エーグル
新年3日目の朝は8時過ぎに起床。窓を開けて外を見る。空は灰色で日の出を過ぎているのかは判然としない。部屋は中庭に面しており、中庭は駐車場になっている。
その駐車場を囲むように5階建てくらいのオフィスビル。いくつかのオフィスには既に明かりが灯っており、仕事をしている姿が見える。こちらの正月休みは案外短いのかも知れない。昨晩は暗くて分からなかったが、ちょうど建物の隙間からレマン湖の大噴水ジェッドーが見えている。
昨日買っておいたパンやジュースなどで軽い朝食を摂ったら出発。まずはレンタカーを借りるのだが、その前に宿の近くに駐車場があるかどうかをリサーチ。ホテル・セント・ヨセフは大通りに面していて路駐するのは厳しい。少なくとも夜間に止めておく場所を探さなくてはなるまい。
ホテルを出て、通りを旧市街の方へ1ブロック行ったところに地下駐車場の入口を発見。入ってみるとこれが地下都市のような巨大なものだった。うむ、ここにしよう。
イギリス公園を経て、モンブラン橋を渡りレマン湖北岸へ。新婚旅行の時に泊まったトリップ・ベルンを発見。ただし、ホテルの名前は変わっていた。その先で右折してしばらく進むとレンタカー会社「ハーツ」のオフィス。
今回の相棒はルノー。雪道を想定して四駆をチョイスした。じゃ、よろしく頼むよ。
車で一旦ホテルに戻る。ホテル前の歩道に片輪を乗り上げて、あこが部屋から荷物を持ってくるまで車内で待つ。あこと荷物を積んだら出発。
モンブラン橋を渡り、あとは高速道路の入口を示す看板を追いかけながら、コルナバン駅の脇を抜け、トラムの線路を踏みながら走り、やがて高速へと入る。
ジュネーブ近郊の丘陵地帯を過ぎ、車窓にレマン湖が見えるようになると、雲は徐々に薄くなって青空が広がって来た。同時に冬の低い太陽が正面から射してきて強烈に眩しい。サングラスをかける。
広がるブドウ畑は枯れた枝だけになっていて地面と石垣が目立つが、湖面からの反射もあってその斜面にはたっぷりと陽があたっている。冬の澄んだ青空は夏とは違った爽快感もあり、夏なら雪など残っていないであろう比較的低い峰々が描いた白い稜線が鮮やかだ。
モントルーを過ぎてレマン湖が背後に遠ざかると、谷底になった平野をローヌ川に沿ってさかのぼる。
やがてエーグル。ここで高速を降り山を目指す。エーグルの街を貫く街道には路面電車のようにASDエーグル・セペ・ディアブルレ鉄道の線路が交わってくる。それに惑わされたつもりはないのだが、どこかで道を間違えて気が付けば細い路地に入り込んでいた。
不意に古城が目に飛び込んでくる。バックミラーには後続車が写っていたので止まる訳にも行かず、古城の横目にブドウ畑の中の狭い道をそのまま進む。
ぽっかりと小さな公園の駐車場にでた。道はそこで行き止まり。
公園の隣は鉄道の引き込み線になっていて、赤茶けた小さな貨車が数両と、青い塗装が鮮やかな客車が数両休んでいる。バス停の様な壁のない小さな待合所(?)には「AIGLE DEPOT」の文字。
冬晴れの空の下、引き込み線の先には広がったブドウ畑を見渡す様にして凛々しく立つとんがり屋根の古城。
風は穏やかで、陽射しがポカポカと暖かい。まともに太陽を浴びたのはこの旅で初めてだな。アルプスの国スイスの方がウィーンよりも暖かいのか…。
そんなことを考えながら、陽だまりの公園からしばし古城を眺める。古城の名はエーグル城。ガイドブックによれば今はワイン博物館になっているとのことだが、ちょうどこの時間はお昼休みらしい。
レ・ディアブルレ
車は山へと分け入っていく。今日の目的地はレ・ディアブルレとその近くにある「グレッシャー3000」。
レ・ディアブルレはこの時期はスキーリゾートの村。貨物駅があったASD鉄道でもエーグルから約1時間で行けるらしい。
村の周囲にはゴンドラであがれる展望台がいくつかあり、グレッシャー3000はそのうちのひとつで、村はずれの峠からロープウェイで一気に3000mまであがる。そこは名前の通り氷河が目の前に広がる穴場の絶景ポイントらしい。
標高があがるに連れて、車窓は徐々に雪景色に変わっていく。道路も日陰にまわると雪が残っているので、慎重に進む。両側に続くモミの梢の上から顔を覗かす白い峰々。空は青い。
やがて、車窓から見える家や小屋の屋根にこんもりと雪が乗る様になってくると道路は完全に雪道となる。除雪で出来た路肩の雪で道幅は狭く、雪道に慣れない千葉県民は慎重に慎重にアクセルを踏む。
視界が開けて明るい南向き斜面にシャレー風の建物が立ち並ぶ谷に出ると、そこがレ・ディアブルレ。村の周囲にはいくつもゲレンデが見えて、ゴンドラやリフトが四方に伸びている。
村に立ち寄る前に、まずはこの先の峠にあるグレッシャー3000行きロープウェイの乗り場を目指す。スキーを履き、あるいはスノボを抱えた人々を避けながら、ホテルが立ち並ぶ坂を登る。
屋根の雪やツララが眩しい。青い空をバックに赤いゴンドラが頭上を横切って行く。華やかで上品なスキーリゾートの雰囲気が車の中にも伝わってくる。
しかし、やがて到着した峠のロープウェイ乗り場の周辺は、ディアブルレの村の華やかさとは対称的に寂しく寒々しかった。
雪煙りを伴ってアイスバーンとなった道路を吹き抜けて行く風。山が陰になり日の当たらない駐車場には車が数台あるだけで人の姿はない。これが絶景の待つ展望台へ登るロープウェイの乗り場とは信じられん…。
それもそのはずで、ロープウェイは運休していた。冬場は運転してないのかもしれない。ガイドブックにはそんなこと書いてないもんなあ。グレッシャー3000は諦めて、ディアブルレの村に下りることにする。
村外れの駐車場に車を止めたら、照り返しが眩しい駐車場を抜け、小川に沿った小道を歩く。すぐに小さな屋根付き橋が現れ、それを渡るとすぐに村の目抜き通りに出た。
教会が見え、道の両側にはホテル、レストラン、スポーツ用品店などが並んでいる。屋根や路肩にこんもりと積もった雪は低い冬の日差しに輝き、ホテルの煙突やレストランの排気口からはもうもうと湯気が上がっている。
ところどころに黒くアスファルトが顔を出す道を闊歩するスキーヤーやスノーボーダー達。幼い子供は親が引っ張るトボガンと呼ばれる木製のソリに乗せられている。陽だまりになったカフェのテラス席には、上着を脱いでコーヒーやワインを楽しむ人々が見える。
ここは、まさしく優雅で華やかなヨーロッパのウィンターリゾート!
当初のプランは、グレッシャー3000まで上がって眺望を楽しもうとしていた訳だから、我々はスキーやスノボを目的にこの村を訪れたのではない。そこで、グレッシャー3000の代わりに、どこかスキー場のゴンドラに乗って山の上に行き、そこでお茶することにしよう。
夏だったら、山の上のゴンドラ駅はトレッキングの起点になっている場所のはずなので、小さなカフェくらいはあるだろう。とは言え、辛うじて冬のウェアこそ着ているが、山の上に行ったらメチャクチャ浮くだろうなあ。そもそも、この村で我々以外に東洋人の姿は見えない。
目抜き通りは大きくカーブして、ゆるやかに南向き斜面を登っていく。
やがて、ゴンドラ乗り場。これに乗れば、村の北側にあるゲレンデの上まで行けるはず。さっき、車で峠に向かうときに下をくぐったヤツだ。
乗り場を示す看板にしたがって外階段を登っていくと、ゾロゾロと人々が降りてくる。おいおい、どうした?この階段って一方通行でしょ?
当惑して階段の途中で立ち止まっている我々に、やはり階段を下りてきたおっさんがジェスチュア交じりに曰く、
「Wind」
なぬ?つまり、強風で運休ってことか。さっきまで動いてたのに残念だな。もっとも、上に行ってから運休になったら、山を降りる手段を持たない我々は途方にくれてしまうところだったが。改めて山を眺めると、山頂付近では青空に雪煙が伸びている。うーむ、確かに。
グレッシャー3000へのロープウェイが動いていなかったのも強風のせいだったのか...と今さら気付く。ロープウェイ乗り場のあった峠も、結構な風が吹いてたもんな。
ここに至って目的を失ってしまった我々。
そうは言っても、白い雪をかぶったリゾート村の散策も捨てたもんじゃない。山の上と違って、ここは風も無く日差しがポカポカと暖かい。少し脇にそれて、ひと気の無い細い道をギュッギュッと雪を踏みしめながら歩く。小さな教会が建つ丘の裾をぐるっと巡って、再び目抜き通りへ。そのまま、通りの南側に建つレストランに立ち寄る。
せっかくなので、おやつ程度に軽く食事しつつ冬のリゾート気分を一瞬だけでも堪能することにした。
テラス席には既に2~3組がおり、のんびりとおしゃべりなどしている。我々も日当たりの良い一画を確保。毎日どんよりといていたウィーンとは大違い。厚い上着を脱いで、冬の日差しを全身で楽しむ。
なかなかウェイターが来ないので屋内に呼びに行く。
店内のテーブルはほぼ満席。人々の熱気と暖房と料理のにおいでムッとしている屋内。忙しく動き回るウェイターを捕まえてオーダーを取りに来てもらうと、5分ほどでテーブル上は俄然華やかになった。
しかし、至福のときは長くは続かない。
テーブルの食事が片付く前に、冬の太陽は山の向こうへと姿を隠してしまった。すると、さっきまでのポカポカとした陽だまりが嘘のように体感温度は急降下。上着の前を閉じても寒いくらい。
テラス席にいた他のグループはそそくさと退散。我々も残った食事を平らげ、代金を皿の下に挟んだらテラス席に別れを告げ、車中の人となる。時刻は午後4時。
ディアブルレ駅前にあるCOOPで食材やおやつを購入したら、ジュネーブに向かってアクセルを踏む。南や東の斜面にはまだ日があたって真昼のようだが、谷間を走る道路は日陰になっていて、徐々に凍結し始めているようだった。
ジュネーブ旧市街
巨大地下駐車場に車を入れ、シャワーを浴びて一休みしたら街に出る。
2年前の新婚旅行の際に4泊もしたジュネーブだが、その時は、やれレマン湖一周だ、ベルナーだ、シャモニだ、ツェルマットだと走り回っていて、お膝元のジュネーブ旧市街はノータッチだった。
昨日もディナーを摂る店を探してさまよい、結局、旧市街の入口まではたどり着いたのだが、そこで良さげな店もあり、空腹の限界でもあったので旧市街の中まで足を踏み入れていない。そこで今回は、旧市街で店を探すことにした。
旧市街は小高い丘に形成されていて、レマン湖北岸からだと旧市街の家々の屋根やサンピエール大聖堂の塔が見えるのだが、宿からの道すがらは目の前の建物が邪魔している。
まずは南に進み、ロータリーで西に折れ、人通りの多いリヴ通りへ。高級ショップなどが並んでいるがこの時間は閉まっている。
やがて、モラ広場。北側に時計塔がある南北100mほどの小さな広場だが、イルミネーションに溢れ、屋台も出て賑わっている。
モラ広場の先にはローヌ川にかかるリル橋。橋の上はトロリーバスの駅になっていて、乗客が行列している。リル橋から南に進むと旧市街への入口。旧市街の背骨となるシテ通りの細い坂道を登って行く。
それにしても暗い。
街灯と呼べるものがほとんどないので、小さなショーウィンドーや看板や窓の明かりを頼りに歩く感じ。石だたみが鈍くそれらの光に浮き上がっている。
それに人通りが少ない。ふもとの街の喧騒が嘘のよう。坂の下の方を見れば、建物に挟まれた細い路地の向こうを行き交う人々の影が横切っていくが、それが別世界の出来事の様だ。
観光地らしからぬこの暗さと静けさ。
治安に対する不安を若干感じつつも、中世の迷宮に突入していくこの感じは楽しくもある。中世そのままの雰囲気をかもし出す坂道を登ること1~2分ばかりで道は平坦になり、左右に路地が現れる。相変わらず狭く、暗い。
小さなカフェのようなものが1つ2つ見え、暖かな明かりが漏れている。
「市庁舎」という名のこの旧市街では少し大き目のレストランに入る。古い館を改装したのか建物は外からの印象よりも奥行きがある。
案内されるがままにグネグネと細長い店の奥へ。階段を登り、宴会場のような無人の小部屋を横切り、やがて賑やかな一室に通された。
室内は充満するチーズフォンデュのニオイでむせ返るほど。
10卓ばかりのテーブルが並び、大小のグループが賑やかに食事をしているが、どのテーブルにも軒並みチーズフォンデュが載っている。
西洋人ばかりだが、彼らは地元のスイス人ではなく観光客なのだろう。
唯一、西洋人の老紳士と向き合うコリアン系らしき女性だけがムール貝の蒸し焼きのようなものを食しているが、これまた大きな皿に山盛り。ムール貝だけで腹一杯にはしたくないしなぁ。
我々はサラダ、ローストチキン、サーモンのクリーム煮、それとビールに白ワインをオーダー。
部屋に充満するチーズフォンデュのニオイに鼻も慣れてきた頃、我々の料理が登場。これが美味い!
ローストチキンは上品な味と香り。サーモンは柔らかくしっかりとした味わい。ワインも進む。さすがフランス語圏は、素朴な料理が多いドイツ語圏とは違うね。
大満足で店を出る。その際に、入口に貼られたミシュランの★に気が付いた。どおりで美味しい訳だ。