給油
進行方向の左側、荒野のなかに突如幾つかの小さな池が現れた。オアシスだ。周囲には緑が生い茂り、水面に反射する太陽の光がキラキラとまぶしい。車を停めてみたかったが、先導している彼がいるのでそれは出来ない。
やがて、道の左側にガソリンスタンドとそれに併設された小さな店が現れた。地図を見ると、ここはショション Shoshoneという集落らしい。
スタンドはセルフ。給油口の場所を確認しようと、スタンドの脇に車を停め、ボディを見回す。すると、給油を終えて走り出そうとしている車の窓から「どこまで行くんだ?」と話し掛けてくる初老の黒人男性。
「デスバレー」
「What?」
「デスバレー!」
「?」
なんでこんな単語が理解してもらえないのだろう?
「デスバレィ」
「OK!このまま真直ぐだ!」
ようやく通じた。このチャンスを逃す手はない。私は東洋人として精一杯の笑顔とジャスチャー、そして英単語で彼に話し掛ける。
「私はアメリカをドライブするのは今日が初めてです」
「Oh!」
「そして、給油するのも初めてです」
「Oh!」
「どうか、私に給油の仕方を教えてください」
「OK!OK!」
どうやら文章の方が通じやすいようだ。映画リーサル・ウェポンに出てくるダニー・グローバー似の彼。とても親切で、店内での精算が終わるまでいろいろと面倒を見てくれた(この当時まだ日本でセルフのGSは稀で、私は給油方法が分からなかったのだ)。
店内には雑貨や食料品が置かれている。また、お土産としてインディオのアクセサリーなどもある。ここに日本人が来るのは珍しいのだろう。レジのオバさんの好奇心に満ちた目でレジから身を乗り出すようにこちらを見ている。ここで、再び飲料を補給。
「アリガート」
レジのオバさんは笑顔とカタコトの日本語で送り出してくれた。山越えでずいぶん時間をロスしてしまったが、いよいよデスバレーに突入だ。
バッド・ウォーター
ショションをあとにして129号線を北上。その先で左折して178号線に入る。車はゴロゴロと岩が転がる荒涼とした景色の中を走っていく。
ここまでに至る途中にずいぶん回り道をしたが、ついにデスバレー国立公園に突入。右手には山が迫っている。左手には狭いところでも20kmあるという谷=valleyと呼ぶにはあまりに広い荒野。
南北250kmあるというデスバレーを、車はひたすら北上。後部座席の5人はひたすら寝ている。すれ違う車は少ない。
ショションのガソリンスタンドを出てから約1時間。谷の向こうの方に遠く見えていた水の流れの様に続く白い帯。その白色が一層濃くなりって道の際へと迫って来るとそこがバッドウォーター。海抜マイナス85mアメリカ大陸の最低地点。その白い帯状の模様は、暑さで水分が蒸発したあとに塩分だけを残した川の軌跡なのだ。
褐色の台地。そこに白く光る塩の層が延びている。
地面をなぞった指を舐めると確かに塩辛い。白い帯と周囲の茶色い大地との境界線付近には僅かな水たまりと、塩の層を10cm位掘ると染み出てくる水が、ここが川であることを辛うじて示している。
いや、ここは最低地点だから、川の終末点と言った方が的確かも知れない。
ジェットエンジンの排気かと思うような熱風が西から絶え間なく吹いてくる。呼吸をするのが不快なくらいの暑さ。太平洋から吹いてくる風は山を越える際にフェーン現象で熱風に変わり、この谷へと吹き降ろすのだろう。
遥か遠方に見える山陰。見渡す限り広がる大地は、遠くはうっすらと茶色く見え、周囲は白と灰色。背後には赤い岩山が迫っている。熱い西風と容赦なく降り注ぐ太陽のもと、暑さを遮るものは全くない。公式最高気温は54℃だというから、今も軽く40℃は超えているかもしれない。開拓時代、西部へと向かう人達にとって、ここはまさに 死の谷であったに違いない。
足の裏に伝わってくる塩の結晶のジャリジャリした感触。照り返す白い地面に映った自分の影。自分の発した声が瞬時にかき消されしまう様な感覚は、音もなく体の周囲を流れる熱風のせいか?
目の前の見えている景色や、自分の動作や五感までもが、どこか違う惑星での体験の様に感じてしまう。全てがボンヤリとした感じなのだ。あれ?これって軽い熱中症かも?
ナチュラル・ブリッジ
再び車を走らせデスバレーを北上。じきにNaturel Bridgeの看板が現れる。ここを右折して脇道へ入り、緩やかながら小さな凹凸の続くダートを登っていく。エクスプローラーのサスペンションはこの凸凹を見事に吸収してスムーズな走り。
やがて、前方を恐ろしく低速で走っているセダンに追いつく。スピードが遅すぎて、かえって路面のデコボコを直接拾ってしまいひどく乗り心地が悪い。申し訳ないがアクセルを踏み込み、コレを追い抜く。こちらを見上げるセダンのアラブ系男性4名。
バックミラーに映る彼らは、たちまちエクスプローラーの巻き上げる砂ぼこりの先に消え去った。さすがはエクスプローラー。
やがて、平坦な小高い丘の上の空地へと至ると、そこが駐車場。ポツンと簡易トイレがあるだけだが、バッドウォーターを見下ろす展望台としては悪くない。赤い岩盤の上に立ち、湖の様に広がる白い大地を見下ろす。谷からの熱風は相変わらず。足もとの岩からも放射熱が上がってくる。
ナチュラルブリッジとは、自然が作り出した谷に架かる橋状の岩のことらしい。周囲を見まわすが、それらしきものは見えない。駐車場があるくらいだから、ここから少し歩くのだろう。
ここで、T谷が軽い熱中症で具合が悪くなりダウン。出発から4リットル近くは水分を摂取している私でさえトイレは2回だけ。しかも、おしるし程度しか排泄していない。
一方、彼女達はせいぜいペットボトルで2~3本だから、いいとこ1.5リットル。水分補給が不充分だったのだろう。でも、トイレの期待できない僻地のドライブ、おまけにこの暑さ・・・。女性陣には少々気の毒だったかもしれない。
熱射病のT谷を置いてナチュラルブリッジを見に行ける訳もない。ようやく追いついてきた砂ぼこりまみれの車からアラブ人男性達が降りてきたのを機に、我々はその場を立ち去った。
ダンテス・ビュー
こんなときのために・・・と、ベガスのセブンイレブンで買っておいたロックアイス。もう、限りなく氷水になっていたが、こいつをT谷に与え、座席の配置を日陰になる助手席に移す。
さらにエアコン設定温度を下げて、再び北上開始。幸い大したことはなさそうだ。
20分程で190号線に突き当たる。この辺りがファナイス・クリーク。デスバレー観光の基地になっていて宿泊施設の様な建物も見える。地図を見ると、近くに飛行場もあるようだ。
しかし、ここには立ち寄らずに右折して190号線を南下。さらに右折して190号線をそれて南下を続ける。曲がりくねった舗装された山道を登り、標高1,699mのダンテス・ビューに到着。そこは、殺風景な山の頂きにある大きな駐車場。
断崖の際に立つと、目の前に飛び込んでくる凄みさえ感じさせるような雄大な景色。そこには、とてつもなく壮大なデスバレーが海原のように広がっている。
その谷に流れ込む川と湖の痕跡が白い塩の帯となって、ハケで引いたように少しぼやけた輪郭を描いている。谷底を走っていた時には判らなかったが、塩の結晶はとても広範囲に伸びている。
時刻は午後6時を回っていたが太陽は高い。照りつける日差しはまだ強烈。とは言っても、ここの標高は約1,700mもある。谷から吹き上げてくる風は、ラスベガスに来てから初めて「涼しい」という感覚を与えてくれた。
帰還
ダンテス・ビューからラスベガスまでの道のりは約150マイル。3時間程のドライブになりそうだ。再び190号線に戻り東進。さらに左折して127号線を北上する。
どこまでも続く真っ直ぐな道は、やがて州界を越えてネバダ州に入る。乾いた大地がだんだんと夕闇の底へと沈んで行く。一方、澄み切った西の空はいつまでも明るさを残していて、午後8時を過ぎても、上空高く雲が流れて行くのが見える。
95号線に入り、ひたすらラスベガスを目指す。やがて周囲は真っ暗な闇に包まれる。進行方向の左手、95号線の北側の小さな明かりひとつ見えない暗い空間の先には、ネバダ州の核実験場が広がっているらしい。
見えるのは時折すれ違う対向車と、バックミラーの先、遥か後方をもう何10分も前から等間隔でついて来るヘッドライトの光だけ。気が付くと、その後続車のかすかな明かりのなか、ルームミラーに浮かび上がる後部座席5人の頭のシルエット。昼間の移動中のほとんどは、がっくりと首を垂れて熟睡していたくせに、今はみんなシャンと起きて、前方を見つめているのだ・・・。
「ほらみろ、時差ボケが治ってない」
長い長い暗闇を抜け、進行方向に光る砂粒を広げたようなラスベガスの街が見えてきた。眩しいばかりの街並がだんだんと視野いっぱいに拡がってくる。時刻は午後10時。長かった砂漠の1日もゴール間近。生きて還ってこれて良かった・・・。
ストリップのホテル街の南端にあるMGMグランドまで送って欲しいという後部座席の5人。そこで、ハイウェイを下りてストリップを南進するが、大渋滞でほとんど進まない。見ると、進行方向右側シーザーズ・パレスの脇から盛大に花火が打ち上げられている。渋滞はこのためだ。
我々の生還を寿ぐ(?)にふさわしい花火による出迎え。実際は、アメリカ独立記念日を祝うものらしい。
この花火がパンパじゃない。無秩序と思われるくらいに、ただひたすらにスターマインがドンパチ打ち上げられている。シーザーズ・パレスはもうもうとした煙に包まれている。我々も、ほとんど進まない渋滞の中、トレジャーアイランドの「海賊ショー」、ミラージュの「火山噴火ショー」、ベラッジオの「噴水」などを横目に見ながら、最後の1発まで花火を楽む事が出来た。
花火が終わると周囲は拍手と歓声、クラクションの嵐。私も控え目にクラクションを鳴らすこと数回、独立記念日を多数のアメリカ国民と共に祝う。
5人をMGMグランドで降ろし、レンタカーの返却のためハラーズの駐車場を目指す。ストリップの渋滞はまだ解消されておらず、駐車場に着いたのは夜中の12時近くになってしまった。
あとは車を停め、キーを営業所のポストに返すだけ。ところが週末の夜のためか、駐車場は一杯。レンタカー専用エリアも、一般車と思われる車輛(アメリカのレンタカーは日本と違ってナンバーで見分けがつかない)で占領されている。
やむなく屋上のすみっこ、駐車枠ではないところに空きスペースを見つけ、ここに停めた。
あとは、指定場所では無くここに停めた事をどうやってハーツに伝えるか?明日は早朝からツアーだから、ここに来る暇はない。そこで、置き手紙を書くことにした。
「指定場所に停めようとしたけど、場所がなかったので屋上に停めました。ごめんなさい」という内容のつもりだったが、恐らくセイン・カミュも大爆笑の英文だったに違いない。これに、駐車位置を示した地図を書き、キーと一緒にポストに入れた。
タクシーでダウンタウンを目指し、ユニオン・パシフィック鉄道のラスベガス駅で降りる。天井に210万個の電球を配したアーケード街フリーモント通りとその周辺は、かつてラスベガスの中心街であったところ。ストリップ周辺のドデカくてド派手なホテル比べると地味さは否めない。
しかし、ちょっと古い感じのカジノのネオンは、むしろ「ラスベガスらしさ」の様なモノを感じるし、周囲の街並みは古き良き時代を彷彿とさせるムードがあるカジノホテル「メインストリートステーション」の中にある地ビールレストラン「777」に入る。カジノのインテリアも落ち着いた雰囲気で悪くない。客の少ない店内と、その高すぎる天井はちょっと落ち着かない感もあるが、大きなガラスの向うにそびえる高さ3mはあろうかと思われる巨大な銅製ビールタンクが雰囲気を出している
様々な味と香りをした地ビールが楽しめる。日本で飲む地ビールに比べずっと安く、レギュラーサイズで3ドルほど。フライドポテトやガーリックトーストをオーダー。安くて美味しいが、どれもアメリカンサイズでたちまち満腹になってしまう。
砂漠の中を500マイル近くを運転した私。その道中、珍しく助手席で1度も寝る事のなかったあこ。共にアルコールが入り、急激に眠気に襲われる。タクシーで午前2時半トレジャーアイランド着&就寝。