ。2階建ての棟が3つ、中庭を挟んでならんでいる。外観や内装はポリネシア風だが、その構造は和風温泉ホテルような落ち着いた雰囲気。中庭のひとつには和風の池があり錦鯉まで泳いでる。これはちょっとやり過ぎか?
この静けさでは、すでにレストランの類は閉まっているに違いない。館内を歩き回るが、やはりレストランはおろか、売店すらあいていない。バーでもあるかな?とプールサイドへと向かう。照明にキラキラと輝く水面。そこで遊ぶ数人の子供達の姿が見えるが、バーは閉まっていた。
再び車に戻り、1-2分北へ向かったところにある「ワイルア・ショッピングプラザ」に向かう。ここは、スーパーマーケットや数軒のファストフード店などが集まった小さなショッピングセンター。「小さな」といっても、200台くらいは止まれそうな駐車場を備えている。ここで食材を買い求め、ホテルの部屋で食べることにした。
「バドワイザー」は味気ないので、アメリカに居ながら、わざわざ「ハイネケン」の1リットル缶を選択。その代わり・・・ではないが、ここぞとばかりに「ブルーハワイ」を買ってみる。つまみはマカデミアナッツ。お土産でよく見る缶入りのアレだ。
おかずは惣菜売り場で「カリフォルニアロール」をゲット。これで4回目のハワイ旅行だというのに、実は食べるのは初めてだったりする。
隣接する「Pizza Hut」でパン生地ピザを購入。日本で「Pizza Hut」といえば宅配しか思い浮かばないが、こっちではイートインがあたりまえらしく、ファミレス規模のテーブル席が設けられている。地元の中高生風のグループが数組腰掛けている。15分ほど待たされて出てきたピザ。Sサイズのはずだったのだが、その大きさにはびっくり。
ホテルに戻り、部屋の片隅にある小さなテーブルで遅い夕食を摂る。マカデミアナッツをツマミにハイネケンで乾杯のあと、カリフォルニアロールに挑戦。ん?想像していたよりも美味しい。醤油皿もなしで、プラスチックトレーで食べるには惜しい味。もっと、たくさん買ってくればよかった。
Sサイズらしからぬ大きなピザには、唐辛子のパウチ袋が10個くらいも入っている。スパイスもボリューム満点。
アルコールが入ると睡魔が急速に襲ってくる。窓の外には、わずかに街角の光が見えるだけ。夜のワイキキで聞こえるような、エアコンの室外機の耳障りな「ゴーッ」という音もない。波の音は耳を澄ませば「かすかに聞こえるような気がする」程度。カウアイの夜は粛々と更けていく。