まずはロンドン
パソコンと睨めっこしてチケットを探すゴールデンウィーク。欧州系航空会社でブリティッシュエアーだけに空席が残っていたのは、やはり先日あったテロの影響だろうか?
格別に高くもないが、決して安くもない。だが、迷っている時間はなさそうだったので、往路はヒースロー経由でチューリヒ、復路はミュンヘンから再びヒースローを経由するルートを押さえた。
往路のヒースローでのトランジットで約12時間ある。
こりゃいい。ロンドンには、あこのかつてのバイト仲間であるR美がいる。彼女は2年前から語学留学しているのだ。彼女にロンドンの案内を頼もう。ちなみに、少し前に放射性物質による暗殺で話題になった元KGBリトビネンコ氏と同じ学校だったそうな。
そんな訳で、2007年8月12日の午後1時20分、BA08便は猛暑の成田空港を飛び立った。座席はビジネスクラスとの境目のついたてのうしろ。足元が広くてラッキー。
離陸後、1回目の食事を摂ったら暇つぶしにゲームでも・・・と思ったら、この便にはない。
では映画でも・・・。
こちらは一見すると、えらくたくさんのプログラムがあるようだが日本語吹き替え版はたったの4つしかない。「ファインディング・ニモ」と「シュレックⅡ」、それと聞いたことのないコメディー、あとは怪しげなサスペンス。
日本路線なのにこれだけしか選択肢がないとは・・・。「ニモ」と「シュレック」は子供向けだしな。しかたなく「BLADES of GLORY」という謎のコメディーを選択。全く期待していなかったのだが、これが予想外に面白い。
2人のフィギュアスケート選手が主役。ひとりは「シャズ・マイケルマイルズ」なるオヤジ。もうひとりは「ジミー・マカロイ」なる青年。このふたりが男子同士でペアを組み、世界の頂点を目指すというあまりにバカバカしいストーリー。
B級ギャグと下ネタの連発で、のっけから聖火で大会マスコットが炎上。乳は揉む、股間は蹴る。ゲロは吐くし、トイレットペーパーは食べる。首が飛んだかと思えば、最後はふたりが空に飛んでいく・・・。
他に興味をそそられる映画も無かったので、結局これを3回も見てしまった。題名の意味が「栄光のブレード(スケート靴の歯の部分)」だと気付いたのは3回目のときだった。
さて、下界は雲が多く、ツンドラの大地も北極海もバルト海もほとんど見えないまま、定刻より早くロンドン・ヒースロー空港着。ヒースロー空港には4つのターミナルがあり、我々が降り立ったのは第1ターミナル。小さなターミナルで出口は1箇所しかないのだが、出迎えに来ているはずのR美の姿は見えない。
こんなときのために・・・いや、この時のためだけに持ってきたといっても過言でない携帯電話でR美を呼び出す。
「どこ?どこ?」
電話を片手に目の前を通過していくR美を呼び止め、我々は無事合流を果たした。彼女の隣にスラッとした青年が佇んでいる。彼は韓国人のヨンギ。R美のスクールメイトで、「ぜひ一緒に」とせがんでついてきたそうだ。R美の彼氏ではないらしい。
まず、第4ターミナルを目指す。明日朝のチューリヒ行きの便が出るのが第4ターミナルなので、スーツケースをそこの手荷物預かり所に運ぶのだ。
ヨンギは面倒見の良い青年で、我々の荷物を進んで持ってくれる。儒教の国だから年長者を大事にしてくれるのかも知れない。いずれにしても、私より10歳近くも若くて体力もありそうなので遠慮なく好意に甘えることにする。
第1・2・3ターミナル間は歩いて移動出来るのに、第4ターミナルだけは地下鉄でないと行けないことが判明。かなり時間はかかったが、第4ターミナルの手荷物預かり所に到着。
しかし、スーツケースの中に入れた登山用のストックは危険物扱いになるので預れないとのこと。どうやら、テロの影響でセキュリティーが厳しくなっているらしい。我々だけだったらここでフリーズしてしまうところだが、英語が堪能な2人が交渉してくれたおかげで、特別に預かってくれることになった。
地下鉄に乗ってロンドン市街を目指す。
ピカデリー線のグリーンパーク駅で降りて地上に出る。そこは、いきなりロンドン。目の前を黒いロンドンタクシーが走り抜けて行く。すげー!
でも、市民のふたりは我々の感動に気が付かないのか、停車中の赤い二階建てバスの合間を抜けて道路を横断している。待ってくれ~。
道を渡ったそこはグリーンパークと呼ばれる大きな公園。そこは広々とした芝生の広場がひろがるロンドン市民憩いの場。そこかしこに座って、夏の夕方を思い思いに過ごしている。居心地の良さそうなデッキチェアは実は巧妙な罠で、うっかり座ろうものなら、どこかに潜んでいた管理者が現れて、不当な金額の使用料を要求されるらしい。
公園を横切ってロータリーに出る。右手の柵の向こうに見える大きいながらも地味な建物は・・・バッキンガム宮殿?
これが?
国民に愛される英国王室は、言われなければそれが大英帝国元首の住居とは思えないほど割と普通の建物だった。 バッキンガム宮殿の正面はロータリーになっていて、その中央には黄金に輝くヴィクトリア女王記念碑。 その向こうのはるか先に小さく見える尖った時計搭。こちらは聞くまでもなく分かるビックベン。
バッキンガム宮殿から北へ伸びる大通りがザ・マル。大きなプラタナス並木の下をR美に導かれるままに歩く。通りはバッキンガム宮殿とトラファルガー広場を結んでいる。道路の右側はセント・ジェームスパーク。夕暮れが迫り、深い木々の向こうはよく見えない。
せっかくロンドンに来たのだから、まずは本場のパブの雰囲気を味わってみたい・・・と事前にリクエストしておいたので、二階建てバスがひっきりなしに行き来するトラファルガー広場を抜け、南へと伸びるホワイトホール通りを少し歩いたところにあるパブに我々を案内してくれるR美。
パブとビッグベン
店内は想像していたより賑やかだった。80年代のロックやポップスが流れ、人々の声がワイワイとしている。木製の床や手すりは年季が入ってツルツルに磨かれ、壁の絵や小物が素敵な雰囲気を演出してくれている。
席をキープしたらカウンターでオーダー。あこと私はギネスを、ロンドン市民のふたりはピルス。さらに、軽い食事も摂ろうとフィッシュ&チップスをオーダーするが、40分もかかるというのであきらめる。週末なので混んでいるらしい。
ホイ、乾杯。
うんめ~!この瞬間のために機内でのビール摂取を控えてきたのだ。その甲斐があった。
R美とヨンギの会話はすべて英語。ヨンギは日本語のヒヤリングがほんの少し出来るようだが、話す方は出来ないので、我々と彼とのコミュニケーションはもっぱらR美に通訳をお願いする。
しかし、時間の経過と共に徐々に調子が出てくる私のカタコト英語。空きっ腹にアルコールが入り、カタコト英語に対する恥じらいが急激に失われていくダメ日本人であった。
私より10歳ほど若いヨンギは、ここに来る前は世界規模で展開する韓国の財閥系企業S社のビジネスマンだったそうだ。ここで英語を身につけたら、世界を飛び回るビジネスマンになるのだろうか?
独身だが既に一戸建ての家持ち。お坊ちゃんなのだ。徴兵制により兵役に行っていたこともあり、38度線で国境警備をしていたらしい。引き締まった精悍な体躯はそのせいかも知れない。曰く「スナイパー」だったそうだが、本当かな?
ほろ酔い気分でホワイトホール通りを南へ歩いている。ヨンギはあまり酒が強くないらしく、少し顔が赤い。R美は酒豪なので変化なし。テンションはもともと高い。
あたりは官庁街で、首相官邸やら外務省やらの建物が並んでいる。休日の夜なので窓に明かりはなく、淡いライトアップに近世の石造りの建物がぼんやりと浮かび上がっている。10分ほど歩いたのち左に折れると、そこは聳え立つビッグベンの真下だった。
びっくり!そして感激!
ビッグベンと突然のご対面になるようなルートをR美がわざわざ演出してくれたのだろう。そして、ビッグベンとの対面に感激している人物が我々夫婦以外にもう一人いた。ヨンギだ。
驚いたことにロンドン市民である彼も、間近でビッグベンを見るのは初めてだそうだ。
ひたすら勉学に励み、バイトをして学費を稼ぐ日々を送っていたヨンギ。韓国のお坊ちゃんがこうやって努力している一方で、貧乏サラリーマン家庭の我々がこんな風にお気楽に旅行し、フリーターのR美が「語学留学」している。
日本の恵まれた環境に感謝する一方で、国際競争でアジア諸国に追い越される姿を思い浮かべたりする。
そんな私の心の内を知る由もないヨンギは、私のデジカメを奪いとり、持ち前のサービス精神で我々やビッグベンの写真を撮りまくっている。デジカメの扱いに馴れない彼のショットは手ブレしまくりだったが、彼の好意は何物にも替え難いし、彼の母国と我が日本国が、時に歴史認識や経済問題で揉めていることなど、なんだか別世界のことの様に感じた。
タワーブリッジ開いた
3人が写真を撮る間にR美がコンビニでワインの小ビンとスナック菓子を買ってきた。さっきのバブで食事が出来なかったので、テムズ川でも見ながら乾杯しようという目論みでいる。
ビッグベンの脇を歩きテムズ川に架かるウェストミュンスター橋へ。対岸には大きな観覧車「BAロンドンアイ」。黒い川面にその光が映っている。
行き交う観光客で賑わう橋を渡り、テムズ河畔のプロムナードに下りる。あたりはショッピングモールや飲食店街になっていて、ロンドンっ子や観光客でごった返している。
なんじゃこりゃ?
川岸の欄干の上やベンチの周辺、植え込みの縁やモニュメントの周りには、莫大な量のファーストフードの紙コップや袋、ペットボトルなどが打ち捨ててある。歩くのに不便はなく、悪臭がする訳ではないのでじきに慣れるが、クールなロンドン市民にはこうゆう一面もあるのかと驚かされる。
時刻は午後10時。ロンドンビギナーとしてはバッキンガム宮殿、ビックベンと来たら、あと残るのはタワーブリッジ。ここから約4kmもあって少し遠いが、このまま川岸を歩いていくことにする。
BAロンドンアイを過ぎるとやや人は減ったが、しばらく行ってウォータールー橋に近付くと再び大賑わい。大道芸人がいたり、小さなイベントなどもやっている。R美がバイトしている「ヤキトリ・レストラン」もこのあたりにあるそうだ。
一旦、川沿いを離れて路地を歩く。いくつも通りや橋をくぐり、だんだんと疲労を感じ始めた頃、ロンドン橋が現れる。歌は有名だが、宵闇に浮かぶその姿は割と普通な感じ。
ロンドン橋の少し先には英国海軍軽巡洋艦ベルファスト号が停泊している。主砲の3連装砲×4基が空を睨み、迷彩塗装が精悍な印象。ここまで来ると、もうタワーブリッジは目の前だった。
午後11時過ぎ、タワーブリッジを眺める公園に到着。いや~お疲れ。
ずいぶん歩いたが、トランジットの合間にロンドンの代表的な観光スポットを一通り見ることができた。40mある2本のタワーが我々のゴールポストに見える。エスコートの2人に感謝。
川岸の公園のベンチとも階段ともいえない段差に座り、さきほどR美が買って来てくれたワインの小瓶4つと、ビネガー味のスナックを広げる。ポンドはメチャ高で、きっとこれだけで3~4千円はした違いない。
まあ~、今回はゲストとして遠慮なく好意に甘えることにする。今度、R美が日本に一時帰国した際におごってあげればよかろう。
タワーブリッジを眺めつつ、座り込んで酒を飲み、タバコを吸い、写真を撮り、笑い声をたてる4人のアジア人。
完全に浮くかと思いきや、似た様なグループは他にも結構いるし、周囲にちらばる多くのゴミはその宴のあとだろう。
もっとも、日本人の我々(+韓国人1名)はしっかりとゴミは持って帰る。しかし、手巻きタバコをやっているヨンギだけは若干怪しげな雰囲気を放っている。ロンドンではタバコが高いので少しでも節約するためらしいのだが、その作業風景は限りなくクスリの売人に近い。そんな彼を、タワーブリッジをバックに撮影するべく、ファインダーを覗く。そして気付いた。
「あれ?橋あがってんじゃん!」
慌てて川岸に駆け寄る4人。橋げたの上がった優雅な姿。その下を3隻の遊覧船が立て続けに通過していく。最後の1隻が通過すると、たちまち橋げたは降下し始め、20秒足らずで元の姿に戻ってしまった。すぐに車の行き来が再開された。ガイドブックによると、週に3回くらいしか開閉しないらしい。幸運にもその瞬間に遭遇。ロンドン悔いなし!
早足でタワーブリッジを渡る。地下鉄の終電時間が迫って来ていた。
タワーヒル駅に到着。普通ならここからディストリクト線に乗り、どこかでピカデリー線に乗り換えてヒースロー空港まで行くのだが、R美とヨンギが駅員とやりとりした結果、どうやらそのルートはすでに終電が出てしまっており、他のルートを選ばないといけないらしい。
ま~、よく判らんが、ここは2人に身を委ねよう。小走りに階段を降り、電車に飛び乗る。どこぞの駅で一旦降りて、またまた小走りに地下道を抜け、次の電車に。さらにもう一度乗り換えのために電車を降りる。ここで乗り継ぎがないとアウトなのだが・・・。
幸い終電には間に合った。しかも、あと15分もある。
やれやれ助かった。思ったよりも混雑しているピカデリー線の終電車に乗り、ヒースロー空港を目指す。R美とヨンギは途中駅で下車。
ありがとう!さようなら!
ヒースロー空港の地下鉄駅は、「ターミナル1・2・3・駅」と「ターミナル4駅」のふたつがあるのだが、ピカデリー線の終電車はどういう訳かターミナル1・2・3・駅止まりだった。これは計算外。
明日のチューリヒ行きBA710便は午前7時10分発。果たして始発電車は何時だろう?このご時勢だからセキュリティー厳しいだろうし、一応、国際線だから2時間前には行動開始したいな。そうそう、手荷物も引き取りに行かなければならないし。
ともあれ、まずは寝床を確保せねば。
しかし、寝床にしようと思っていた待合室の長椅子にはすべて手すりがついており、寝転がるのは到底無理。もともと、寝転がることを妨げる目的で手すりがあるのかもしれない。
とりあえず座ってみる。樹脂製なので硬い。それに背もたれも低い。寝転がるように浅く腰掛けてみるが、お尻が滑るし首が痛い。他にも宿泊組みは多数いるが、ごく一部にシュラフやマットをもっている人以外は、苦しい姿勢で長椅子もたれて目をつぶっている。果たして眠っているのか?厳しい夜になりそうだ。
照明がまぶしい。それになんだが肌寒い。無人のエスカレターが動く音と、さかんに行き来する警備員の足音がやけに大きく感じる。