ルーブル美術館
混雑するメトロに乗って「パレロワイヤル・ミュゼ・デ・ルーブル」で降りる。また長い駅名。「ミュゼ」とはフランス語で美術館と博物館の両方の意味で、つまり英語の「ミュージアムmuseun」のこと。
地上に出ると、そこはルーブル美術館のリシュリー翼のすぐ北側だった。しかし、ここからだと全体像はよくわからない。
ルーブル美術館は、北を上にした地図だと、横に長く伸ばした「コ」の字型をしていて、書き順にそれぞれ「リシュリー翼→シュリー翼→ドノン翼」と名付けられている。
シュリー翼を横切る門をくぐる。門というよりはトンネルのイメージに近い。50m以上はあるだろうか?それに暗い。出口がまぶしく見える。その出口の先には、中庭に建つガラスのピラミッドがその一部を見せている。
宮殿としての役目を終えたルーブルが、美術館として再出発したのは1793年の革命直後、フランスが共和国となったことによる。このガラスのピラミッドはフランス革命200年を記念して作られたもの。
それにしても、考え様によっては随分と大胆なモニュメントだ。中世~近世フランスの代表的な建築物で、且つパリで一番古い美術館の正面中庭に、こんな現代的なガラスのオブジェをおっ建てるとは。1989年完成というからミッテラン大統領の時代。完成に至るまでには、そうとう侃々諤々あったであろうことが想像に難くない。
今は、すっかりパリを代表する観光地となったルーブル美術館のピラミッド。一体、どんな意図で造られたのか?そんなことを考えながら、ピラミッド越しにルーブル美術館を眺める。
真ん中の大きなピラミッド。中空のガラス張りのせいか、その大きさの割には重たい感じがしない。反対側にあるルーブルの建物がガラスを透して見えている。大きなピラミッドは小さなピラミッドを従えている。この小さい方のピラミッドは、単に「小さい」というよりも、地面に埋まった大きなピラミッドが先端付近だけが地上に顔を出している様に見えなくもない。
古代から綿々と培われた歴史や、ピラミッドをはじめとした文化遺産や芸術品。半分埋まったように見えるピラミッドはその象徴なのではないだろうか?
それらを結集させたのがルーブル美術館であり、3世紀にわたる各時代の建築様式を持つルーブル自身もその集大成なのだということを、200年前の姿をそのまま現代に残したルーブル美術館が、これらのピラミッドを抱くように建つことで表現しているのじゃなかろうか?そんな風に感じる。
カルーゼル橋にて
1805年のナポレオンの戦勝を記念して建てられたカルーゼルの凱旋門。ルーブル美術館の西にあるその門をくぐり、チュイルリー公園へ。右手・・・つまり公園の北側、リシュリー翼の西端からすぐの所に小さな観覧車が見える。高さは15mくらい。この観覧車の回転の速いこと速いこと。1周するのに1分もかかっていないのではかろうか?
午前中のバスのなかで現地ガイドさんが言っていたが、この観覧車はやはり速いことで評判だとか。さらに人が乗るカゴ部分も、パイプ状の柵が数本あるだけの剥き出しなので恐いらしい。
視線を正面に戻すと、彼方にエトワールの凱旋門が曇り空の下に霞んで見える。とてもじゃないが、あそこまで歩く元気はないので、すぐに南へと折れてセーヌ川の方へと向かう。
カルーゼル橋のたもとにでる。川に張り出した半月状のテラスがあって、そこからはシテ島を中心にセーヌ川の両岸を見渡せる。右にはオルセー美術館。紺色の屋根についた大きな時計が目印。もともとは鉄道の駅だったというから、その時計にも納得。橋を挟んで左に視線を移すと、大きなドームはフランス学士院の屋根。その近くに架かるのが「芸術橋」。19世紀の初めに出来たパリ初の鉄筋の橋だ。その奥にはシテ島。ノートルダム寺院の2本の塔と、背後のトンガリが見える。その左のさらに高く見えるのが「サント・シャペル」の塔。
「写真撮りましょうか?」
と声を掛けてくれたのは、同じテラスでスケッチをしていた初老の男性。目深にかぶった帽子の奥の顔が日本人っぽいな?とは思っていたのだが、パリの街角でひとり絵を描く姿が日本人らしからぬ雰囲気を漂わせていたのだ。
せっかくなのでお言葉に甘えて撮ってもらう。
やはり絵を描かれるだけのことはあって構図にはこだわりがあるようで、カメラを構えたまま前にいったり後ろへ下がったり。どうやらテラスの端っこで描いた絵と違って、手前の柵が邪魔するのが納得できず苦労しているらしい。それでも、膝下を切った人物を若干左に寄せ、フランス学士院のドーム~ノートルダム寺院~サント・チャペルまで綺麗に収めるあたりはなかなか。さらには、「ちょっと待って。いま船が来るから」と橋の下をくぐりつつある遊覧船を待ち構えるというこだわりはさすが。
お言葉に甘えたついでに、絵を見せて貰う。スケッチ帳には、いま目の前にあるセーヌ川の風景が描かれている。ここではデッサンだけして、あとで水彩するらしい。ペラペラとめくるスケッチブックには、すでに色が施されたフランス各地の風景が描かれていた。ゴッホの「跳ね橋」のモデルになった橋の絵もある(すみません。他にも色々みせてもらいましたが、コレだけしか思い出せない・・・)。
え?船ですと?
聞けば、フランスには船で来たそうで。英仏海峡に面したルアーブルで下船し、パリへは列車で来たのだとのこと。で、その船は一体どこから来たのかと問うと、なんと、日本発の世界一周の旅!寄港したルアーブルで一旦船を離れ、10日程のちにノルウェーのどこだかの港で再び乗船するらしい。
う~む。お金持ちだと、そんなステキな旅ができるんですか!
でも、そんなに金持ちには見えないんですけど(もちろん心の中で)。1人で世界一周クルーズですか?奥さんは?なぜ?いくらかかるの?(←すべて心の叫び)これらの疑問を解決すべく私の口から出た言葉はこんな間の抜けた問いだった。
「それって、どんな船なんですか?」
老紳士が、この愚かな問いの奥に潜む真意を見透かしたのか、それともバカを相手にしても仕方がないと悟ったのかは判らないが、おだやかに微笑みつつ端的に結論だけ言った。
「知ってるかな?ピースボート」
ピースボートという単語に聞き覚えはあったが、それが何だったかとっさには思い出せない。脳裏に一瞬、捕鯨船に体当たりする船の姿が浮かぶ。バカ!違うぞ、それはグリーンピース!
ふぅ・・・あやうく口に出すところだった。そういえば、いつも行く床屋にポスターが貼られていた気がする。
芸術橋の驚き
老紳士に別れを告げてセーヌ川の右岸を東へ歩く。先ほどカルーゼル橋から見えていたパリ初の鉄製の橋「芸術橋(ポン・テ・ザール)」にでる。右岸はルーブル美術館、左岸はカルチェ・ラタンと呼ばれる大学などが集まる文京地区だから、橋の名前の由来はこのへんに因るのだろう。
骨組みは鉄製だが床は木製で、歩行者専用となっている。さっきの老紳士がまだその場所にいるかどうか、カルーゼル橋のたもとを凝視するが、遠過ぎてよく分からない。
その芸術橋の木張りの幅10m程の床板を歩く。そこで驚きの光景を目にしてしまった。
足元にはセーヌ川。観光船がくぐり抜けていく。対岸方向真正面には、フランス学士院のドーム。まったく、どのワンシーンを切り取っても絵になる街だ。でも、もうこれくらいでは驚かない。
目を奪われたのは、木の板にじかに座り込み、或いは欄干にもたれて談笑している数組のグループ。学生なのだろうか?みんな若い。そして彼らが揃いも揃ってワインボトルを携えている。さすがはパリっ子。やることが違う。
でも、本当に驚いたのは「橋の上でワインを飲んでいること」ではない。
そこに漂う雰囲気というか、彼らが放つムードというか・・・。日本で若者がこれをやっていたら、バカにしか見えない。多くの人は、それを見たら顔をしかめるだろう。それが辛うじて許されるのは花見の時期くらいだ。
それに比べて、ここにいるパリジャン&パリジェンヌだと、なんとも優雅に見える。なかでも、右岸のたもとに近い段差に腰掛けている女性2人。ワインを片手に微笑みながら談笑する姿の艶やかさには思わず見とれてしまった。芸術橋の上だけに、やっぱり芸術について語らっているのだろうか?勝手にそんな想像がふくらむ。
私は日本人であることを誇りに思っている。その一方で、日本人が西洋人にビジュアルで敵わないのはある程度しかたがないとも思っている。
しかし、結果として受ける圧倒的な印象の違いはなんなのだろう。驚いたのはその隔たりの存在。そして、もうひとつ驚いたことがある。
「若さってうらやましい」
ここ芸術橋でワイン片手に語り合う若者達を前にして、青春という私にとってもはや帰らぬものに対する憧れを抱いてしまったこと。その感情を抱いてしまった事実は、驚きというよりはむしろショックに近かった。
気を取り直して右岸をさらに東へ進む。だんだんとシテ島が近づいてくる。
このあたりは、ブキニストと呼ばれる露店の古本市が建ち並ぶエリア・・・の筈なのだが、今日は朝からにわか雨が降っているからか、それともすでに時間が遅いためか、恐らくその両方だが一軒もやっていない。替わりに、商売道具を収めた緑色の箱がまるで棺桶のように川沿いの道に並んでいる。
シテ島の北岸に双子の見える尖がり屋根はコンシュルジュリー。現在はフランス最高裁判所の建物だが、フランス革命時のここは牢獄で、ルイ16世の妃マリーアントワネットが断頭台の露と消えるまでのあいだ幽閉されていた場所。
マリーアントワネットの最後の言葉は、「ごめんあそばせ」だったと今日の現地ガイドさん説明にあった。断頭台へ向かう際に兵士の足を踏んでしまったときに発したとのこと。
それにしても、かつての牢獄を裁判所として使うというのは、なんと大胆な発想だろう。普通はそんなところで裁判を受けたくない。葬儀屋だった建物が、ある日、病院に変わるようなものだ。そんな病院にかかりたくない。
ボツポツと小雨が降ってきた。腹も減った。時刻は午後8時を回っている。夕食にしよう。
シテ島の北側にある「シャトレ」駅からメトロに乗り、凱旋門とコンコルド広場のちょうど中間あたりにある「フランクリン・ルーズベルト」駅で降りる。雨上がりのシャンゼリゼの広い歩道を凱旋門方向に歩きながら、良さそうな店を物色する。
昨晩は雨が結構降っていたので、どの店もオープンテラスは休業状態だったが、今日は大丈夫のようだ。ここシャンゼリゼではオープンテラスも2種類あって、店の建物側から出っ張ったものと、歩行者のスペースを隔てた車道の側にテントやパラソルを設けたテラスとがある。シャンゼリゼの華やかな雰囲気の理由のひとつは、この広い歩道にあるのだろう。そうじゃなければ、オープンテラスなんて歩く邪魔になるだけだが、広さのおかげで歩行者天国を散歩しているような感覚が味わえる。
シャンゼリゼのカフェ
我々が探す「良さそうな店」の基準を簡単に言えば、入りやすくて、空いていて、安くておいしそうなところ。何の予備知識もないのに都合よくそんな店が見つかるのか?
せっかくならオープンテラスにしよう。オープンテラスで入りにくい店なんて普通はないので、これはどの店もなんなくクリア。今日は比較的涼しいのと、時折、小雨も交じることから店内の人気が高いらしく、テラスはどこも空いているので、これもクリア。
「安くておいしい」は難しい。道路側のテラスであっても、どの店も簡単な入口っぽいものがあって、メニューがおかれている。でも、フランス語のメニューが読めないんだよね~。
これじゃあ、高いか安いか、ましては味なぞ判るはずもなし。結局、店の看板から「レストラン」か「カフェ」か「ブラッスリー」か「ビストロ」かを見分けてから、そこで食べている人を観察して選ぶことにする。
とかなんとか、もっともらしい事を言っておきながら、実は100mも歩かないうちに、とあるカフェに決めてしまった。
ジャン・アレジ似のギャルソンが、水兵のような青と白のストライプのシャツを着ている。
『でぶや<DEBUYA>』のマッスルが着ているようなアレだ。でも、マッスルよりはかなり格好イイ。テラスの上を被うテントも同じ配色になっている。
彼が持ってきてくれた英語のメニューを見て、フレンチビール、サラダ、ハム類とチーズの盛り合わせをオーダー。どの店だろうと大差ない無難なメニューになってしまった・・・。
でも、それよりも「シャンゼリゼのカフェ」っていうその事実が大事。それだけでも充分満足できる。カンパ~イ!
やはりこっちの盛り付けはボリュームがある。これに加えて、小さなバスケットいっぱいのパンがつく。これは無料。このパンが実に美味しい。ついつい、パクパクいってしまう。そのせいもあるのだが、オーダーした2品をふたりでシェアしてちょうど良い量。
黄昏てゆくシャンゼリゼ通り。その排気ガス漂うなか、グラスを傾ける。並木の向こうに凱旋門の端っこが見えている。いい気分。酒も進む。
「ばん・るーじゅ、しるぶぷれ(赤ワインください)」
あいさつと単語はなるべくフランス語を使おうと努力してみる。テーブルの傍らには「ゆびさしフランス語」の本。結果、英単語とフランス単語のミックスになるのだが、なんとかやりとりが出来るもの。
もっとも、カフェに来てそんなに難しいやりとりなどありはしない。でも、そんな日本人の努力を認めてくれたのか、それとも滑稽に見えるのか判らないが、アレジ似のギャルソン、なかなか愛想よくしてくれるので楽しい時間が過ごすことができた。
昨晩に比べると体力に余裕はあるが、今日は早目にあがることにする。そのままシャンゼリゼの凱旋門方向に歩き、シャルル・ドゴール・エトワール駅まで行き、メトロに乗る。
午後10時をまわっているとは言え、意外に空いているメトロの車内。むしろ、上り電車の方が混んでいるくらい。バカンスに入ったパリの夜は「まだこれから」ということなのかも知れない。昨日聞いた現地ガイドさんのアドバイスに従って、ラデファンスのひとつ手前の「エスプラナード・ド・ラデファンス」駅で降りる。
このあたりは道路の上を通る空中歩道が四通八達していて、周囲のオフィスビルやマンションの各ブロックまで、車道を横切らずにいけるようになっている。
上野駅の浅草口側にあるテラスや歩道橋が、そのまま丸井や国立博物館はもちろん、合羽橋道具街や秋葉原の石丸電気まで繋がっているような感じ。
「駅を出たら青っぽいガラス張りのオフィスビルを突っ切って、その先にある壁に紫色のタイルが貼られたエレベーターから地上に降りる。そこから徒歩5分くらいで、交差点を2回曲がればホテル」
これが現地ガイドさんに聞いた道順だった。今朝も夕方もバスの車窓から確認したから間違うはずはない。
甘かった。
それは明るい昼間のハナシ。街灯の明かりのなかでは、ガラス張りのビルはいくつもあって、どれが「青っぽいガラス張りビル」かなんて判らない。昼間はあれほど目立っていた紫色のタイルのエレベーターもどこにあるやら皆目見当もつかない。当然のごとく道に迷ってしまった。
適当なエレベーターで地上に降りて、暗いオフィス街をあっちへ行ったり、こっちへ戻ったり。そのうちトイレにも行きたくなってきた(しかも大)。最悪・・・。
15分くらいグルグルとさまよい歩いただろうか?
ひょっこりと紫色のエレベーターを見上げるところにでた。そこからは判りやすい。小さなオフィスビルの並ぶ緩やかな坂を登っていく。真後ろにはエッフェル塔が小さく光って見えている。ここはバスで何度も通った道。
やがて、ホテルに隣接するショピングモールとの裏側にさしかかる。このショピングモールも午後7時くらいには閉じてしまうので、いまは暗くひっそりとしている。これに沿って進むと右手にホテルに至る。あ~トイレ行きたい!