再入国
すでに、出発予定時刻を30分も過ぎていたが、搭乗開始のアナウンスはない。こんなことになるなら昼飯を食べておけば良かったな。せめて、今から生ビールの一杯でも・・・。
しかし、T朗は全額、私はほとんど現金を使い果たしてしまっていた。
出発予定時刻を小1時間も過ぎただろうか?搭乗口周辺に集まっていたスタッフの輪が解けると、ようやくアナウンスが始まった。
「日本航空より成田へご出発のお客様にお知らせ致します。当機は、東京地方に接近中の台風21号の影響により運行が困難となりました。これから皆様をホテルへご案内致します。お手持ちの搭乗券は・・・云々」
やられた!明日から仕事なのに!!!
アナウンスが終わると同時に搭乗口の電光掲示板から「JL732便 東京15:25」の文字がパッと消えた。なんて残酷な仕打ち。
一方、T朗はもう1日休みを取っているらしい。乗客は一列に並び、搭乗口でひとまず搭乗券を通過させ、プラスチックで出来た緑色の「搭乗引換券」とやらを受け取る。さらに、免税店で買った土産のうち、持ち込み制限対象となる酒やタバコなどを預ける。それが終わると、再び入国審査を受けることになった。
先に通関を済ませ、T朗を待ちうける私。
「香港へようこそ!」
「アハハハハッ!」
疲れからか諦めなのか、予想外にウケるT朗。小雨の降り出した香港国際空港から、迎えの4~5台のバスに分乗する。どこのホテルに向かうんだ?空港の近くなのか?
「よく聞いてなかったけど、何とかリバーサイドホテルとか言ってた様な・・・」
どうせなら、リバーサイドではなくてエアポートサイドにして欲しいなあ。またまた「地球の歩き方」の出番である。そこに「リーガルリバーサイド」というホテルを発見。これだとすれば、空港からはずいぶんと遠い九龍半島の反対側。異動には1時間位は要しそうだ。なんだかぐったりして、バスのシートに身をうずめる。
バスは九龍のビル群を右手に見ながら、だんだんと山の方へ向かって行きトンネルを抜ける。山を降り、川や運河にかかる橋をいくつか渡りながら、沙田(シャティン)の街の中を抜けて行く。山地に挟まれた大きな河があり、その両側にマンション群が見える。九龍(ガウロン)や中環(ヅォンワン/セントラル)の様な高層ビル群はなく、郊外の住宅都市の雰囲気。
空港から約1時間。我々を乗せたバスが到着した富豪麗豪酒店(リーガルリバーサイドホテル)は郊外型の大型ホテル。鏡のような水面を見せる川幅が200~300mもありそうな大きな運河のような「城門河」の南に建っている。
曾大屋
リーガルリバーサイドホテルの広いロビーは、大きな荷物を持ったバス4~5台分の人間が1度に押し寄せて大混雑。チェックインは大行列。
食事はバイキング形式で午後6時から。チェックアウト時刻とフライト時刻は、決まり次第、ロビー前に貼り出しておくとのこと。
チェックイン時に、フロントでミネラルウォーターを渡される。エレベータを降り、エアコン全開で異様な冷気に包まれた廊下を抜け、部屋へ。
部屋の電話から会社への電話を試みるが、恐らく他の部屋でも国際電話をしようとしている人が多いらしく繋がらない。仕方なく再びロビーに下り、5000円分をHKドルに両替。そして、ロビーの隅にある公衆電話で日本に電話をかける。
日本時間は午後6時半前。ところが、会社は誰も出ない。台風の影響で電車が止まる前に、撤収してしまった様だ。続いて自宅へ電話する。
「あんた、今、どこから?」
旅行会社からの連絡は無いそうだが、飛行機が飛べないだろうことは想像できたらしい。続いて、あこの携帯に電話する。しかし、こちらの声が聞こえていない様で、切られてしまう。
しまった!10HKKドル硬貨入れるんじゃなかった。別の電話機から再びかける。今度は会話が出来た。
「戦後最大級だって。お家が揺れてるよ~」
ロビーに戻り、チェックアウトとフライトの時刻を確認する。
・モーニングコール/23:15
・ピックアップ/24:00
・フライト/03:35
モーニングって・・・夜じゃん。明日の朝8時頃には成田に到着することになる。きっと、午前10時前には家に着けるはずだ。
外はまだうすら明るい。部屋に戻ったら、寝転がっているT朗にフライトが夜中の3時半であること。よって、出発が夜中の12時であること。そして夕飯前にちょっと表を散歩してつもりであることを告げる。
T朗「腹が減った。あと20分で夕食の時間だから、その後で出かけろよ」
私「外が暗くなると景色が見えない。30分くらいで戻るから待っててくれ」
T朗「子供じゃないんだから暗くなっても出掛けられるだろ」
私「暗くなったら景色が見えん。子供じゃないんだから10分位ガマンしろよ」
口を尖らすT朗を部屋において、ホテルの前からタクシーに乗り込む。
「ツアンタイオッ(曾大屋)」
タクシーは雨上がりのマンション群の間を走っていく。「30分で帰る」というT朗との約束もあったので、私以上に英語の話せない運転手に話し掛ける。
「曾大屋からリーガルリバーサイドまで歩いてどのくらいですか?」
「曾大屋では、タクシーを簡単に拾えますか?」
これくらいの中学英語ならこっちは大きな間違いはしていないと思うのだか、通じない。そうこうするうちに曾大屋に到着。5分も経っていない。これなら徒歩15分くらいで戻れるであろう。
曾大屋は「曾さん」が作った築150年と言われる古い城壁村。高さ10m位の灰色のレンガの壁は、1辺の長さが150m程で窓が付けられていてる。窓の中は、小さな部屋(家?)となっている。屋根の上には草がたくさん生い茂り、草むらの様。住居としては決して綺麗と言えない建造物だが、なぜか周囲に並ぶ自家用車は標準レベルかそれ以上なのだ。
壁に空けられた入口から内部を覗うと、細い通路が奥に左右に伸び、小さな住居が並んでいる様だ。日本の「長屋」が集まった様なモノなので、見学のために通路を歩いても別段問題ないのだろうが、住居の光がもれる薄暗い通路には、時折、住人が横切るのが見えるだけ。他に観光客の姿もなく、非常に足を踏み入れづらい雰囲気。
結局、曾大屋は表から見るだけにし、川のほうへと向かう。
城門河は幅200~300mくらい。このあたりは河口から3kmの地点で、岸は遊歩道と自転車専用道が綺麗に整備されいている。対岸にはマンション群が見え、香港的な派手なネオンは少ない。
流れは実にゆったりとしている。 雨上がりの夕方の川岸には涼しい風が流れ、気持ちが良い。ジョギング、サイクリング、犬の散歩、釣りなどをしている人々の姿を見ながら歩く。 ここでは、これまでと一味違った香港を感じることが出来る。
予定どおりに午後6時10分にホテル到着。ホテル前にはバス数台が停まり、やはりフライトが中止となったキャセイパシフィック便の乗客達がホテルの中へと入っていく。リゾートホテルっぽい雰囲気の漂うプールの脇を通って夕食の会場へ。バイキング形式とは言え、いきなり数100人規模の客を収容し、数時間で食材・調理を含め、受け入れ準備を完了する仕組みはどうなっているのだろう?
お互い見ず知らずが同席しているため、会場は人数の割には静か。JALとの契約なのだろう。品揃えも味付けも日本人向け。ビールをジョッキ2杯と、大皿に数種類のおかずを盛って来て食べれば、私にとっては、急場しのぎとして充分な夕食であった。
新城市廣場
食後は「部屋で寝る」というT朗を部屋に残し、すっかり暗くなった外へ出る。城門河の川岸の遊歩道には街灯が燈り、やわらかな光を放っている。水面には対岸の明かりが映り、その明かりで夜釣りをする人の姿が見える。長い瀝源橋を渡り対岸へ。
沙田(シャティン)の中心部には大きなショッピングセンターがある。入口周辺には、ファーストフードの店が多くマクドナルドや吉野家などもある。ショッピングセンター内はすごい人込みだ。
両側には通路とガラスで隔てられた幅が2~3間の小さな店が蜂の巣のように並んでいる。洋服、携帯電話、ゲームソフト、アイドルショップ、模型店、アニメショップなどが多い。かと思えば、周囲に強烈な臭いを放つ漢方薬店あったりと、業種は多岐にわたっている。観光客風情の通行人は皆無。客引きや日本語表示の看板もなく、九龍や香港島とは違った飾り気のない香港の日常を味わうことが出来る。
歩き疲れ、どこかで休もうと思うがファーストフード店はどこも満員。なぜか、通路や広場にベンチはない。
そこで、座る所を求めて入ったのはゲームセンター。
普通のテーブルゲームなら2~3HKドル。普段はあまりゲーセンに入らないので知ってるゲームが少ない私は、若者3人が群がる「頭文字D」の後ろに立つ。コイツ、秋名の下りで拓海をちぎりやがった。なかなか、やりこんでるな。
「よし、俺のTRUENO GT-APEXの実力を見せてやる!」
と思ったが、香港までデータカードを持ってきている訳もない。諦めて、なぜか対戦台がひとつも無く1プレイだけの「バーチャファイター」コーナーへ。2HKドルで約15分間の休息時間を得た。
ショッピングセンターは、九龍と広州を結ぶ九廣鐡路の沙田駅ともつながっていて、ホームに入る電車が見える。また、建物の1階の一部がバスターミナルになっており、2階建てバスがひっきりなしに出入りしている。
ショッピングセンター内にある大きなスーパーで、南Y島で飲んだビール「サンミゲル」の8缶セットを購入し、ショッピングセンターをあとにする・・・つもりが、ナント道に迷ってしまった。
指に食い込むビニール袋の重さに耐えつつ、似たような景色が連続するショッピングセンター内を徘徊する・・・と駅の職員通用口のようなところから表に出てしまった。
困った。帰る方角がわからん。
歩き疲れたので、とりあえず街路樹の下のブロック部分に座り込み、しばらく休憩しながら対策を練る。結果、城門河は川幅が広いから、その分だけ街の明かりが弱いはずだろうとの仮説をたて、周囲の見やすい場所まで移動し、そこから眺めてビルの谷間から見える空が暗い方角へと向かうことにした。
午後9時頃、汗びっしょりでホテルに帰還。さいわい仮説は間違ってはいなかった。寒い廊下が、ほてった体に心地よい。やはりT朗は寝ている。ユニットバスにお湯を張り、4日間歩きつかれた足を休める。そして、迎えのバスに乗るまでベットに寝転んで、しばしの休息をとる。
帰国
バスは日付が10月2日に替わったばかりの沙田の街を走り抜けていく。みんな寝起きのために血圧が低いのか、車内に話し声は聞こえずタイヤと路面の摩擦音とエンジン音だけが響いている。道は空いていて、40分程度で空港に到着した。
静まり返った構内には、ベレー帽をかぶり、防弾チョッキにマシンガンを携行した警官(兵士?)が2人巡回していて、その靴音が響いている。その脇を通り、チェックイン、出国手続きを済ませ搭乗口へ向かう。
フライトまでは、あと2時間以上もある。当然、売店は開いていないので時間をつぶす術はなく、深く椅子に腰掛けて寝ることにした。
しかし、沙田の街を歩きまわっていたのは恐らく私くらいで、多くの人はホテルの部屋で4~5時間は睡眠をとっていたのだろう。明るい待合室の下では、他の人達は元気が出て来たらしく、おしゃべりの声が大きくなってくる。うるさくて寝られやしない。
そのうちに腹が減ってきたが、食料が売っている店はない。ホテルでもらったミネラルウォターと、数時間前、その時は営業していた売店で買ったスナックで空腹をしのぐ。沙田で何か買っておけば良かったな。
私の思いが通じたわけではないが、午前2時半頃、サンドイッチと飲み物が配られた。胃袋が満たされると、眠くなってきた。でも、周囲のしゃべり声は相変わらずだ。その場を離れ、寝床を探す。でも、肝心の搭乗案内を聞き逃してしまわない距離を維持して、そこで横になる。
約12時間遅れで、JL732便は香港国際空港を飛び立った。遅延は思わぬハプニングであったが、予定より半日も長く滞在できたと思えば、まあ良しとしよう。
香港時間で午前4時前。機内の照明は消された。とりあえず寝なければ・・・。
午後からは出社が可能だし、そうするつもりでいた。家が空港から遠ければ堂々と休みにするのだが、四街道のアクセスの良さを怨みつつ、目を閉じる・・・。
日本時間午前7時半過ぎ、飛行機は成田に到着。台風一過の成田の空は快晴。気持ちの良い風が吹いていた。
(香港の旅 完)